2017年 枚方北支部 秋のレクリェーション

伊勢神宮ご参拝 & おかげ横丁 & 忍術屋敷

2017年10月18日(水)

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バスに乗り込む
【 枚方出発 】
 秋雨前線による長雨が連日続いている中、「秋のレクリェーション」出発の日は久しぶりに太陽が顔を出す朝となりました。バスの到着が約10分遅れたものの、参加者総勢66名が2台の観光バスに分乗し、予定より少し早い午前7時55分に「ラポール枚方」を発車しました。
 今回、初の試みとして、1号車はご夫婦で参加の12組の方、2号車は単身参加のおじさま方という配車での旅行となりました。
 今回の行程は、ラポール枚方 ⇒ <枚方東~第二京阪・京滋バイパス・名神高速・新名神(土山SA休憩)・東名阪・伊勢自動車道~伊勢西> ⇒ 宇治橋(休憩・記念撮影) ⇒ 伊勢神宮内宮参拝 ⇒ おはらい町「岩戸屋」(昼食) ⇒「おかげ横丁」(散策・買い物) ⇒ <伊勢~伊勢自動車道・東名阪・新名神~甲南> ⇒ 甲賀流忍術屋敷 ⇒ <甲南~名神(草津PA休憩)・京滋バイパス・第二京阪~枚方東> ⇒ ラポール枚方と、バス移動の多い行程ではありましたが、大きな渋滞もなく、また何と言っても連日天候不順が続く中であるにもかかわらず、一日中雨に降られることはなく、快適な旅行となりました。

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江守支部長の挨拶
【 伊勢神宮 】
 「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しく呼ばれる伊勢神宮は、正式には地名の付かない「神宮」といいます。神宮は、皇室の御先祖であり私たち国民から総氏神のように崇められる天照大御神をお祭りしている「内宮=皇大神宮(ないくう=こうたいじんぐう)」と、衣食住を始め産業の守り神である「外宮=豊受大神宮(げくう=とようけだいじんぐう)」、更に14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社、これら125全ての宮社を含めて神宮といいいます。
 途中、バスの中での支部長の挨拶では「大阪では過去13歳になると学校の旅行でお伊勢参りをする「十三参り」という習慣があった」というような紹介がありました。
 また、ガイドさんからは亀山、伊勢地方にまつわる様々な逸話の紹介があり、「関の山」や「あこぎ」がこの地方に由来する言葉であることなど、興味深く聞くことができました。
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1号車の皆さん(拡大できます)
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2号車の皆さん(拡大できます)
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内宮入り口の宇治橋

【 内宮=皇大神宮 参拝 】
 内宮前の駐車場に到着、内宮入口の宇治橋前の鳥居横で記念撮影の後、内宮参拝に向かいました。
 宇治橋をわたり、玉砂利を敷き詰めた長い参道を進むとそこは神域、「心のふるさと」と称される日本の原風景が広がります。
 神苑を横に玉砂利を進み、手水舎で手と口とを洗い清め、五十鈴川御手洗場で身も心もリルレッシュした後、森の中のような参道を進むと左手に立派な屋根の神楽殿が見えてきます。
更に森の参道を奥へ進みながらだんだんと厳かな気持ちになってきた頃、左手の階段の上に正宮が現れます。賽銭をお供えし、二拝二拍手一拝で健康と家族の安泰を祈願してお参りを終えました。
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神苑横の玉砂利参道を進む
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手水舎
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五十鈴川御手洗場
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神楽殿
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森の参道
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内宮 正宮参拝

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「岩戸屋」に到着
【 昼食懇親会 】
 内宮参拝後、内宮のすぐ横から始まる「おはらい町通り」入口付近、創業明治43年、お多福がトレードマークの「岩戸屋」にて、江守支部長の乾杯の音頭で懇親会が開始されました。
 海に近いためか、サザエ、ホタテ、エビの蒸し物、お刺身、海藻の和物と海の幸が盛り沢山で、大変美味しくいただきました。お酒は、気温が低かったせいか、ビールより日本酒の追加が多く、お世話役の方が何度も追加注文しておられ、お陰様で大変盛り上がった歓談となりました。
 また、恒例の「愛の募金」にも皆さん積極的に参加しておられました。
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支部長の音頭で乾杯
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昼食懇談風景 一列目
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昼食懇談風景 二列目
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昼食懇談風景 三列目
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昼食懇談風景 四列目
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愛の募金

