『 村野神社 』(むらのじんじゃ)

枚方の神社シリーズ 第8回  
2014/3/14 取材  

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 枚方発見神社シリーズの第8回目として、「村野神社」を参拝し取材しました。
 この神社は京阪電車・交野線の村野駅で下車し、東に8〜10分歩いた小高い森の中に鎮座されています。周囲には東海大仰星高校、桜ヶ丘小中学校等があり、その隣には広大な村野浄水場もあります。
 昔この辺一帯は川越村と言われ、天野川が枚方市に初めて流れ込む地域であります。同じ地区にある「山田神社」は、同時期に片埜神社から分霊された兄弟神社の為、共通した部分が多くありました。
 神社には巨石を奉られている所が多くありますが、村野神社でも少し離れた村野の飛地である、釈尊寺町の「遥拝所」に祀られていました。少し暖かくなった春の朝、社務所に案内され、宮司の水嶋道憲様から懇切丁寧な説明を受けました。

「村野神社」の本殿

【村野神社の概要】
所在地 枚方市村野本町29-1
京阪電車(交野線)村野駅 徒歩 8〜10分
境内の敷地 約 4,000坪
祭神 ・素盞嗚命(すさのおのみこと)
・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)・・素盞嗚命の奥方
・末社・・住吉神社(本殿の中に祀られている)
     西野神社、次野神社、乾野神社、火産靈神社
     金毘羅神社、稲荷神社
創建 ・牧野の片埜神社から分霊し、新たに神社建立
 弘安2年(1279年)2月8日
・山田神社(山之上)と同時期に分霊・創建
主な年中行事 ・例 祭(秋季大祭)  10月14日
・月始祭 ・・・ 毎月 1日
・月次祭 ・・・ 毎月15日


「村野神社」の参道入口
【村野神社の由緒】
 村野神社の創立は、弘安2年(1279年)2月8日に神司・神地が定まり、新たに神社を建築し、続いて神霊を移して奉った。
 大阪府神社誌によれば、弘安2年8月に牧野にある一の宮(片埜神社)の分霊を勧請したと記されている。第7回で紹介した、山之上の山田神社と同時期に分霊・建立されおり、祭神や神紋など共通する点が多くある。この頃の経緯や由緒、末社の説明などは、大正9年に作成され保存されている冊子(写真参照)に、克明に書かれている。京都の八坂神社と縁が深く、「清々会」のメンバーであり祭神、神紋(写真のように2つの紋がある)も同じである。
 明治5年には村野村の村社となり、明治41年12月に神饌幣帛料供進社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ・・・郷社、村社を対象に明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社)に指定されている。
 祭礼に当たっては、青と白の和幣(にきて・・神に供える麻の布)を神殿に捧げ、巫女乙女は鈴鼓で天下泰平を祈った。弘安2年9月19日の祭礼には、神輿を拝殿に奉り、天野川の西に御旅所を設け、同月21日には行列をなして神輿を渡した。そして、日々お神酒や旬の物をお供えし、10月19日に神社に帰られる迄の30日間続いた。この時以来、毎年この祭礼を執り行ったと伝えられている。

 村野地区は、羽衣伝説や七夕伝説などのロマンをのせて淀川に合流する天野川が、初めて枚方に流れ込む地域であるが、明治22年に亥田、藤田、釈尊寺、茄子作東町や池之宮、星ヶ丘、桜丘などが合併されて川越村になる以前は広大な地域であり、犬田城もあったとされ、磐船街道等も走りこの地は交通の要所でもあった。

 村野神社は、創建以前から惟喬親王(844〜879)が狩猟の時、大勢を連れて遊覧された荘園とも言われ、何らかの宮祠があった事を示唆し、親王の尊敬が厚かった事は勿論、多くの人から崇敬されていた事が伺われる。
 創建以降、社地および社殿の沿革等は詳かではないが、松永弾正の兵乱の時、社殿桜閣は全て消失したが、御神体に異常の無かったことを尊び、村民が一致して社殿を再建した。現在の社殿は、昭和38年10月竣工落成で鉄筋コンクリート造り、銅板葺である。そして、神宮遥拝所は本殿新築20周年記念として昭和58年10月に建立され、手水舎は平成3年12月15日に建設された。

鳥居から見た本殿

大正9年作成の「村野神社誌」

「村野神社」の神額

拝殿正面

手水舎

水受けに刻まれた神紋

愛嬌のある龍の水口

末社・稲荷神社

末社・金毘羅神社

伊勢神宮への遥拝所

御祭神の名前の神額

ずらっと並んだ石灯籠

左側より見た本殿

明治22年の枚方町村地図

新天野川橋より村野方向
 
相殿・末社合祀殿の写真 相殿(末社合祀殿) 本殿裏にある相殿には、下記の4社が合祀されているが、その由緒など不明との事である。
 ・西野神社(別名・皇大神宮)・・・祭神:アマテラス
 ・次野神社・・・祭神:イチキシマヒメ(航海の神)
 ・乾野神社・・・祭神:アメノミクマリ命(水神)
 ・火産靈神社・・・祭神:ホムスビ命(火の神)
素盞嗚命の物語の写真 素盞嗚命の物語(神社本庁作成氏子のしおりより抜粋)
 取材の時に頂いた神社本庁作成の冊子には、村野神社の御祭神である素盞嗚命が、出雲の国で「八俣の大蛇」に食われそうになっていた櫛稲田姫を助け、退治した大蛇のシッポから出てきた剣を天照大御神に奉り、櫛稲田姫と幸せに暮らした物語が書かれている。

