龍 王 山   三 瀧 寺
 平和の祈り灯す慰霊の寺
 
舞台造りの「本 堂」
 大田川から分かれた7つの川の、デルタに拓けた豊かな町・広島市は、昭和20年(1945)8月6日、原爆によって一瞬にして廃墟となった。爆心地から3Km余り離れた三瀧寺も、爆風で諸堂が半倒壊し、水を求めて避難してきた被災者が境内に溢れたという。
 参道入り口に見上げる丹塗りの多宝塔は、原爆犠牲者の菩提を弔うため、和歌山の広八幡神社より遷座したもの。塔内には河内の日野村から迎えた阿弥陀如来坐像(国重文)を安置し、毎年8月の広島原爆忌と秋の御開帳法会の折には、犠牲者の冥福と平和開顕が念じられる。
 山陽随一の近代都市として復興した広島市の北西、三瀧山の中腹に位置する三瀧寺は「みたき観音」として親しまれる古刹である。
 寺伝によれば、大同4年(809)弘法大師空海が唐からの帰路この地に立ち寄り、末世有縁の霊地なりと聖観世音菩薩の種字(梵字)を石に刻み瀧の飛沫のかかる岩窟に安置したことに始まる。以来、1200年に亘り観音霊場として法灯を伝え、芸州銀山城主・武田氏や安芸藩主・浅野氏の庇護を受けると共に、広く民衆の信仰を集めてきた。 

原爆犠牲者の菩提を弔う多宝塔

補陀落の庭

 市街地からそう遠くない立地でありながら、境内は深山幽谷の趣深く、寺の由来となった「駒ヶ滝」「梵音の滝」「幽明の滝」の3滝が瀬音を響かせる。
 「一歩登れば 一歩に佛 夏木立」と詠まれる参道には、磨崖仏や表情豊かな羅漢像、ゆかりの文学碑、そして数多くの慰霊碑が平和を願う心に語りかける。
 観音巡礼の挨拶にと参詣者が撞く鐘の音に励まされ、渓谷沿いに続く険しい坂道を登ると茅葺きの茶堂が見えてくる。落差30mの梵音と滝と補陀落の庭が見事である。
 補陀落の庭は、別名「立石の庭」とも呼ばれ、滝との調和を考えて石組みがすべて立っているのが特徴で、風流な茶会も開かれるという。

 ここから長い石段を登りきると、ようやく観音本堂へと至る。岩肌を咬むように建つ舞台造りの本堂は、昭和43年(1968)の再建。厨子に納めた観世音菩薩種宇石を秘仏本尊とし、室町時代の作と言われる阿弥陀如来像や片足を投げ出した珍しいお姿の地蔵菩薩坐像など多数の仏像を祀る。
 本堂の下を流れる清水は修行用の滝となり、一般信者も滝行体験ができるという。裏手には、三十三観音像や水掛け七尊像などの石仏が御堂を取り巻くように並び、香煙の絶えることがない。
 かつては能や狂言が奉納されていたという鎮守堂と幽明の瀧へは、さらに急な石段を登る。参道はそのまま標高356mの三滝山(宗箇山)へと登るハイキングコースとなっていて、春の桜、初夏の新緑、夏には納涼、秋の紅葉と四季それぞれに美しい景観を見せてくれる。
 錦秋燃える11月には恒例のもみじ祭りが催され、多宝塔の阿弥陀如来御開帳や茶会など大勢の参拝者でひときわにぎわう。
 また、山内に湧き出す清水は霊験あらたかな「三滝の名水」として知られ、平和記念式典の献水の一つにもなっている。境内入口にある風流な茶店「空点庵」では、名水で点てたお抹茶や名物のわらび餅などを戴きながら、心静かに寛ぐことが出来る。

幽明の滝