本能寺の変の時、家康は交野・妙見坂の竹藪に身をひそめていた


家康がひそんでいた竹藪の位置

 案外身近なところに、歴史上興味ある場所があります。その一つが交野市の妙見坂にありました。1582年に起こった「本能寺の変」の時、徳川家康は堺の見物を終え三河へ帰路の途にありました。信長が亡くなった知らせを聞くや身の危険を感じ、光秀軍に見つからないよう、一時身を隠したとされる竹藪が、交野市の妙見坂小学校敷地内南側に 「伝家康ひそみの藪」として残っています。

 またルートは諸説ありますが、星田、津田、尊延寺から宇治田原を抜け逃げ帰る時、星田村の庄屋・平井氏に世話になり、1615年の夏の陣では、平井氏の家に宿泊したといわれています。この時、旗をかけたとされる「旗掛け松」や、星田村の守りを固めていた領主の市橋長勝の功績をたたえた石碑「神祖営址之碑(徳川家康宿営の碑)」などもあり、家康とこの地域が深く関わっていた事を証拠づける貴重な文化財となっています。枚方市の津田城との関連など、詳しくは「枚方の民話・津田城」をご覧ください。【 写真はクリックで拡大できます。】


伝・家康ひそみの藪の石碑

金網に表示されている説明文

夏の陣で家康が旗を掛けた松の木

市橋長勝の功績を称えた石碑

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 2018/02/26 HP作成:坂本 

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