国指定重要無形民俗文化財  阿月神明祭      (柳井市阿月)

 由来

 阿月神明祭(しんめいまつり)は、『左義長』という宮中の行事が民間に伝えられた俗称『とんど』と、伊勢神宮の御師が広めた神明信仰が習合し、さらに、小早川家の「軍神祭」が習合した祭事と云われています。
 旧阿月領主の祖・浦宗勝とその子景継は、小早川隆景に従って、文禄元年(1592)朝鮮半島へ出陣の折、伊勢神宮へ祈願をして大勝を得たことにより、以後、小早川家の「軍神祭」として執り行われるようになりました。その後、正保元年(1644)浦就昌が、上関から伊保庄南村(現・柳井市阿月)に移封され、阿月の東西両地区の砂浜・二ヶ所に、天照皇大神宮(東神明宮)並びに豊受大神宮(西神明宮)を奉祀しました。この時より神明祭は始まったとされています。
 この祭りは、松・竹・梅・椎・裏白・橙・皇大神宮の大麻(御札)並びに扇等を以って、天照皇大神を祀る御神体を作ることから始まります。この御神体を阿月では、神明或いは神明様と言って、浦氏の時代から今日まで連綿と守り継がれています。本来は旧暦小正月(1月14.15日)に行われていた行事であるが、現在では毎年2月11日の祝日に行われる。
 360年以上の歴史を誇る由緒あるこの行事は、昭和56年(1981)12月に山口県無形民俗文化財に指定され、その後、平成21年(2009)3月に、国の重要無形民俗文化財「阿月の神明祭」として指定された。

 内容

1、巻き立て (祭り1週間前の日曜日に神明を作る作業) 

 神明(御神体)の構造は、松竹梅の縁起を基に橙(=代々)や御幣など、子孫繁栄や厄除けの意味を込めたものとなっています。まず、黒松四本と心棒で脚を作り、神笹の竹三本と松とを一緒にして三ヶ所を締め付けます。ついで、下部に椎の枝でお椀形の餅柴(もちしば)を作り、中央部に大麻200枚を供えた扇餅(せんべい)、その下に橙の皮、上に梅の枝を付けます。
 更に上部に、竹二本を横に渡し縄で隙間なく巻いた弓張(ゆみばり)、その下に裏白で諸葉餅(もろはべい)を作ります。こうして、長さ20bの御神体が東西の神明宮の前の砂浜に各一基、横向きの状態で完成します。
 祭り当日、御神体は巨大な御幣が三つ付けられ、五色(赤・青・黄・緑・白)の神帯、「かに」と呼ばれる願掛けの飾り、くす玉等によって色鮮やかに飾られます。なお、神明の脚となる木材を山から切り出すことを「足だし」と言い、大量の松、竹、梅の枝(葉)、裏白等も運び出され、祭り2週間前の日曜日に行われる。
 
2、起こし立て (御神体をお越し立てること)
  起こし立て
 早朝から身を清めて、白の鉢巻・白の肌着・白足袋を身に着けた若者たち(裸ん坊)が、酒樽に棒をかけて担ぎ、特殊な足取りで通りを練り歩きます。これを「じょうげ」と言います。
 「じょうげ」が神明宮の前に揃うと、法螺貝(ほらがい)を合図に神明の起こし立てにかかります。20b余りの大鉾が、ハズ(張り綱)やカイゴ(はしご)に支えられ、法螺貝の合図で太鼓が鳴り響く中、浜をきって立ち上がる光景は、祭事の中でも最も男性的な景観です。
 起こし立てが終わると、過去1年間に結婚した男子を、裸ん坊が海に投げ込んで祝福する「水祝い」が行われます。
3、長持ちじょうげ 

長持ちじょうげ
 花笠を飾った長持ちを、丁字型に結んだ棒で、派手な着物にさらし姿の若者三人が、肩に担いで「長持ち囃子」という独特の掛け声(掛け合い)で唄い囃しながら、特殊な足取りで練り歩く行事です。
 その前に一人、短冊を付けた笹竹を持って先頭に立ちます。長持ちには、古くは食物を入れて持ち歩くものとされていますので、各地区から神前に献上する御鏡餅、その他の神饌(しんせん)を容れて運ぶ風習と考えられます。
4、神明踊り
神明踊り 
 神明踊りは昼と夜、御神体の下で、神明音頭と太鼓に合わせて、御神幸の奉祀踊りを行うもので、男子は赤穂浪士や新撰組、柳生但馬守と十兵衛など、槍や刀や菅笠を持って勇壮な踊りを舞い、女子は傘や担当を持った二人組が、華麗な笠踊りを披露します。また、幼稚園児はボンボン踊り、小学生は花笠踊りや、ネズミ小僧と岡っ引きなどに扮した踊りなど、役柄も多く衣装にも工夫が凝らされています。
 音頭歌詞としては、源平合戦の敦盛、熊谷直実、那須与一、太閤記、忠臣蔵の義士討ち入りなどがあります。阿月神明祭に、神明踊りのあることは特色の一つです。
5、はやし方 (神明をはやす=燃やすこと)
はやし方
 夜の踊りの後、神明(御神体)の前の霊代鏡が撤去されて、昇神の式が済むと、総代によって神明に火が点けられ、たちまち火柱は火龍昇天の勢いで燃え上がり、餅柴は吹き上げる風にあおられながら焼けて行きます。
 神明が炎に包まれた直後、人々は囃し言葉をたてながら張り綱を手操りつつ、神明を海側に引き倒します。見物の人々は、まだ燃え盛る神明のお飾りや御幣などを、我先に奪い合いながら、心木の松の木は抜き取られて長い火の畝が浜に横たわって、いつまでも燃え続けます。
 最後に若者たちによって「シャンノ、シャンノ、シャンノ」と三度の締め打ちが行われ、神事は終わりを告げるのです。
 神明から取ったお飾りや御幣等は、家内安全、無病息災などの願いが叶うと伝えられ、お守りとして持ち帰ります。