枚方の神社シリーズ 第5回 |
2013/5/24 取材 |
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【御殿山神社の概要】 | ||
◆所在地 | 枚方市渚本町12−55 京阪電車(本線)御殿山駅 徒歩 7〜8分 |
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◆境内の敷地 | 約 6,000坪(御殿山公園などを含む) | |
◆祭神 | ・八幡大神【品陀和気命(ほんだわけのみこと)】=応神天皇 ・稲荷神社・・稲荷大神【宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)】= 豊宇気比賣神(とようけひめのかみ) ・貴船神社・・貴船大神=高龍神(たかおかみのかみ)】 |
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◆創建 | ・西粟倉神社から遷宮し御殿山神社と改称 明治3年(1870年)9月19日 |
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◆主な年中行事 | ・例 祭(秋季大祭) 10月19日 ・春 祭(さくらまつり) 4月15日 ・月次祭 ・・・ 毎月1日、15日 ・大祓式 ・・・ 6月30日、12月31日 ・その他諸祭 |
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【御殿山神社の由緒】
御殿山神社は、枚方市渚本町(旧大字渚)の通称御殿山の丘上に鎮座している。丘からは氏地を見下し、淀川を隔てて山城・摂津の緑美しい山々が見える素晴らしい眺めである。御本社には、応神天皇(品陀和気命・・ほむたわけのみこと)を祀り、境内に稲荷神社、貴船神社の二つの末社があり、氏地は(旧)大字渚一円である。 御殿山の名称は、惟喬親王が渚院を別荘とされた時、この山上に休憩所を造られたのでこの様に名付けられたとか、さらには江戸初期に永井伊賀守が領地支配のため、この山に陣屋を建てたからとも言われている。 その昔、惟喬親王が交野原で猟を楽しまれる時には渚院の別荘に来られたが、親王が俗世間を離れ小野の里で静かに暮らされるようになってからは、渚院の邸も荒れ果てた為、それを寺院に造り改め、後世にこれを観音寺(真言宗)としたのである。その渚院の跡は今も氏地の渚元町(旧大字渚北之町)にあって、鐘楼と寛文元年(1661年)永井伊賀守の家臣で杉井吉通が建立した「河州交野渚院碑」が残っている。 この渚院の邸内跡には、観音寺北隣の栗倉神社の御旅所があった。その栗倉神社は、元和二年(1616年)に小倉村に社殿を造営し、新たに八幡大神即ち品陀和気命(応神天皇)を勧誘し、八幡宮として小倉村・渚村の二村の神社と仰ぎ奉り、文政年間に更に拡張改築された。その頃より渚村に独立した神社を勧請しようという話が起こり、前記の栗倉神社の御旅所に八幡大神を渚の神社として齋き(いつき)祀り、これを西栗倉神社と称した。明治二年に当地に社殿を造営し、明治三年九月十九日に西栗倉神社のお社から御殿山に御遷宮せられて御殿山神社と改称し、現在に至っている。 拝殿内には遷宮時の様子を描いた縦76cm、横176.5cmの絵馬(現在は枚方市指定文化財)が奉納されているが、それには西粟倉神社から御殿山の新社殿への賑々しい祭礼の行列が描かれており、遷宮がいかに盛大なものであったかを知る貴重な資料である。社殿は割拝殿の背後に幣殿(廊下)と本殿が建てられ、本殿は奈良を中心に近畿地方に多く見られる型通りの一間社流造である。幣殿は大正4年に梁間が拡張されているが、本殿・拝殿は当初のまま伝えられている。尚、前身社殿のものとみられる銅製の釣燈籠が幣殿に残されており、「河州/交野郡渚村/北町内安全/嘉永6年/癸丑9月吉日/世話人若中」の透彫を確認できる。 |
貴船神社 | 稲荷神社 | 手水舎 | 天保七年の文字 |
神社・陣屋の説明板 | 御殿山神社遷宮時の絵馬 | デジタルで色修正された絵馬 | 神紋「左三つ巴」 |
素晴らしい眺め・淀川、摂津 | 隣接する御殿山公園 | 駅に通じる急な坂道 | 宮司様の熱心な説明を聞く |
茂山千三郎氏による奉納狂言 | 賑わった夜店の風景 | 御殿山の森の合唱団 | 渚祭り案内と神社発行機関紙 |
【取材後の感想】 |
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取材:金箱、中村、山添、坂本 レポータ:坂本 |
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