取材訪問
枚方南・北両支部のホームページ委員会の3名が、東香里3丁目の水島 渡様のお宅をお訪ねしました。奥様と共に、にこやかにお出迎え頂き、応接間に通され最初は雑談から始まりましたが、
そのまま自然に取材質問を投げかけるまでもなく、雄弁にお答えいただきました。生き様、生い立ち等をお聞きしている内に水島様の経歴が明らかになってきました。
1.経歴
水島様は昭和2年東京に生まれ、今年80歳になられたばかりです。
昭和14年にリベラルな気風溢れる私立の旧制中学に入学され、クラブ活動では美術部彫刻科に所属されましたが、彫刻よりも彫刻の基礎たるデッサンをみっちりと教え込まれ、
今日の漫画制作の基礎を身に付けられたとおっしゃる。
その後は戦争中ということもあって、美術活動は完全に中断され、中学学業後半、戦争も山場を迎えた昭和18年に、当時のエリート青年が集う江田島海軍兵学校に入学され、
海軍将校の道を歩み始められました。中学卒業証書は後に親元へ届けられたそうです。約1年10ヶ月、短縮卒業直前の昭和20年に終戦を迎えた。
兵学校3学年へ進学前に、航空、海上、水中、陸戦等の特科に別れそれぞれ“特攻を含む”の任務が課せられていた、仮に戦争が長引いておれば、
人間魚雷「回天」に乗り込み敵艦に突っ込んでいただろうとおっしゃる。
終戦後は、親元から遠く離れた福岡の九州帝国大学理学部化学科に入学、大学院卒終了後も大学に残られ、昭和33年に松下電器産業株式会社の当時の無線研究所に入社され、
主にチタン電解コンデンサーの研究開発に励まれました。
2.今夢中になっている漫画創作活動の動機
50歳になったころ、諸行事に参加した際に友人から戴く写真や、親しい方からの年賀状や手紙への返事などには形式的な礼状ではなく、手間暇かけたものでお答えしたいと考え、
宛名、文章は葉書の表面に書き、大昔の体験頼りに、裏面全面を使って、ひとコマ漫画や諷刺的イラスト等を描いて送る様になった。それが相手から大変喜ばれ印象に残るようである。
水島様自身もそれを契機に漫画に対する興味を深められ、ひとコマ漫画、諷刺的イラスト等の分野にのめりこむ動機となった、とのことでした。
3.創作活動
ネタはブラックユーモアが中心。漫画の内容は、ギャグやダジャレを使った世相風刺など、時には大変するどく、時にはほのぼのとした漫画となっている。
ひとコマ漫画、世相風は油絵、水墨画等の絵画と違って絵を描く技術そのものよりも漫画の言わんとしているダジャレ、ブラックユーモア等の趣旨を第三者に明確に伝達する表現力が大切であり、
そのためには、常に、新聞、TV等
マスコミの情報に注目し世相等に敏感に反応することが必要であり、さらに、漫画の素材は正確な表現に心がけ、狛犬や、電車のパンタグラフ等日頃見慣れているものでも、作図の正確性を得るために、
想像ではなく実際に自分の目で確かめ、現場に出向き写真に撮るなど大変努力をされている。
一枚の漫画の製作には大体2日を要している。
まず、漫画全体の構図をごく普通の白紙にクロッキー(速描)して、登場するキャラクターの大きさや位置決めをする。より面白くより判り易くする為にクロッキーは何度も修正する。
これで行こうと決めたらデッサンに移る。デッサンは、A4程度の大きさのマット紙に鉛筆で丁寧に書き込む、ガラス板の作業台の下から光を当てて書いた線がハッキリ見える状態で、
インクや墨汁を用い主線を太く、他の線は細くトレースして、原稿が完成する。これをはがき大に縮小コピーし素材を作る 。
デッサンは中学時代彫刻部で徹底的に教えられた経験が大変役立っている。色づけは、アクリル・ガッシュという絵の具と鉛筆を使う。その後、色のはみ出しや汚れを修正液等で丁寧に消して、
再度境界線を墨入れする。 |