枚方市磯島元町付近は、昔 摂津国(現・高槻市)であった。


明治初期の磯島村付近地図

 京阪枚方市駅から府道沿いを京都方向に進み、枚方市大字磯島と記された陸橋をくぐってすぐ淀川方向に曲ると、磯島元町の「八幡神社」があります。今は新しい鳥居になっていますが、残されている古い鳥居の石柱には「摂津国嶋上郡磯島村」と刻まれており、寛保3年(1743年)に建立と記されています。つまりその昔、この辺は枚方市ではなく、高槻市の摂津国・磯島村であったということであります。

 「土佐日記」などには、淀川を行き交う船から御殿山の渚院の桜が見えたと記されているように、当時の淀川は現在よりずいぶん東寄りを流れていました。そして天野川との合流地点に形成された川中島に磯島村が出来ましたが、枚方から離れていたため、摂津国に属していたと思われます。それ以降、この地域は水との壮絶な戦いの歴史であったと言われています。又、正徳年間(1711~16)には磯島村より高槻城下に、野菜の行商に出かけていたそうです。

 「枚方市史」などで調べてみると、磯島地域は大政奉還(1867年)後、複雑な区割制度に翻弄され、様々な国や県や郡に合併や統廃合を繰り返し、明治7年に摂津国島上郡から河内国交野郡に編入され、今日の枚方市の磯島になったことが判ります。堤防の上から眺めると歴史を刻む家もあり、旧村の面影を感じることができます。 【 写真はクリックで拡大できます。】


磯島元町の八幡神社

古い支柱に摂津国と刻まれている

現在は淀川は見えません

堤防より磯島元町を臨む

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  参考文献:「枚方市史」第4巻
       「明治初期・関西地誌図集成」 柏書房 枚方中央図書館所蔵
       「枚方風土記」 発行 枚方市企画部企画調査室

 (撮影:2018/05/25) HP作成:坂本 

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