「野崎小唄」の作詞者は枚方(楠葉)の人


今中 楓渓 氏と作品

野崎詣りは 屋形舟でまいろ どこを向いても 菜の花盛り 意気な日傘にゃ 蝶々もとまる 呼んで見ようか 土堤の人

 昭和10年に東海林太郎の歌声にのせて大ヒットし、今も歌い続けられている「野崎小唄」の作詞者は、枚方市楠葉の人で歌人として有名な、今中 楓渓(ふうけい)氏(本名 岩崎保次郎 1883年~1963年)であります。明治40年に樟葉村の庄屋筋であった今中家を継がれ、現在も楠葉に大きな家があります。
 この歌のヒットによって、「野崎観音(正式名:曹洞宗・福聚山 慈眼寺・・大阪府大東市)」はかつての賑わいを取り戻して復興したと言われています。

 また、過去に「光善寺と、でぐち団子」の記事で紹介した「枚方音頭」の作詞も、今中氏によるものです。

 しかし、氏は作詞家というより歌人であり、女性和歌誌「若葉」を主宰し、「白日」「あかね」など多くの歌集を発行され、関西歌壇の重鎮として活躍されました。また教育者としても明治44年から20数年間、府立寝屋川高等女学校(現:寝屋川高等学校)の教員として従事されております。(参考資料:枚方風土記、枚方市史)

 昭和39年に地元の有志によって、境内に歌碑が建てられ、多くの参拝者に親しまれています。参拝した日は小春日和の平日でしたが、急坂を登り切った境内からは、唄が作られた頃の景色の面影はないものの、現在も静寂の中に広々とした気持ちの良い景色が広がっておりました。

【 写真はクリックで拡大できます。】


野崎観音に建てられた歌碑

野崎参りの河内名所図会

境内からの風景(2018/11)

現在の今中楓渓宅(楠葉)

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 (写真撮影:2018年11月29日) HP作成:坂本  

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