2013年 枚方北支部 秋のレクリェーション
奥丹波紅葉三山お寺巡りと水分かれ公園散策
2013年11月21日(木)
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最初のトイレ休憩赤松PA
最初のトイレ休憩赤松PA
目的地行き先地図
目的地行き先地図
【枚方出発】

今年は秋の訪れを通り越え、いきなり冬の気候が訪れた様な寒い日が続く中では、秋らしい晴れの天気で、我々の今日一日を歓迎するかの様な朝の天候の中、枚方ラポール横に7時15分に集合、7時30分に出発しました。今回は参加人員が過去最高の115名となりバス三台での旅行となりました。出足から交通渋滞の中、名神茨木ICから中国自動車道へ向いましたが、例により宝塚付近で更なる渋滞に巻き込まれました。最初のトイレ休憩赤松PAに到着15分休憩後、吉川JCTから舞鶴若狭自動車道を通り春日ICそして北近畿豊岡自動車道を通り青垣ICを降りて目的地へ向かいました。最初の観光地は奥丹波の高源寺ですが、高源寺の駐車場に到着したのは、交通渋滞の影響で予定より約20分遅れで到着しました。


奥丹波地方全体、高源寺、円通寺、水分かれ公園、昼食休憩所(ささやま玉水)、石龕寺など全てを記載し、目的地への道順が分かり易く表示された地図を掲載しましたのでご覧下さい。


高源寺駐車場にて
高源寺駐車場にて
【高源寺】拝観

丹波の高源寺は、山号を瑞巌山と言い、1325年(鎌倉時代)に開創された臨済宗中峰派(りんざいしゅうちゅうほうは)の本山のお寺で、名前は後醍醐天皇より賜ったものだそうです。しかし"織田信長"の丹波攻めでことごとく焼失し、享保の時代に"天岩明啓"(てんがんめいけい)禅師によって再興され、1799年柏原藩の援助で再建され現在に至っており、建物は、惣門、山門、仏殿、方丈、鐘楼、多宝塔などがあります。また、高源寺のカエデは、開山された遠谿祖雄禅師が中国杭州の天目山で禅の修行をされ、そこの"天目カエデ"を持ち帰って境内に植えたもので、葉が小さく、葉の切れ目が深く、枝が垂れ下がることが特徴だそうです。今年は天候の関係で葉が部分的に枯れていたのが少し残念でしたが、全体的にはそこそこの色づきを観賞でき満足のできるものでした。方丈の右手にある鐘楼横でカエデと多宝塔を背にして、バスごとに分かれて全員で記念写真を撮影し、名物の丹波栗や地産のお土産を購入し、次の予定地円通寺に向けて出発しました。
 

お地蔵さん横を通過し高源寺へ
お地蔵さん横を通過、高源寺へ
高源寺・惣門前の石碑
高源寺・惣門前の石碑
高源寺・山門を潜り仏殿へ
高源寺・山門を潜り仏殿へ
高源寺・仏殿に向う会員の皆さん
仏殿に向う会員の皆さん
高源寺・方丈前でカエデを眺める会員の皆さん
方丈前でカエデを眺める
3号車の集合写真
3号車の集合写真
2号車の集合写真
2号車の集合写真
1号車の集合写真
1号車の集合写真
多宝塔前を下る会員の皆さん
多宝塔前を下る会員の皆さん
高源寺・丹丘荘と前方民家
丹丘荘と前方の民家
高源寺・もみじ公園
高源寺・もみじ公園
高源寺の売店でお土産を購入
売店でお土産を購入

円通寺のバス駐車場
円通寺のバス駐車場
田んぼ道から円通寺全体の紅葉を撮影
円通寺全体の紅葉
【円通寺】拝観

円通寺を拝観するべく、駐車場に到着したのは予定時間を30分と大幅に遅れての到着でした。
永谷山円通寺の歴史を少し紹介しますと、南北朝時代(1382年)に"足利義満"が"後円融天皇"の勅命を奉じて創建した曹洞宗のお寺ですが、ここも"織田信長"の丹波攻めで焼払われましたが、豪士"荻野喜右衛門"が明智光秀の本陣に赴き説得し兵火を免れたとも寺伝に記されているそうです。そして焼払われた本堂が再建されたのは1840年とのことで、御本尊は如意輪観世音菩薩像で"後小松天皇"が御自らお彫りになったものを下賜されたと伝えられています。本堂の屋根やお寺のあちこちに"足利氏"の家紋と近衛家の家紋が見られ、当時の武家と公家の尋常ならざる事情が伺えるのでも有名だそうです。
 当日、その入口にある石碑を眺めながら少し入ると葬儀の霊柩車が停められていましたが気にせず山門を入り、放生池や樹齢約700年の円通寺大杉を眺めながら本堂前の鐘楼に行くとタイミング良くお坊さんが鐘を撞き始められ、運が良いと写真撮影しながら聞入っていると「道を空けて下さい」と喪服姿の方から言われて、前を見ると葬儀の行列が通り掛るところでした。誰のご葬儀ですかとお聞きすると当寺のご住職のご葬儀とのことで、写真を撮るのも憚るので暫く手を止めて行列を見送り、やっと霊柩車が置いてあった理由が理解できました。本堂の写真もそこそこに、行列の後を追うように本堂を後にしたのが印象的でした。
 そして駐車場に戻って、次の行き先に向かうにも予定時間を大幅に超えているため「水分かれ公園」見学中止を聞かされ、昼食懇談場所の「ささやま玉水」に直行しました。

