『 娯楽雑誌「平凡」のバックナンバーを探して25年 』

14班 島内 東洋志

2018年1月22日

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「平凡」のバックナンバーを手に取る 画像
創刊当時の「平凡(文芸雑誌)」

 私が1987年に休刊になった雑誌「平凡」のバックナンバーを蒐集しようと思いましたのは、1993年に東京に転勤になった時です。
東京には日本一と言われる古書街・神田神保町があることを聞いておりましたので、雑誌のバックナンバーに興味を持っておりました私は早速、転勤早々の休日に神田神保町の古書街を訪れました。何店かの店を見ているうちに、今も覚えておりますが「矢口書店」という古書店で、赤いバックで黄色ロゴの表紙の雑誌「平凡」を見つけました。その時の感動と嬉しさは今でも覚えております。早速購入致しました。値段は4,000円だったと記憶しております。

 私の子どもの頃の娯楽といえば「映画」に「ラジオ」そして「雑誌」でありました。子どもが読む雑誌と言えば「少年」「少年画報」「少年クラブ」「少年ブック」「漫画王」「冒険王」等の月刊少年誌が主力で、全紙がストーリー漫画誌でありました。娯楽が少ないこともあって、毎月全紙を読みたいという気持ちを強く持っておりました。只、小遣い額との関係もあり全紙購入は出来ませんので、友達間で定期購入誌を決め、毎月回し読みをしておりました。
私が娯楽雑誌「平凡」と初めて接しましたのは、小学4年生の時でありました。その当時9歳上の姉が「平凡」を定期購読しておりましたので、姉が留守の間にこっそり読んでおりました。その時に読んだ「平凡」の赤バックで黄色のロゴの表紙が強烈に印象に残っておりました。

 神田神保町で一冊だけ「平凡」のバックナンバーを見つけ購入してから、小学生時代に接した「平凡」の記憶がよみがえり「平凡」のバックナンバーを蒐集してみようという気持ちが強くなりました。
まず「平凡」という雑誌がどんな雑誌であったかを知る為に、版元である平凡出版(現・マガジンハウス)に手紙を出し、社内誌である「読者とともに20年」「平凡通信この10年」「喋る 平凡出版38年のあゆみ」「創造の40年 マガジンハウスのあゆみ」の4冊を分譲頂きました。
そして、雑誌「平凡」は創刊当時は「文芸雑誌」としてスタートしたが、販売不振で「歌と映画の娯楽雑誌」にリニューアルして大成功。そして時代の流れと共に「アイドル雑誌」化していった歴史も知りました。「平凡」の蒐集に当たって、どこまでの期間分を蒐集するのかについて悩みましたが、結論的には創刊号からB5版サイズ終了号までの325冊と決めました。

 1993年6月から本格的に蒐集を開始しました。東京勤務時代には月に2回は神田神保町に足を運び、古書店回りをして蒐集を図りました。
1999年に大阪に転勤になりましたが、大阪には東京の神田神保町のような大規模な古書街がありませんので「阪急古本のまち」に行ったり、インターネットで古本店を調べて訪ねたり、そして古本市に行ったりして蒐集してきました。
現在のところ、目標の325冊に対して318冊は蒐集を終え、残すところは7冊になりました。只、内訳は1946年(昭和21年)発売分2冊、1947年(昭和22年)発売分3冊、1948年(昭和23年)発売分2冊となっております。平凡出版の社内誌によれば、当時の発行部数は3万部と僅少な上に、発売年月が戦後間もないことから蒐集には厳しさが伴いますが「Yahoo!オークション」や「日本の古本店サイト」を活用して、目標達成に向け頑張って参りたいと思っております。

 【参考: 雑誌「平凡」の歴史】
   ・1945年(昭和20年)11月に文芸雑誌(A5版・48頁)として創刊。
   ・販売低迷により<読む雑誌>から<見る雑誌>にリニューアルし、歌と映画の娯楽雑誌に転身。

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歌と映画の娯楽雑誌の「平凡」
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「平凡」の別冊号
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「平凡」の書店販促ポスター

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