2016年2月18日(木)
15歳の頃、授業中に教科書の空きスペースに歌謡曲の詩を書いていて先生に見つかり、怒られたことがありました。当時、『高校三年生』の歌が出た頃です。
それ以来、歌の魅力に取りつかれ、いつか作詞家?歌い手?を夢見ていて、そのためには都会(大阪)に出ればチャンスがあるのではと思っていました。
運良く松下電器に入社して大阪に来て、配属されたのが経理部門でしたが、当時は毎日毎日、深夜残業の連続で40年近く仕事に追われ、作詞するのを忘れかけていました。
只、昭和46年に過去に作成した詩を整理し、友人と組んで自費で出版しました。タイトルは『情熱』とし500冊作成し、職場の人達に無理やり買って頂きました。
定年をまじかに控え、もう一度若い頃の夢やボケないためにと作詞活動を再開しました。現在、毎年「日本作詞大賞新人賞」と「藤田まさと歌謡コンクール」の二つに絞って応募していますが、落選続きで今日に至っています。
本来は日本作詞協会の一員になって活動すれば多少、道は開けるかもしれませんが、あくまでも独学で活動し、いつかいつかと自分の趣味をも兼ねて、いそしんでいます。
何故、詩を作ろうとしているのかというと、歌詞は言葉ひとつで人の喜怒哀楽を表現することが出来るのが魅力です。自分の作詞した歌で世間の人が勇気づけられたとか、生きる力が湧いてきたとか等々、そう感じてくれたらこれ以上の幸せはないと思いつつ、自分で作詞するのを楽しんでいます。
従って、今の目標はあと3年70歳まで(作詞の応募)挑戦し続けて行きたいと思っています。その詩ネタとして色々な行事等に参加して、人々や風景等を見聞きして自分の感性を磨けたらと思っています。さりげない中でこのような生き方が若い頃からのひとつの夢でもあり、続けている今日この頃です。
【参考】
『日本作詞大賞新人賞』への応募作品
○立呑みの唄 ○甲子園の詩 ○青春の想い出草 ○母の言葉 ○この人達は・・・物語
○季節の桜 ○生命を抱きしめて ○樟葉ブルース ○放出物語 ○歌詞に恋して
○あなた下関 ○歌花 ○独り道
『藤田まさと歌謡コンクール』への応募作品
○そしてまた恋 ○平等院恋歌 ○人情坂 ○人生手鏡