円通寺石碑
円通寺石碑
円通寺石碑横に立つ永谷山円通寺由来「歴史と四季の彩り」看板
円通寺石碑横の看板
ゲートまでの道の紅葉
円通寺、道の紅葉
円通寺入門口前の紅葉
円通寺入門口前の紅葉
左・大杉/中央・山門と紅葉/右・放生池
大杉/山門と紅葉/放生池
樹齢700年の円通寺大杉
樹齢700年の大杉
円通寺放生池の紅葉
放生池の紅葉
円通寺山門から本堂への石段
山門から本堂への石段
円通寺鐘楼にてお坊さんの鐘突きを撮影
鐘楼、お坊さんの鐘突き
本堂から出る葬儀行列を見送る
本堂からの葬儀行列を見送る
円通寺・本堂横の水琴窟
本堂横の水琴窟
円通寺の紅葉
円通寺の紅葉

昼食休憩場所(ささやま玉水)
昼食休憩場所
【昼食懇談】ささやま玉水

「水分かれ公園」の見学をパスしたお陰で、予定通り「ささやま玉水」での昼食懇談をスタートさせることができました。会場が少し手狭で115名が全員揃うと窮屈感は否めませんでしたが、支部長のご挨拶に続き、恒例の参加回数5回以上達成者のお方の表彰を実施後、副支部長の音頭で懇談がスタートしました。食事は、丹波牛のすき焼き、焼き松茸に土瓶蒸しなどに舌鼓を打ちました。今年度最後の懇談で盛り上り、懇談時間の1時間30分も束の間の様に過ぎて行き、予定時間の14時30分に懇談を終了し、出発までお土産の買い物に追われてあっと言う間の時間でした。

昼食懇談開始前に挨拶される支部長
支部長のご挨拶
昼食時の食事メニュー
昼食時の食事メニュー
昼食懇談風景T
昼食懇談風景T
昼食懇談風景U
昼食懇談風景U
昼食懇談風景V
昼食懇談風景V
 昼食懇談風景W
昼食懇談風景W
昼食懇談風景X
昼食懇談風景X
昼食懇談、中締めに拍手
昼食懇談、中締め

車を降りて石龕寺へ向う会員の皆さん
車を降りて石龕寺へ
【石龕寺】(せきがんじ)拝観

由緒あるお寺岩屋山「石龕寺」は縁起書によると、"用明天皇"の丁未の年"聖徳太子"の開基と伝えられているそうです。"聖徳太子"が物部氏を征伐された時、自ら昆沙門天の尊像を刻み、兜の真甲に戴いて戦い大勝されたと伝えられています。また太平記には"足利尊氏"とその嫡子"義詮"がこの地に身を寄せたと記されており足利氏とゆかりが深いことが伺える様です。またこのお寺も"織田信長"の丹波攻めで、ことごとく焼失しましたが、歴代の住職や信徒の尽力で復興を遂げたとのことです。山門の金剛力士立像は1242年に前肥後法橋定慶の作と言われ国の重要文化財となっています。
 仁王門に着いた時に奥の院拝殿の説明を受け、その場所を眺めると山の頂上付近にそびえ立っていました、何も無い昔の時代に良くぞ建てられたものと驚かされました。仁王門から本堂まででも結構の距離があり、その本堂からまだ約800メートル以上もあると聞き、拝観時間内ではとても行けないと思いました。下からズームで写真撮影で済ませました。
 今年の紅葉について、朝晩と昼の温度差がかなりある様に感じていましたので、かなり期待していましたが、全体的にはそれほど凄い紅葉ではなかったのですが、部分的には素晴しい紅葉も見られ良かったと感じました。

 
岩屋山(石龕寺)の石碑
岩屋山(石龕寺)の石碑
仁王門への道中、紅葉を眺め和気藹々の会員の皆さん
仁王門への道中
石龕寺・仁王門
石龕寺・仁王門
仁王門から山頂にある奥の院拝殿を撮影
山頂の奥の院拝殿
石龕寺扁額(仁王門)
石龕寺扁額(仁王門)
石龕寺・仁王門の金剛力士立像
仁王門の金剛力士立像
石龕寺・仁王門から本堂へ
仁王門から本堂へ
水子地蔵前の紅葉を眺める会員の皆さん
水子地蔵前の紅葉
石龕寺・毘沙門堂への階段を登る会員の皆さん
毘沙門堂への階段
石龕寺・毘沙門堂正面を撮影
毘沙門堂(本堂)
石龕寺の水琴窟
水琴窟庭園
石龕寺薬師堂の紅葉
薬師堂の紅葉

石龕寺出発前のバス駐車場
石龕寺出発前のバス駐車場
【帰阪】

秋の日暮れはつるべ落しと言われるように、石龕寺出発時間の16時15分頃には、既に夕暮れを感じる状態でした。帰りは少し道を変え、加古川中流の景勝地、加東市の闘竜灘の鮎釣りで有名な加古川沿いを滝の社ICに向い、中国自動車道を通って朝と同じ赤松PAで最後のトイレ休憩を済ませ、近畿道から門真を通って枚方ラポール横に16時45分頃到着し、秋のレクリェーションを無事終了しました。


写真撮影:天野、石川、江守、福本、大熊
  記事作成、HP作成:大熊
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