京阪電車御殿山駅から、牧野方面最初の踏切の線路軌道内に倒れそうに建っている石碑があります。この不思議な石碑には、府道側を正面とすると、正面に「国道二号路線 六里」左面「距城河国堺 一里二十二丁三十八間」右面「距北河内郡枚方町 二十六丁十六間」後面「明治三十五年一月改造 大阪府」と刻まれています。
つまりこれは道標で、当時の道路は国道2号線であり、高麗橋(明治政府が決めた、西日本の道路の距離計算の起点)から6里(約24km)、枚方から26丁16間(約3km)、京都府境まで1里22丁38間(約6km)、の位置にあるということを表しています。
道標が設置されたのが明治35年(1902)で、京阪電車の開通は明治43年(1910年)ですから、道標が移動されていなければ、昔京阪電車は京街道の上を路面電車として走っていた事になり、とても興味深い貴重な道標と言えます。その時代には天満橋から五条まで
47㎞の30%は国道や府道との併用が定められていたとの資料もあります。
現在御殿山付近の府道の名称は、京街道 → 国道2号線 → 国道1号線 → 府道京都守口線と推移したことになります。
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電車にぶつかりそう |
国道第2号路線と刻まれている |
明治35年1月改造の表示 |
府道に沿って走る京阪電車 |
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2018/02/28 HP作成:坂本