取材訪問
筑波哲二さんの俳句人生を取材させていただくために、2007年9月14日に松心会館の松愛俳句会「近畿」の句会の会場を、10月3日に筑波さんの俳句の根拠地である楠葉のご自宅を訪問いたしました。
松心会館の句会の会場には、NHK学園の俳句講師の柴田多鶴子先生が来ておられ、松愛俳句会「近畿」会員の皆様の真剣な学習姿勢が窺われました。
ご自宅訪問の際には、楠葉駅に集合した取材班6名を奥様運転の車も加えて2台で、静かで瀟洒なお宅へご案内いただき、物静かな奥様と共に、作句にはまさに相応しい環境であると思いました。
動機と経歴
筑波さんは1932年(昭和7年)のお生まれで、俳句を始められた動機は、「趣味を通じ、人生を楽しく生きるためである」とのことですが、具体的には、現在の松下電池工業の前身である
松下電器乾電池製造所に入社されたときに、配属された部署の上司からの「俳句ぐらい出来なければ」という言葉が俳句人生へ入るきっかけになり、在職中から俳句を趣味にされていました。
会社人生は上記電池部門の総務、経理、資材関係を歩いてこられ、平成4年に定年退職されました。
退職後直ぐに、松愛俳句部に入会され、一層深く俳句の道に進まれることになりました。その後、故山口誓子先生の主宰された俳句結社「天狼」の流れを汲む「天佰俳句会」、「NHK学園俳句講座」に
次々と入会され、その間「天佰俳句会」では誌友、会友として、松愛俳句会「近畿」では幹事としてご活躍になりました。
さらに、1998年にはご出身の松下電池工業のOB会である「電池会」に俳句部を創設され、俳句部会長として今日もご活躍になっておられます。また最近は、京阪くずは体育文化センターにおいて
前記の柴田多鶴子先生のご指導のもとに、俳句の初心者向けに、「楽しい俳句の会」のスタートに努力され、俳句の楽しさを広く人々に知っていただく活動をされておられます。
俳句の創作活動
筑波さんの俳句創作活動の内、句会等の会合に出席される回数は、定例句会月2回、講座受講月1回、吟行句会年2〜3回ですが、俳句に費やされる時間は毎日約2時間で、四六時中俳句のヒントが頭に浮かぶと、メモに留められるそうです。
先日訪問した松愛俳句会「近畿」の句会では、参加した会員が一人当たり3句を記載した句箋を持ち寄り、その句箋から作者を伏せて清書用紙に無差別に転記し、その清書用紙から各会員が5句を選句して、その後、講師の柴田多鶴子先生がその月例の優秀作品を特選、準特選、入選として選出されていました。
また、最近の吟行句会では、芭蕉が歩いた伊賀上野から伊勢路を訪ね、会の親睦と俳諧の腕を磨く行事をリードされるなど種々のお世話をしておられ、この吟行は回を重ね9回に及んでおられます。
筑波さんによると、俳句を創作するコツは、まず何よりも17文字の世界一小さな文学を好きになることであり、物や景色を見て、自分が何を感じたか、もう一度自分自身で確かめ、俳句の楽しみを実感することで、具体的には、(1)季語を生かし、五七五でリズム良く、(2)新鮮さ、自然の美しさを正直に作句、(3)人に分かり易くして伝えていく配慮、だそうであります。
筑波さんの今日までに作句された句数は約1500句であり、その一部が、2003年に上梓された電池俳句会創設5周年記念句集「あかり」に、また、2005年に筑波さんが句集刊行委員長として上梓された松下電器俳句会発足70周年記念句集「松籟」等に載っております。
「松籟」の上梓に際して松愛会神田会長から記念の言葉を頂いております。
筑波さんに選んでいただいた代表作15句は、以下のようなものです。
目 標
「星座の輝きを共に持ちたい」ということで、俳句の楽しみを皆で持つために、松下電器OBの句友を現在の約80名から100名に増やすことと、現在発足72年目の松下電器の俳句会が発足100周年を迎えることだそうです。
先を見据えた筑波さんの俳句人生は、まだまだこれから大きく花開くものと強く感じました。
取材:鬼頭、梅原、岸本、大熊、田宮、吉川 HP作成:鬼頭
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