享保の頃、象が枚方を歩いた日


象が歩いた350里(1400km)

 今から290年前、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の「象が見たい」との一言を忖度し、ベトナムから2頭の象が中国船で長崎に上陸しました。 一頭は亡くなりましたが、残った一頭が東京(江戸)までの約1400㎞を歩いたのであります。享保14年(西暦1729年)の事でした。

 道中珍しさもあって、多くの見物人が詰めかけました。象が暴れては大変と言うことで、「見物はよいが、絶対に騒ぐな」とのお触書が各地に届き、人々は物音ひとつたてず、静かに見物しました。

 その道中、4月24日(旧暦)に枚方に一泊滞在しました。この時、象はいつもと違う振る舞いを見せたと伝えられています。
 この宿場には当時「萬年寺山」が街道までせり出しており、故郷で「象頭山」と呼ばれる山の形状に似ており、さらにその上に下弦の月が浮かんでいました。象はこの月を「じぃ―」と眺め、故郷や母象を思い出していたのでしょう。一筋の涙を流したのです。(絵物語:「象さんは行く」著者:大山槃山氏 より引用させて頂きました。)
 この時の象の心情を、大阪の油煙斎貞柳は戯れ歌の一句に、細き眼で ふりさけ見れば 故郷の 象山とやらに い出し月かも(本歌は、天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に い出し月かも・・阿倍仲麻呂/百人一首)と詠んでいます。

 この後、象は「広南従四位白象」位階を頂き、京都で天皇に謁見し、5月25日に無事江戸に到着しました。27日に吉宗将軍に拝謁後は江戸で何年かを過ごし、あまりハッピーではなかった生涯を閉じたのでした。

【 写真はクリックで拡大できます。】


徳川吉宗像(出典:wikipedia)

享保14年渡来象之図

宿泊用に用意された象小屋

象の頭に似た萬年寺山

 その他の情報もここからご覧いただけます。  *1:楽しく学ぶ 枚方の歴史(発行・枚方教育委員会)

HP作成:坂本  

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