(第28回)

“2,000台のカメラに囲まれて”

枚方市出口5丁目在住 小林 正夫さん
2012年1月31日 取材

(以下の写真はクリックすると大きくなります)
収集されたカメラ群の一部 小林正夫さん近影 箱館山の百合
収集されたカメラ群の一部 小林 正夫さん近影(愛機の前で)(2012年1月) 撮影作品「箱館山の百合」
1.取材訪問
 取材にご自宅を訪問した我々を驚かせたのは、カメラの台数の膨大さであった。
ペンタックス 236台(内訳:一眼レフ 78台、コンパクトカメラ 89台、デジカメ 69台)、 ニコン 134台、キャノン 286台、ミノルタ 143台、マミヤ 70台、オリンパス 179台、カシオ 167台…と続き、パナソニック 167台。総数は2,000台超とのことである。
 カメラメーカー数にして、20数社に及ぶ圧倒されるコレクションは、家中カメラでぎっしりで、メーカーの歴史館以上に匹敵する感じを受けた。

2.職歴概要
 小林さんは1938年(昭和13年)島根県浜田市のご出身で、1957年(昭和32年)に松江工業高校電気科から松下電器へ入社、配電器事業部(当時)に配属された。電気溶接機第1号の研究開発にゼロからのスタートを切られ、奮闘努力の末、コンデンサーを導入して力率の改善に成功して、世に送り出されたということである。
 その後、造船所・鉄工所などの溶接専門家を顧客に「セールスエンジニア」として、広島・九州・大阪で活動され、溶接機の販売ルートを構築する特機営業マンとしてご活躍、 1998年にシステム営業本部で自販機担当を最後にご定年退職された。
  
3.カメラ経歴
A 入門時に愛用したカメラ2機 B 小林さんを収集道に導いた一眼レフカメラ C お宝のペンタックス最高級機達
  左:ホビックス(東郷堂)
  右:パール3型(小西六)
  左:アサヒフレックス1型
  右:アサヒペンタックスSP
   (何れも旭光学)
  左:ペンタックス 67U
  中:ペンタックス 645N
  右:ペンタックス LX2000
 
 
 小学5〜6年時代に流行った日光写真や、雑誌「少年」の付録であった1枚撮りカメラに魅せられて、写真の世界に入られたということである。
 中学2年の時、中古の「ホビックス」(カメラらしき物)を300円で入手して高校時代まで愛用、入社翌年の1958年に本格的カメラとして「パール3型」(蛇腹カメラ)中古品を購入、 中古でも11,000円、高卒初任給10,000円以下の時代であり、思い切った買物をされたと言えるが、これで撮影技術を大きく高められる結果になった(写真A)。 その後国産初の35mm一眼レフ「アサヒフレックス」、1964年には「アサヒペンタックスSP」を求め、カメラ収集に一段と目覚められることになった(写真B)。写真Cは、カメラマニア垂涎の「お宝」と言えるペンタックスの最高級機達である。

4.カメラ収集活動の現状
居間にも、所狭しと保管されている 主保管室の一部 詳細な収集品管理ノートの一部
居間にも所狭しと保管されている 主保管室の一部 収集品「管理ノート」の一部
 
 定年後、松下独身寮の管理人等もされたが、その後縁あってカメラ量販店に8年間(64〜72歳)勤務され、カメラ収集人生に拍車をかけることになった。近畿圏の半径100km圏内を中古カメラを求めて、歩き回ったとのことである。
 小林さんの「すごさ」はこれだけではない。不具合のある中古カメラを分解、必要なパーツを集めて、全部自分で磨き組み上げて完成してしまう。でき上がったカメラを見ても、全くそれとは分からない製品ばかり、2,000台超の殆どが現役として機能するそうだ。すべて独学で勉強し経験で腕を磨いたとのことである。
 半端でないその徹底ぶりは、管理ノートにメーカー別に、機種名・動作状況・製造番号等がきっちりと整理されていることである。現在73歳の小林正夫さんは、フィルムカメラからデジカメまでの総合コレクターである。

5.写真撮影活動の現状
小林作品「淀川の夕日」 小林作品「箱館山ゆり園」 撮影仲間の方々
淀川の夕日
(2010年9月)
箱館山ゆり園から琵琶湖を望む
(2011年8月
撮影仲間の方々
(2011年8月)

 カメラ収集だけでなく、撮影の方にも在職中から熱心で、現在は数ある愛機で「自然を愛し、自然を友として、写真を楽しむ」をモットーにしながら、豊中市の「千里写真21」の会を舞台に、その講師としてご活躍中である。
 今回の取材では、撮影活動は簡単にさせて頂いたが、ご自慢の作品のほんの一部を、上にご紹介する。撮影ポイントをお尋ねすると「主役を光らせる/脇役の重要さを考える」という含蓄のある言葉を頂いた。
 
6.今後の夢
 今後の夢と課題を伺った所、「カメラで飾り、カメラ仲間が集う、ギャラリー風喫茶店を持ちたい」とのこと、課題は「この多くのコレクションを、お孫さんが引継いでくれるかどうか(息子さんはNGらしい)」とのことであった。

取材:鬼頭、梅原、吉川、倉橋、HP作成:吉川

 
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