画像(第39回)

"空手道一筋50年、心身を練り人間形成を図る"

枚方市野村元町在住 佐藤文治さん
2015年3月15日 取材

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正剛館栄光賞の記念ペナント
(1995年7月)
香港で演武大会出演
(2008年12月)
剛柔流空手道6段取得
(2005年11月)
剛柔流空手道練士号取得
(2011年8月)

1.取材訪問
 桜便りも聞こえる3月中旬、枚方市の中心部から東へ約6km、枚方八景の国見山の麓に位置する「くにみが丘住宅地」内のスポーツジムに取材訪問。スタジオでは子供達の空手練習が盛んに行われている。
 この大阪枚方道場を拠点に、パナソニック高槻道場(旧松下電子工業内武徳殿)、パナソニック東京道場(横浜港北スポーツセンター)、新潟妙高水上道場(新井地区小学校体育館)の4ヶ所で、毎日曜日を中心に 幼児・少年・大学生・一般と約70名の門下生に対し空手道場を主宰しているのが、今回の夢中人・剛柔流(*1)の師範・練士(*2)の佐藤文治(さとう ふみはる)さんである。

 *1. 剛柔流(ごうじゅうりゅう)
  空手の4大流派(松涛館、剛柔流、糸東流、和道流)のひとつ。剛柔流の命名は中国武備誌の拳法八句より「法剛柔吞吐 身随時應變」と言われている。この流派は流祖の宮城長順(みやぎ ちょうじゅん/敬称略)が、恩師・東恩納寛量(ひがおんな かんりょう/敬称略)から学んだ那覇手に、独自の研究を加えたものとされる。

 *2. 練士(れんし)
 日本正剛館空手道士会(*3)は、次の資格を具備する者に審査を経て、練士号を允許(いんきょ)している。
 ①6段以上取得後3年以上
 ②師範号保持者
 ③40才以上
 ④指導者として、斯道に功績顕著であること 
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くにみが丘フィットネス倶楽部
(枚方市津田山手)
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HP委員による取材風景
(左端が佐藤さん)
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子供達を指導する佐藤さん
(取材当日)
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グローブ使用の練習風景
(取材当日)

2.プロフィールと動機
 佐藤さんは大阪府出身で、1947年(昭和22年)生まれの67才。1967年(昭和42年)松下電器入社、高槻市の松下電子工業(株)、長岡京市の松下電器半導体社で一貫して半導体生産及び営業等を歴任、2005年(平成17年)9月に定年退職された。
 高校時代の1964年(昭和39年)10月に東京オリンピックの空手道選手権大会エキジビジョンを見学、この何とも不思議な武道に吸い寄せられたと言う。
 「どんな武道なのか?」と大きな興味が募り、早速、友人と共に町の道場に入門、松下入社直後に日本正剛館空手道士会(*3)・松下電子空手道部へ入部、1973年には同部主将になり本格的に活動を開始。 空手道は心身を練り、健康を図り、急場に処して自分の身を護る。この空手道一筋に少年時代の夢を追い続け、早や半世紀になったと言う。

 *3. 日本正剛館空手道士会(にほんせいごうかん…)
 1945年(昭和20年)に館祖の多田正剛(ただ せいごう/敬称略)が敗戦による政治経済の混乱の最中、次代を担う青年たちの精神的虚脱に、火の意思と鉄の体軀を与え、民族の誇りを蘇えさせねばならぬ事を確信し、京洛の一角に心身鍛磨の正剛館道場を創立したことに始まる。
 当時京都を中心に多くの道士の増加と道場の増設の機運にあり、さらに各大学に正剛館所属の空手道部が創部され、全国各地にも多くの正剛館道場が設立された。(正剛館HPより抜粋)

3.活動記録
 現在、競技団体として全日本空手道連盟と、会派別団体として日本正剛館空手道士会に所属し、松下電器を定年退職した2005年57才の時に6段位を允許(いんきょ)される。その後更に研鑽を積み2010年師範号、2011年に練士号を允許される。日ごろの練習と指導は、上記全国4道場を忙しく巡回指導されている。

 現役時代の華々しい活躍経歴の中でも、特に松下電器社内大会の第1回空手道選手権大会で団体組手の部で優勝、さらに同大会の1975~1984年の10年間で5回の団体優勝、加えて1982~84年は3連覇を達成。また1995年47才の時に日本正剛館・国際親善全国大会(第50回記念大会)で団体組手実業団の部での優勝、これらの功績で山下社長(当時)から数少ない「スポーツ功労賞」を授与されたこと等が、強く記憶に残っているとのことである。

 また変わった所では、梅田花月や読売24時間テレビ等のイベントにも出場要請があり、瓦割や板割・棒術など空手道の演武などを披露したこともあるという。
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第9回空手道全国社内大会・団体組手優勝(松下尚道館)
(前列右から2人目/1983年10月)
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松下電子空手道部の合同合宿(新潟県妙高市新井地区)
(前列中央/2010年4月)
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社内「スポーツ功労賞」受賞
(1980年10月)
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全国社内大会・団体組手優勝
レプリカ(1984年10月)
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よみうり24時間テレビ出演
(2001年7月)
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少年少女空手道選手権大会
(右は千葉真一/2002年10月)

4.取材所感と今後の抱負
 空手道というと「瓦を割る」というイメージが強く、筆者等はずいぶん誤解していた。幼児からでも開始できる安全なスポーツであり、今後の抱負として、佐藤さんから次の様なお話を頂いた。
 「空手道は闘う武道ではない。年齢を重ねても年齢に合わせて稽古ができ、健康維持と身を護ることがができる。長年教えて頂いた空手道を通じ、青少年の健全育成、さらには広く社会・地域・企業に貢献し、生涯修行を継続したいと思う。」
 「継続は力です !!」 といつまでも若々しく、真っ直ぐ前進を続ける力強い佐藤さんの姿が印象的である。
2020年東京オリンピック・パラリンピックで、空手道が追加種目に選定されることを切望されておられる。

取材:石川、梅原、大熊、吉川、倉橋(50音順) HP作成:吉川 

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