2013年 枚方北支部 秋のレクリェーション |
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奥丹波紅葉三山お寺巡りと水分かれ公園散策 |
2013年11月21日(木) |
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丹波の高源寺は、山号を瑞巌山と言い、1325年(鎌倉時代)に開創された臨済宗中峰派(りんざいしゅうちゅうほうは)の本山のお寺で、名前は後醍醐天皇より賜ったものだそうです。しかし"織田信長"の丹波攻めでことごとく焼失し、享保の時代に"天岩明啓"(てんがんめいけい)禅師によって再興され、1799年柏原藩の援助で再建され現在に至っており、建物は、惣門、山門、仏殿、方丈、鐘楼、多宝塔などがあります。また、高源寺のカエデは、開山された遠谿祖雄禅師が中国杭州の天目山で禅の修行をされ、そこの"天目カエデ"を持ち帰って境内に植えたもので、葉が小さく、葉の切れ目が深く、枝が垂れ下がることが特徴だそうです。今年は天候の関係で葉が部分的に枯れていたのが少し残念でしたが、全体的にはそこそこの色づきを観賞でき満足のできるものでした。方丈の右手にある鐘楼横でカエデと多宝塔を背にして、バスごとに分かれて全員で記念写真を撮影し、名物の丹波栗や地産のお土産を購入し、次の予定地円通寺に向けて出発しました。 |
お地蔵さん横を通過、高源寺へ |
高源寺・惣門前の石碑 |
高源寺・山門を潜り仏殿へ |
仏殿に向う会員の皆さん |
方丈前でカエデを眺める |
3号車の集合写真 |
2号車の集合写真 |
1号車の集合写真 |
多宝塔前を下る会員の皆さん |
丹丘荘と前方の民家 |
高源寺・もみじ公園 |
売店でお土産を購入 |
円通寺を拝観するべく、駐車場に到着したのは予定時間を30分と大幅に遅れての到着でした。 |
円通寺石碑 |
円通寺石碑横の看板 |
円通寺、道の紅葉 |
円通寺入門口前の紅葉 |
大杉/山門と紅葉/放生池 |
樹齢700年の大杉 |
放生池の紅葉 |
山門から本堂への石段 |
鐘楼、お坊さんの鐘突き |
本堂からの葬儀行列を見送る |
本堂横の水琴窟 |
円通寺の紅葉 |
「水分かれ公園」の見学をパスしたお陰で、予定通り「ささやま玉水」での昼食懇談をスタートさせることができました。会場が少し手狭で115名が全員揃うと窮屈感は否めませんでしたが、支部長のご挨拶に続き、恒例の参加回数5回以上達成者のお方の表彰を実施後、副支部長の音頭で懇談がスタートしました。食事は、丹波牛のすき焼き、焼き松茸に土瓶蒸しなどに舌鼓を打ちました。今年度最後の懇談で盛り上り、懇談時間の1時間30分も束の間の様に過ぎて行き、予定時間の14時30分に懇談を終了し、出発までお土産の買い物に追われてあっと言う間の時間でした。 |
支部長のご挨拶 |
昼食時の食事メニュー |
昼食懇談風景T |
昼食懇談風景U |
昼食懇談風景V |
昼食懇談風景W |
昼食懇談風景X |
昼食懇談、中締め |
由緒あるお寺岩屋山「石龕寺」は縁起書によると、"用明天皇"の丁未の年"聖徳太子"の開基と伝えられているそうです。"聖徳太子"が物部氏を征伐された時、自ら昆沙門天の尊像を刻み、兜の真甲に戴いて戦い大勝されたと伝えられています。また太平記には"足利尊氏"とその嫡子"義詮"がこの地に身を寄せたと記されており足利氏とゆかりが深いことが伺える様です。またこのお寺も"織田信長"の丹波攻めで、ことごとく焼失しましたが、歴代の住職や信徒の尽力で復興を遂げたとのことです。山門の金剛力士立像は1242年に前肥後法橋定慶の作と言われ国の重要文化財となっています。 |
岩屋山(石龕寺)の石碑 |
仁王門への道中 |
石龕寺・仁王門 |
山頂の奥の院拝殿 |
石龕寺扁額(仁王門) |
仁王門の金剛力士立像 |
仁王門から本堂へ |
水子地蔵前の紅葉 |
毘沙門堂への階段 |
毘沙門堂(本堂) |
水琴窟庭園 |
薬師堂の紅葉 |
秋の日暮れはつるべ落しと言われるように、石龕寺出発時間の16時15分頃には、既に夕暮れを感じる状態でした。帰りは少し道を変え、加古川中流の景勝地、加東市の闘竜灘の鮎釣りで有名な加古川沿いを滝の社ICに向い、中国自動車道を通って朝と同じ赤松PAで最後のトイレ休憩を済ませ、近畿道から門真を通って枚方ラポール横に16時45分頃到着し、秋のレクリェーションを無事終了しました。 |
写真撮影:天野、石川、江守、福本、大熊 記事作成、HP作成:大熊 |
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