枚方市杉山手1丁目在住 奥ア義男様 2008年1月23日取材 |
ベルリンマラソン 20km地点での娘夫婦の応援 |
お気に入りのゴールの 写真とともに |
尼崎で孫の写真を背に 頑張りました |
1.取材訪問 当枚方支部ホームページの「会員のひろば」へ、旅行記、マラソン出場等に関して多くの投稿をされており、その内容から特に、マラソンに関しては半端な突っ込みではないことが窺えましたので、 そのマラソン人生についていろいろお話を伺うべく、奥ア義男さんを平成20年(2008年)1月23日に枚方市杉山手のご自宅に訪問いたしました。 2.動機と経歴 奥アさんは昭和17年(1942年)生まれ尼崎育ちで、今日現在65歳です。昭和36年(1961年)に松下電器入社、当時の乾電池事業部へ配属され、電池応用製品開発など技術部門でのお仕事を、 平成14年(2002年)の定年退職まで担当されました。元来のスポーツ好きでしたが、特にマラソン等の陸上競技だけに熱中するのではなく、業務に専念する毎日でしたが、いろいろなスポーツは やられていたようです。 マラソンとの出会いは、在職中の平成10年(1998年)3月、奥アさんが55歳の時でした。「明石海峡大橋開通記念ハーフ夢マラソン」が育った家(尼崎市)の近くで開催されることを知り、 10kmの部に挑戦しました。マラソン開催の4〜5ヶ月前より走る訓練を重ねられ、走る自信をつけられた後、見事これを完走され、それがマラソン人生のスタートと なりました。 その後、同年11月には生家の前を走る「尼崎シティマラソン」(10kmの部)に出走、平成11年(1999年)に「尼崎シティマラソン」(21.0975km)のハーフマラソンに出走、 平成12年(2000年)に「尼崎シティマラソン」(42.195km)でフルマラソンに初挑戦完走と、ハードルを上げ順調にクリアされて行かれました。フルマラソン初記録は5時間13分であったそうです。 退職後マラソンの仲間も増え、約20名で「自友(じゆう)クラブ」を結成、毎月1回定期的に大阪城公園を走るとともに、個人的には枚方市杉山手の自宅から木津川付近まで、 往復約10kmをほぼ毎日走り、レースに合わせた訓練をしておられるそうです。この取材にお伺いした1月28日現在、1月だけでも既に196kmを走破されたそうです。 3.活動記録 これまでのマラソン暦は表に示す通りで、前記1998年3月の「明石海峡大橋開通記念マラソン」(10km)から今年2008年1月の「枚方新春走ろう会」(21.0975Km)のハーフマラソンまでの 約10年間で80回になります。その中には、ホノルル、パリ、バンクーバー、ベルリン、ボストン、シドニー、ロンドン、北京等の著名な国際マラソン、泉州、福知山、篠山、那覇等の国内マラソン、 他に、京都シティ、三田国際マスターズ、大阪市民等のハーフマラソン等が含まれます。 これ等マラソンの中で、楽しかったマラソンと苦しかったマラソンはどれですかと言う質問に対し、やはり楽しかったのは、奥アさんのフルマラソン暦でベストタイム4時間13分39秒(ネット)が出た 2006年12月の沖縄NAHAマラソンだそうで、逆に苦しかったのは、2000年初のフルマラソン挑戦の「尼崎シティマラソン」であったそうで、タイムがよいことがマラソンの思い出を左右するそうです。 これ等マラソン暦から見て、自己記録のベストは4時間13分39秒(ネット)であり、フルマラソン4時間の壁を破るのも近いようですが、マラソン後、筋肉痛で歩けなくなるぐらいの苦労をされた経験もあり、 無理をすることなく、楽しみながらマラソン人生を継続したいということでした。 楽しくマラソンを走るには、本人の体調がよいことは当然必要ですが、その他に、家族の協力も必要であり、2005年のベルリンマラソンには遠路、息子さん夫婦も応援に駆けつけられそれに励まされて 完走されたそうです。またその他にマラソン会場近郊での観光、ゴルフ等を楽しむのもマラソン行きを楽しくさせる手段だと仰っておられました。 |
5.走破の履歴一覧と計画 (上の文字をクリックすると、大きく一覧のページが現れます) |
6.今後の活動予定 本年は6月に北海道サロマ湖を一周する「100km鉄人マラソン」にエントリーし、2〜4月の3ヶ月間はそれの訓練として、2月3日木津川マラソン、3月9日沖縄の与論島マラソン、 4月吉野川沿いを走る徳島マラソンという風に、毎月1回のペースでフルマラソンに出場しながら調整して行くということでした。 |