枚方市でもお近くにお住まいの方は、よくご存じだと思いますが、住所は枚方市楠葉○○なのに、京阪電車の駅や学校では「樟葉」が使われています。「くずは」を説明するのに、どちらが正しいかを調べてみました。 結論から言えば、歴史と共に移り変わった地名からその答えを得ることができます。
まず、日本書紀や古事記などの時代に登場する地名は、交野天神社内の樟葉宮址の石碑にも刻まれていますように「樟葉」でした。その後、江戸時代前から明治22年まで、この地域は「楠葉村」と称されており、近くの「船橋村」と共に存在しておりました。 明治22年に、新町村制度で当時の「楠葉村」と「船僑村」が合併されることになりましたが、当時の「楠葉村」の人口は1550名(郷土枚方の歴史より)で船橋の3倍以上でした。「楠葉村」とすると船橋が吸収された印象があるという意見が強く、結局日本書紀で使われた「樟葉村」が新村名に決定され、それまでの「楠葉村」は「樟葉村大字楠葉」となりました。そして時代は流れ、昭和13年の合併で「枚方町大字楠葉」となって「樟葉村」がなくなり、更に昭和22年に新しい市制が施行され「枚方市楠葉」となりました。従って現在住所の表示は全て「楠葉」が正しい訳です。
京阪電車が開通したのは明治43年で「樟葉村」の時代です。駅名ですから、村の名前から「樟葉駅」と決まったのは自然の流れです。
また、小学校の名前は「樟葉村」時代に村立小学校が出来たので、「樟葉」が使われており、その後設立された小学校には慣例的に「樟葉」が使われています。しかし、新制中学が出来たのは戦後で、枚方市楠葉になってから設立されましたので「楠葉」が使われている訳です。
最後に住所ですが、地名は昔からずっと「楠葉」「船橋」がそのまま残り続け、「楠葉〇〇」「船橋○○」として現在に至っております。例外的に今でも「樟葉」の名前を使っておられる、北河内農業協同組合「樟葉支店」や枚方市消防団「樟葉分団」などがあります。
枚方市楠葉丘の「樟葉宮址」 |
枚方市立「樟葉小学校」 |
枚方市立「楠葉中学校」 |
住所は全て「楠葉」 |
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(写真撮影:2018年9月12日) HP作成:坂本