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おはらい町通り 再現された江戸時代の町並み
【 おはらい町、おかげ横丁 】
 昼食懇親会の後は自由散策、「岩戸屋」の辺りから五十鈴川沿いに約800mにわたって続く石畳の通りには、江戸時代の町並みが再現され、お伊勢さん特有の切妻造り・入母屋造り・妻入様式の町並みが軒を連ねています。通りにはたくさんの土産物店・飲食店や商家が立ち並び、レトロな雰囲気たっぷりの通りは歩いているだけで楽しい気分になってきます。
 更に、おはらい町通りの中央辺りには、江戸時代から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が再現、移築された「おかげ横丁」があり、伊勢志摩ならではの食事処やお土産屋が立ち並んでいます。まるでタイムスリップしたような町並みをのんびりと歩きながらも、ワクワクするような楽しい買い物をすることができました。
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おはらい町通り裏を流れる五十鈴川
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おかげ横丁入口付近
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おかげ横丁 再現された伊勢路の建築物

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甲賀流忍術屋敷
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忍者現わる
【甲賀流忍術屋敷】
 伊勢からの帰路の途中、新名神の甲南ICで高速を降り、「甲賀流忍術屋敷」に立ち寄りました。
 甲賀流忍術屋敷は、甲賀流忍者 甲賀五十三家筆頭格 甲賀望月氏本家の旧邸であり、江戸時代元禄年間に建立され、内部に防御建築として多くの巧妙なからくりが施された、今に残る本物の忍術屋敷です。
 屋敷内では、忍者装束や、手裏剣・まきびし等の様々な武器、秘伝書等の展示があり、また至るところに「どんでん返し」「落とし穴」「隠し部屋」のように、防御のためや侵入者を追い込むためのからくりが施してあり、忍者の生活や戦い方を目の当たりに体験することができました。

「望月氏と甲賀忍者」について
 望月氏はもとは長野県の武家の名族滋野氏が分家したもの、平安時代に平将門の乱で武功のあった望月三郎兼家が、朝命により甲賀十六ヶ村を贈られ、九曜星の紋を用いた甲賀望月を起こしました。
 甲賀忍者を一躍有名にしたのが、鈎(まがり)の陣という戦です。領地の民のための良政を行うがゆえ、室町幕府のいうことを聞かず勝手な行政を続ける甲賀の豪族・六角高頼を、将軍・足利義尚が2万の大群を率いて攻め入ったとき、六角高頼を助けたのが甲賀五十三家の武士団。神出鬼没の戦いや、火や煙を用いた奇襲戦術で敵陣を攻めて勝利した戦いが鈎の陣で、その戦闘能力の高さから「甲賀忍者」と呼ばれるようになりました。
 この時の甲賀武士団五十三家の筆頭が、望月出雲守で、戦国時代には伊賀
「服部」、甲賀「望月」と称されるようになります。
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忍者装束、水蜘蛛等の展示
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手裏剣、撒菱(まきびし)、角手、猫手etc.
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仕込み杖、仕込み鉄砲、仕込み小刀
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落し穴
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屋根裏に通じる隠し梯子
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高さ1~1.5mの天井の屋根裏部屋

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バスの中での健康クイズ
【枚方へ到着】
 甲賀流忍術屋敷の見学を終え、枚方へ向けて帰路につきました。
 途中名神高速草津SAでトイレ休憩の後、バスの中では恒例の「健康クイズ」が行われ、皆さんグー、チョキ、パーを出しながら熱心に参加されていました。
 枚方東ICで高速を降りた後、僅かに渋滞気味ではありましたが、ほぼ予定通りの18時11分にラポール枚方裏に到着しました。全行程を通して天候にめぐまれ、雨に降られることもなく、伊勢神宮内宮参拝、おはらい町通り、おかげ横丁、甲賀流忍術屋敷周辺をゆっくりと歩く旅を楽しむことが出来ました。

写真撮影:石川、福本、宮元、多々納 HP作成:多々納  

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