広島平和大通りの[]
   高麗形石燈籠
 新羅時代に造られた形で、京都・華厳寺の石燈籠を模作したもので、意匠の変化に工夫が凝らされている。

   櫓形石燈籠
 江戸時代に造られた一つの形で、火袋は燈台の役目を兼ねさせるため、火袋の四方が開けられている。この4本の足は一枚石から造られたものである。
  西ノ屋形石燈籠
 春日大社、西ノ屋前に並んでいる四角形石燈籠を模作したもので、宝珠以外はすべて四角形で、八角形に比べ簡素である。

  江戸形石燈籠
 江戸時代に造られた形で、柔らか味を出している。竿が丸みのある六角となっていて、宝珠が全体のつり合いからみて、大きなところに特色がある。
 

濡鷺形石燈籠

(さぎ)が一本足で立っている姿を連想して造られた形として伝えられる燈籠で、大きな半円形の笠が独特な雰囲気を出している。  

     神前形石燈籠
 江戸時代に造られた六角形石燈籠の一つの形で、竿が末広がりに広がっているのが特色で、この時代に奉献された石燈籠の代表的な形である。

      道標形石燈籠
 江戸時代に造られた一つの形で、火袋が輪のような形になっていうところから、「知恵の輪」とも呼ばれている。
 笠がないのが特色で海岸に建てて、燈台として使用されたものと思われる。
    奥ノ院形石燈籠
 春日大社奥ノ院の燈籠を模作したもので、側面に唐獅子を彫刻したところに特色がある。
 また、独創的に龍の彫刻を加えている。
 
 
       勧修寺形石燈籠
 京都市山科、勧修寺の四角形石燈籠(江戸時代)を模作したもので、火袋は扁平で大きく、横長の火口に特色があり、竿の単調さを避けるため、中央に空洞を開けている。笠の曲線が特に美しい。
       三月堂形石燈籠
 東大寺法華堂前の六角形石燈籠を模作したもので、長い竿を節で引締め、笠の軒反りや、曲線が大変美しい。
 燈籠の典型といわれている。
 
     三本足雪見形石燈籠
 江戸時代に多く用いられた雪見形石燈籠の変形で、竿が三本足で、中台・火袋・笠は六角形となっており、笠も宝珠も低く造られている。
 
広島市医師会原爆殉職碑
 この原爆殉職碑は、原爆によって殉職した医師や看護師などの医療従事者や、自ら被災しながも医療救護活動に従事し、後に放射線障害によって亡くなられた方々の慰霊のため、広島市医師会員を含む多くの方々のご協力により、昭和35年(1960)に建立された。

 昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下されたとき、市内での医療救護活動を義務付けられていた医療従事者は、医師298名を含め2370名で、そのうち2168名が被爆したとされている。

 この殉職碑は「手」をかたどった抽象的彫像で、高さ12m、幅4.5m、正面を原爆ドームに向けて建てられている。
 悠愛と救済を現したものであり、指間の二羽の鳩は平和の使徒を、また、両手の指の組合せは犠牲者の冥福と世界平和への力強い願いを込めている。
    永徳寺形石燈籠
江戸時代に造られた四角形石燈籠を模作したもので、竿が短く中台は四段で、火袋は大きく正方形となって、四隅を浮き出させ、窓は円形で格子になっている。
 

  織部形石燈籠
 古田織部という人が賞用した石燈籠といわれている。
 この形は数多くあるが、四角生込み型で竿の一部に立像を刻み、四角形の火袋の左右両側に、日・月を掘り抜いたものが一般的で、竿の形などからキリシタン燈籠ともいわれている。

  善導寺形石燈籠
 京都市・善導寺の六角形石燈籠を模作したもので、この型は江戸時代に生まれたもので、宝珠・笠・中台などの部分が大きく膨らみ、全体的に厚ぼったい感じとなっている。

 豊国神社形石燈籠
 京都市・豊国神社の六角形石燈籠(桃山時代)を模作したもので、飾りらしいものは少ないが、小さな火袋、太い竿など全体的にいかつい感じとなっている。

 浄瑠璃寺形石燈籠
 京都府加茂町、浄瑠璃寺の六角形石燈籠(南北朝時代)を模作したもので、飾りが少なく簡素で、背の高い連弁、小さな窓、きつい軒反りなどに特色がある。
   

   橘寺形石燈籠
 奈良県明日香村、橘寺の六角形石燈籠(南北朝時代初期)を模作したもので、中台側面の走り獅子、基礎側面の蒼龍や、火袋四面の四天王立像など装飾主義に徹したところに特色がある。

 柚ノ木形石燈籠
 平安時代に造られた春日大社の石燈籠のうちで、最古の名物燈籠を模しながら、独創的な意匠も取り入れて造り上げたものである。

  八角形石燈籠
 愛知県諏訪神社の八角形石燈籠を模作したもので、笠・火袋・中台・竿が八角形になっており、単調な形が特色である