摂津峡入り口の看板 |
「摂津峡」は芥川が樫田から原盆地を経て 塚脇へ流れ下る途中、三好山と中堂山の間に 形成された約4kmの渓谷。 夫婦谷、屏風岩、行者岩など大小の奇岩、 険しい断崖が続く。 |
渓流 |
大分県の耶馬渓にちなんで「摂津耶馬渓」 とも呼ばれ、昭和13年(1938)5月に大阪府 の「名勝」に指定された。 江戸時代から「摂津峡」と親しまれている渓谷は、 丹波高原に連なる古生層からできている。 |
朝日の摂津峡(白滝小屋付近) |
巨岩奇岩を縫う清流には、鮎や河鹿が たわむれ両岩の紅葉などの樹々とともに 本格的な渓谷美をつくりだし、古くから 景勝地として楽しまれている。 渓谷の下流右岸には桜で有名な 「摂津峡公園」。渓谷の左岸、三好山には 「芥川山城(さんじょう)跡。 |
紅 葉 |
本物の自然環境が人々の憩いの場になっている。 「高槻付近史蹟名勝抄」(薮重孝)によれば、 昭和6年(1931)、「高槻」は大芥川、清水、大冠、 磐手の町村を合併し「大高槻町」が誕生。 「高槻保勝会」によって「高槻八景」を選定した。 ・ 上宮天満宮 ・ 芥川堤櫻 ・ 摂津耶馬渓 ・ 神峰山寺 ・ 北山本山寺 ・ 能因塚 ・ 八丁松原 ・ 淀川 |
「摂津峡」は「摂津耶馬渓」として名を連ねている。 芥川は、摂津丹波の国境 龍王山に源を発し、急流が堅い古生層に遭って形造った奔端(はやせ)。 著名なのは、浮石、轡の渕立石、雄龍、赤壁石、烏帽子岩、逆川、白龍などで奇岩、怪石が多い |
摂津峡の右岸に広がる37.2ha の風致公園。公園一帯は、植物約420種、昆虫数百種、 野鳥13種が生息する豊かな自然の宝庫。 春には、約3千本の桜が咲く。桜広場では8百本に囲まれての桜祭り。 夏には、河鹿の鳴き声、鮎釣り、蛍観察、川遊び、キャンプ、バーベキュー。 秋には、紅葉狩り、鱒釣り。 冬には、別殊の趣がある。 キャンプ場、摂津峡少年の家もある。 |
摂津峡公園の広場 |
朝日新聞によれば、現在の摂津峡公園は、 元々新潟出身の実業家 故市川伶次郎氏の 私有地だった。大阪で電線工場を起こして成功し、 多くの土地を買い、戦後まもなく摂津峡を高槻市 に寄贈された。奇特な人がいるものだ。 「摂津峡」は「太っ腹」が残した「高槻の宝」。 その息子が桜広場の東側で、結婚式場 を兼ねたイタリアンレストランを経営している。 |
「高槻城物語」によれば、14世紀の初め、天神山のはるか南麓の芥川左岸、久米路山を呼ばれた 小さな丘を囲んで一つの集落があった。 「高月」(のちに「高槻」)の村だ。応仁の乱(1467〜1477)の後、「摂津峡」は天然の要害として 険しい地形が利用され、三好山に「芥川山城」が築かれた。1490年頃、管領細川政元の意をうけて、 築城したのは、細川高国によって北摂の支配を任された能勢頼則。永正12年(1515)暮れに完成。 「うちなびき いづこかのこる 春もなし」 中世の連歌師、柴屋軒宗長 は、翌年芥川山城を訪れ、 城主、能勢頼則の権勢と眼下に広がる高槻の春を謳歌した。 |
三好山(中央手前)と摂津峡 (右下から中央に展開する谷間) |
主郭で発掘された建物の礎石 芥川山城は、本丸、二の丸、出丸などを備えた東西 約400m、南北約450mの大城郭。 |
摂津峡公園から見た三好山 |
守り易く攻め難い中世の名山城のひとつ。 天文22年(1553)から7年間、三好長慶が在城。 畿内政権の中枢となり、繁栄を極めた。 高山右近の父、飛騨守も永禄年間在城。芥川 山城は、城の存亡にかかわる破脚はなく、 高槻城の築城に際し、和田惟政(これまさ)が 移築したといわれている。 |
今も残る本丸、出丸、大手門の石垣、土塁、濠跡などから往時の偉容が偲ばれる。 古木の間の小祠「三好大権現」のたたずまいからも畿内に号令した長慶の姿が偲ばれる。 なお三好山(182.7m)は、冬枯れ時には360度のパノラマが楽しめる。 |
夏(6/20〜8/31)
鮎。昔、天然鮎。砂防ダムのため鮎が海から |
「鮎解禁一川響き渡るなり」(天野莫秋子) |
秋〜春(10/1〜5/5)
鱒。ブラウントラウト(brown trout)。 |
・詳しくは、芥川漁協(0120-88-6822)へ。
清流コース( 2.7km )
上の口バス停〜摂津峡大橋〜白滝茶屋〜白滝〜白滝茶屋〜山水館〜桜広場〜下の口バス停自然歩道コース( 8.3km ) 上の口バス停〜下条橋〜萩谷〜月見台〜白滝〜白滝茶屋〜山水館〜桜広場〜下の口バス停東海道自然歩道コース 忍頂寺(茨木市)〜竜仙滝〜萩谷総合公園〜白滝〜白滝茶屋〜芥川漁協〜原〜神峰山寺〜ポンポン山〜下山 |
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句碑 「 流螢の 自力で水を 離れ飛ぶ 」 山口誓子 |
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摂津峡公園と白滝茶屋の中間にある「句碑」 |
俳人、山口誓子(1901〜1994)は、昭和40年(1965) に摂津峡を訪れた。 光を明滅させながら、渓流から流されてきた螢が、眼前で 流れから離れ、闇の中へと光を引いて飛び立った。 その瞬間をとらえた句。 俳句の独創性を重視した誓子の自信作。 それが、句碑として摂津峡の岩盤に埋め込まれ、道行く 人々に語りかけてくる。 |
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