1657年、江戸城天守閣や、城下町の家屋の大半が焼失するという大火事(明暦の大火)があり、それをきっかけに江戸幕府は翌年、定火消(じょうびけし・江戸中定火之番)を設けました。高い塔を建て火事の監視をしたのが、火の見櫓の始まりであります。
明治後期から鉄製の火の見櫓が建造され、昭和に入ると、防火の監視のみならず戦争下にあって敵機を監視する目的も加わりました。しかし、戦時中は金属供出のため、解体される火の見櫓も数多くあったと言われています。
消防団令が昭和22(1947)年に発布、翌年に消防組織法が交付されると、市町村に消防団が組織され、同時に火の見櫓の建設が進められました。現存する櫓の大半はこの時期に建造されたものですが、近年では防災無線や、警報システムの発達により、半鐘も外され本来の役目を果たしておらず、櫓自体の老朽化が進んでいることから、次々に撤去が進んでいるのが実情です。
今回、せめて撤去される前に記録に残しておこうと、枚方市に残っている櫓を探し出し、映像(全て2018年3月に撮影)に残しました。 【 写真はクリックで拡大できます。】
山之上4丁目の火の見櫓 |
茄子作4丁目の火の見櫓 |
村野本町の火の見櫓 |
半鐘が残る樟葉分団 |
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(写真撮影:2018/03/12) 2018/06/20 HP作成:坂本