2014年 枚方北支部 社会見学会

生野銀山と出石を訪ねる旅

2014年9月18日(木)

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【 枚方出発 】

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1号車前で事前打ち合わせ

 暑さも和らぎさわやかな秋晴れとなった当日の朝は、集合場所の「ラポール枚方」裏の道路には”四国八十八ヶ所巡り”ほかのバスが数台停車し多くの人が集まっていました。私達の「社会見学会」には83名の方々が参加され、バス2台で予定通り7時30分に出発しました。
交通渋滞もほとんどなく順調に近畿自動車道摂津南ICから中国自動車道へ向い、懸念された宝塚付近での渋滞も大したことはなく、予定より少し早く最初のトイレ休憩地の赤松PAに到着。20分休憩後、福崎ICから播但連絡道路に入り生野ランプで降り国道312号線・429号線を通って、予定より少し早く最初の見学地である生野銀山に到着しました。

【 生野銀山の見学 】
● 生野銀山の歴史

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鉱山資料館

  生野銀山は大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、室町年間の天文11年(1542年)に銀鉱脈の本格的な採掘が始まった。江戸時代には幕府が「銀山奉行」を配置、その後「生野代官所」が置かれ、佐渡金山、石見銀山と並び天領として徳川幕府の財政を支えた。明治元年(1868年)に日本初の政府官営鉱山、明治22年(1889年)には皇室財産となり、明治29年(1896年)に三菱合資会社へ払い下げられ国内有数の大鉱山として稼働してきたが、昭和48年(1973年)に閉山となった。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350Km以上、880mの深さまで達している。現在は、銀山隆盛の歴史を伝える「金香瀬坑(かながせこう)」を観光坑道として公開しており、坑道内コースは全長約1Km、年間約13度の気温。また「鉱山資料館」では江戸時代の鉱石を掘り出す作業を再現した”坑内立体模型”を含め銀山の歴史を伝える資料が展示され、「生野鉱物館」では銀山の歴史・文化・鉱山の科学などをテーマとした展示もある。
● 生野銀山の見学

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生野銀山 代官所門

  到着後に先ず「代官所門」の前で、バスの号車ごとに全員の記念写真撮影をしました。その後、観光坑道の入口前でボランティアの方から生野銀山の歴史や概要説明を受けました。急に小雨が降り出し少し慌てましたが大きな支障にはならず、観光用ルートに従い、各人が自由に坑道内を見学しました。坑道内は思っていたより広く、標識による案内や往時の状況を伝える種々の展示物の説明も整っており興味深く見学を楽しむことができました。”江戸時代採掘ゾーン”、”近代 採掘ゾーン”、”捲揚・エレベーターゾーン”等があり、坑内作業を説明する人形や機械により大変解りやすい展示となっていました。人ひとりがやっと入れる狭い坑道の中で金槌とノミで作業をした”狸掘り”と呼ばれる江戸時代の採掘や、掘削機や巨大な捲揚ドラムの付いた捲揚機等の展示が特に印象に残りました。バスガイドさんの話では、江戸時代に生野銀山で働いた鉱夫達は過酷な労働や肺に粉塵を吸いこむなどのため平均寿命は25歳ほどと短く、そのため女性の再婚率が高く3人の夫を持つことも珍しくはなかったとのことでした。
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バス1号車の皆さん
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バス2号車の皆さん
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ボランティアの方から説明
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観音岩(坑道入口前)
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観光坑道入口
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観光坑道出口
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馬蹄形鋼枠二枚合掌の坑道
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一般的な坑道
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狸掘りの坑道(江戸時代)
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手掘りの作業(江戸時代)
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掘削機による採掘
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ドラム付き捲揚機

【 昼食懇談会 】

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昼食懇談会場「そば藤」

 生野銀山を見学後、昼食懇談の地である出石町に向いました。途中バスの窓から古城山(標高約354m)と山頂の国指定史跡”竹田城跡”の石垣をわずかに見ることができました。予定より10分程早く出石城跡の北、大手前通りに面した「そば藤」に到着し、その2階大広間で昼食懇談会が開始されました。今回は食事時間を十分確保すべく、事前にバスの各号車で支部長からのご挨拶が済んでいたため、最初に恒例の「支部行事参加5ポイント達成者の表彰」を行い、続いて支部長の乾杯の音頭で昼食懇談会が始まりました。出石名物の皿そば(5皿)、鯛のお造り、季節の料理などに舌鼓を打ち、飲み物も十分でゆっくり食事や懇談を楽しみました。終了後、バスで出石城跡近くの西の丸駐車場に移動しました。

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「そば藤」入口
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支部長の音頭で乾杯
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昼食の出石皿そばセット
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昼食懇談風景Ⅰ
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昼食懇談風景Ⅱ
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昼食懇談風景Ⅲ
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昼食懇談風景Ⅳ
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昼食懇談風景Ⅴ

【 出石町内の見学・散策 】
● 出石永楽館の見学

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幟がはためく「永楽館」

 西の丸駐車場でバスを降り北へ少しだけ歩いて「出石永楽館」に着きました。明治34年(1901年)建造の近畿地方最古の芝居小屋を修復前の木材を8割再利用し明治時代の工法で復元したもので、近年は歌舞伎俳優の片岡愛之助さんもこの舞台に立たれているとのことです。興行の無い日には一般公開をされており、おかげで私達も廻り舞台や役者の衣裳部屋・”奈落”などの舞台裏や装置を興味深く見学をすることができました。
 
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入口から舞台への廊下
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歌舞伎興行の宣伝
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館員の説明を聞く皆さん
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”奈落”(舞台下)の廻り舞台装置
● 出石町内の散策

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出石城下絵地図

 永楽館の見学終了後は、”但馬の小京都”とも呼ばれる出石の町を各人が自由に散策しました。永楽館から歩いて数分の所に辰鼓楼(しんころう)があります。明治4年(1871年)に旧三の丸大手門脇の櫓台に建設、その後オランダ製の大時計が寄贈され今日まで時計台として親しまれているそうです。さらに、このあたりは ”重要伝統的建造物群保存地区”に指定されているだけに、出石城跡を始めとして家老屋敷・旧邸・社寺など仙石氏が治めた城下町の往時を伝える町並みが随所に見られました。スケジュールの都合で十分な散策時間が取れなかったのが少し残念でしたが、また訪れてみたい風情のある静かな町並みに感銘を受けました。

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「出石城跡」隅櫓や登城門・登城橋
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辰鼓楼Ⅰ
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辰鼓楼Ⅱ
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家老屋敷
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「出石城跡」近辺の町並みⅠ
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「出石城跡」近辺の町並みⅡ
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「出石城跡」近辺の町並みⅢ
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「出石城跡」近辺の町並みⅣ

【帰阪】

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道の駅「但馬のまほろば」

 出石町内の散策を終え、予定通り15時頃に枚方へ向かい出発しました。帰りは少し道を変え、和田山ICから北近畿豊岡自動車道に入り、途中「道の駅 但馬のまほろば」に立ち寄りトイレ休憩や買物をしました。遠阪トンネル内での故障車により約20分交通渋滞に遭いましたが、その後は順調に舞鶴若狭自動車道を経由して、朝と同じく中国自動車道赤松PAで最後のトイレ休憩を済ませ、近畿自動車道に入り摂津南ICで降りて「ラポール枚方」裏に19時10分過ぎに無事到着し、散会となりました。


写真撮影:天野、倉橋、福本、石川
HP作成:石川

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