 
【村野神社遥拝所】
 郡津の駅から新天野川橋を渡り、釈尊寺を頼りに坂を登ると、寺の手前に細い道がある。そこを入って行くと小さな森があり、その中に鳥居と大きな岩座が祀られている。
 鳥居には神社名はないが、拝殿風の建物の柱に「村野神社遥拝所」と書かれている。村野神社の南西、山田神社からは東南に位置するが、しめ縄が飾られた2メートルを超す岩座に参拝した時、地図で方向を確認すると北北東の村野神社に向って祈ることになり、遥拝所の意味がよく判る。

 「山田神社」の末社に、寛弘元年(1004年)陰陽師・安倍清明が藤田の里に滞在し、病気快癒の祈祷をした時の加持石(加持祈祷とは病気・災難などを追い払う為の祈祷)を祀ったものとして「石神社(病気全快の神様)」が祀られている。この岩座がそれではないかと言う人もいるが、宮司さんによるとそれは間違いで、村野神社の飛地であるこの地に遥拝所を建立した時、設置した岩であるとのことであった。
 参拝した時は、誰もおらずひっそりとした不思議な空間であったが、岩座にはお神酒の瓶がポツンと置かれており、また鳥居には昭和44年10月氏子中と刻まれている事から、現在もこの地の氏子の皆さんから崇拝されている事が想像できる。


「村野神社遥拝所」全景

手書きの神額

お神酒が置かれている磐座

山車が保管されている倉庫
  

「村野高札場」全景
【村野高札場】
 村野神社と直接には関係ないが、枚方の有形文化財としてこの地区に当時のままの形で保存されている、高札場(こうさつば)を訪問した。
 高札場とは、江戸時代の常設の掲示板がある場所で、村や宿場の人目につきやすい所に設けられていたものである。高札場には、石垣の壇や瓦葺きの屋根が付いていて、普段から1、2枚の高札が掛かっていた。

 現在ここに掛かっている札は、正徳年間(1711年〜1716年)の札を復元したもので、1996年に枚方市の有形文化財に指定されているものである。例えば、キリシタン禁令や、強訴徒党の禁止といった法度掟等の法令や、犯罪人の手配書が掲げられていたとされるが、ここに掛かっている札の内容は、放火犯人逮捕の協力を義務付け、火事場盗賊を戒めたものだ。


横から見た高札場

奉行より発信された札

教育委員会の説明札
 村野駅近くのとても静かな住宅地の中にあり、気づかずに通り過ぎてしまうほど目立たないところに設置してあるが、遠い昔はたくさんの人々がこの高札を見ていたのであろう。その後、現在までこの地がどう変化していったのか、ここにも神社と共に歴史の謎とロマンがある。


保育園の冊子と活動
【地域との連帯】
 水嶋宮司さんは、隣接する保育園の園長を長い間お勤めになり、現在は息子さんんが継がれているが、神社境内にある自然あふれる保育園として、ゼロ歳児から5歳児までの幼児に「よく考え、自分の行動をする子供」を保育目標として熱心な活動をされている。
 又、同じ建物の2階は「桜ヶ丘デイサービスセンター」があり、園児はここの利用者とも定例交流会などを実践し、思いやりの心を育成する事にも尽力されている。神社では正月の注連縄づくり、焼納祭(とんど焼き)また例祭の時の子供神輿やフトン太鼓などを通じ、地域と一体となった活動を展開される。
 大正3年に建築された社務所は、90年が経過し老朽化が激しいため、氏子さんの協力で建て替えることになり、取材に伺った日に工事がスタートされた。

元気いっぱいの子供神輿

布団太鼓

園児と共に注連縄づくり
【取材後の感想】
1. 京阪電車の駅を降り、村野神社に着くまでの周辺を散策すると、神社や寺を囲んで昔からの家と共に新興住宅も多く建っており、新旧混在で発展した町であることが解かります。現在でも正月の15日過ぎに「とんど」焼きが行われており、古い伝統もしっかり継承されている事が感じられました。
2. 神社の成り立ちや、それに関連した枚方の歴史を調べて見ると、非常に興味深い出来事や人物に出会いますが、今回は枚方に一か所だけ残る高札場も見学し、歴史のロマンを感じた取材でありました。
3. 村野神社の紋章を辿っていくと、京都の八坂神社と同じもので特に「木瓜・・もっこう(五瓜に唐花)」紋は一説に胡瓜の切り口のデザインだと言われており(現在は誤りとされている)、京都のこの地域では祇園祭の日には今でも胡瓜を食べない風習があることを、初めて知りました。
4. 少し暖かさも感じる早春の一日でありましたが、鎮守の森に入り石段を上って本殿正面に立つと、風の音は遮られ、何時もながら身の引き締まる気がするのは不思議であります。
取材・写真撮影:金箱、中村、福本、坂本  HP作成:坂本

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