交野市の私部は江戸・明治時代には瓦作りの里であった


光通寺の鬼瓦

げんべの窯たき いつでける
あいさ(明日)の朝まで まってんか まってんか

 交野の地元に伝わる わらべ唄です。古くから交野は良質の粘土が出ることで知られており、また瓦造りの腕のいい職人が大勢いたようです。

 1821年に小田原城の修復に使われた瓦や、京都の西本願寺の瓦葺き替えの時に見つかった享和2年(1802年)の刻印のある瓦などに、私部の職人の名前が刻まれているのが発見され、私部瓦が語られるようになりました。西本願寺の瓦に刻まれていた「瓦師 井戸忠右衛門」の刻印が入った鬼瓦は、交野市光通寺(こうつうじ)の本堂にもあるそうです。他にも明遍寺(みょうへんじ)などの瓦に私部瓦が使われています。実際、明遍寺の留蓋(隅棟の尻部分を覆う瓦)には「享和元酉 ・・」と刻まれているのが確認できました。
 昭和40年代頃までは、何か所かの瓦窯があったそうですが、現在は生産されていません。
【 写真はクリックで拡大できます。】

  参考文献:「JAきたかわち」2018年2月号


明遍寺山門の留蓋瓦

菊花の入った光通寺山門

私部瓦が使われた光通寺本堂

立派な私部鬼瓦

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 2018/02/27 HP作成:坂本 

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