早朝の集合場所 |
早朝6時50分に樟葉駅に集合し7時丁度に出発、第二京阪高速道路八幡東ICから京滋バイパスを通り、名神高速に入り養老SAで15分のトイレ休憩後、小牧JCTから中央道へ入り恵那ICで降りて最初の目的地恵那峡遊覧船のりばに、予定時刻より15分程度早い9時50分過ぎに到着しました。
★実施日 2011年11月24日(木) 晴れ時々曇り
★行き先 恵那峡遊覧船観光と馬籠宿散策
★参加人員 76名
○ 恵那峡ジェット遊覧船観光
恵那峡は、木曽川中流の渓谷で、大正9年に当時の地理学者「志賀重昂」(しがしげたか)氏によって奇岩の調和を称え「恵那峡」と命名され、大正13年に、電力王「福沢桃介」(ふくざわももすけ)氏が日本初のダム式発電所「大井ダム」として、標高300mの高さに位置している木曽川の急流をせき止めてできた大人造湖で県立自然公園になっている。現在も関西方面に48,000KWの電力が供給されているとのことです。今年の秋は余り大きな寒暖の差がなく、紅葉を楽しむには少し不満の恵那峡遊覧でしたが、自然に囲まれた湖の両岸にそそり立つ恵那峡のハイライト、天然記念物の断崖絶壁の奇岩「屏風岩」、「獅子岩」、「軍艦岩」、「品の字岩」、「名無岩」など、数々を目の当たりにし、またそこに飛来する野鳥の「オシドリ」、「マガモ」などが我々の遊覧を歓迎しているように感じました。そして川の沿岸には大遊園地として「恵那峡ワンダーランド」も遊覧船からも眺められ、その遊園地をつなぐ壮大な陸橋「恵那峡大橋」も遊覧船からの眺めは実に見事なもので、ジェット遊覧船による遊覧時間30分の観光は瞬く間でしたが、見応えのある遊覧を済ませ、次の予定地である昼食宴会場の「かんぽの宿恵那」に予定時間通り11時15分に到着しました。
○ 「かんぽの宿恵那」昼食宴会場
かんぽの宿に着くと大半の会員は温泉に直行し、朝早くからのバスによる移動の疲れを癒しました。「かんぽの宿」の昼食宴会会場から恵那湖が一望に見渡すことができ、その向こうには中央アルプスの山並みが実に素晴しく、温泉での癒しの後に外を眺めていると、その山並みに虹がかかりその眺めを写真撮影しながら、癒しが増幅され大いに満たされ気分で昼食宴会が和やかに始まりました。
支部長から”早朝からの旅に対してお疲れ様でした”とのご挨拶があり、次に行事参加表彰者9名に粗品を進呈し、グラスにビールを注ぎ支部長の乾杯の音頭で宴会がスタートしました。昨年同様に宴会の途中に支部長より、他支部からご転入され今回初参加のご夫婦を皆さんにご披露され、お二人に自己紹介して頂き、拍手でご転入が大歓迎されました。宴会予定時間の1時間15分は瞬く間に過ぎ、副支部長のご挨拶で宴会を終了、その後玄関前に集合し、バスの配車ごとの記念撮影で名残を惜しみ、一路「木曽馬籠宿」に向かいました。
○ 木曽馬籠宿散策
当初馬籠宿へは、恵那ICから中津川ICへ高速道を行く予定でしたが、一般道を通っても時間は変らないとのバス運転主さんの判断で一般道を行きましたが、途中道路工事で渋滞があり予定時間の14時に着くか心配しましたが、予定通りに着き安堵しました。
その昔「木曽路」は「木曽街道」とも呼ばれ「東海道」ともに江戸と京都を結ぶ大動脈で、本州の中央を通る道であるから「中山道」と改めるべきとして「中山道」となった。馬籠宿は中山道69宿の43番目の宿場で、江戸日本橋から83里(333km)に位置する宿場町で、山の尾根に沿った急斜面に石垣を築いて屋敷が造られ「坂のある宿場」が特徴ですが、水に恵まれず火災の多いのも特徴の一つで、1839年〜1915年までの間に240棟以上を消失しているとのことで、「馬籠宿」は上入口から下入口まで全長600m程度の宿場であるとのことです。上入口でバスを降り、散策を開始しました。はじめに展望台に登り馬籠宿全景を眺め、木曽山脈の最南端にある標高2,191mの恵那山を眺めその雄大な景色に見とれ、各人思い思いに記念写真を撮り始めました、暫くすると空模様が怪しくなり、風が一段と強くなり寒さも増して、みぞれ交じりの雨になり、一時的におみやげ屋さんに立寄り暫く暖を取り休憩、抹茶を飲み、五平餅を食べ、みやげ物を買い求めた後、集合場所の馬籠館に集まり、予定時刻の15時に馬籠宿を後にしました。帰りは中津川ICより高速に乗り、途中”内津峠(うつつとうげ)”で休憩、さらに名神高速に入って、”多賀PA”で2度目の休憩を取り京滋バイパスを経由し、18時45分頃に出発点の樟葉駅に無事帰着、楽しい充実した一日を満喫しました。
写真撮影協力者:井須/倉橋/江守/大熊
記事作成担当:大熊 |
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養老サービスエリア休憩所 |