<第16回 学ぼう会>                                       2011年11月17日

          「徳川三代と華ひらく富田 ―まちに息づく文化の世界―」

  講師: 千田 康治 ・・・ 学芸員(主査) 
  場所: 高槻市立「しろあと歴史館」

    千田 康治 氏
                   講演中の千田学芸員と熱心に拝聴する会員  

 この日は天候にも恵まれ、参加の45名の方が「徳川三代と華ひらく富田―まちに息づく文化の世界―」を学びました

講演会
*講演の趣旨
   今回は「しろあと歴史館」で、江戸初期に大きく発展し文化の華が開いた富田の歴史について学ぶ

*講演の内容
第1章:戦国時代の富田(富田の始まり)
○教行寺(浄土真宗):「蓮如」の布教拠点として寺内町を形成
○普門寺(禅宗):細川家本家である京兆家(室町幕府管領)とのつながり
  ・宣教師の「ルイス フロイト」が京に向かう途中立ち寄る
  ・山崎合戦の際には豊臣秀吉勢の集結地となる

第2章:徳川三代と富田(寺内町から商工業を中心とした在郷町へ)
○富田を代表する豪商「清水市郎右衛門(屋号紅屋)」と徳川家のつながり
 ・関ヶ原の合戦、大坂の陣で兵糧米等を含め徳川に協力⇒酒造株「清水株」の特権や
  その他の徳川家からの強いバックアップを受ける(清水家の印鑑袋には「葵の紋」あり)
○幕府の直轄地(天領)で年貢米の集積地:酒造業が発達(最盛期は24軒の造り酒屋
 ・富田周辺の米は品質が良くて豊かな伏流水に支えられ、酒造りが発展した

第3章:町に息づく人々(経済的繁栄に支えられて文化が興隆)
○清水家(紅屋)が支援:長福寺(現在は廃寺)、清蓮寺
  天保元年(1644)、僧「龍渓」が普門寺の住持になり中興する
○黄檗宗の開祖「隠元禅師」:僧「龍渓」の尽力により明暦元年(1655)普門寺に入る(約6年間)

第4章:華ひらく文化と黄檗
○「隠元」の来日で中国の最新文化をもたらす⇒全国の文化人が富田を訪れる
 ・黄檗文化:絵画、書、彫刻、建築、食生活など様々な影響を及ぼす(特に絵画・書)
 ・狩野派一門が富田を訪れる:「探幽」、「探信」、「益信」が普門寺の「隠元」に面会
  「富士雲竜図」(慶瑞寺蔵)
○「藤田友閑」:富田の酒造家出身の書家・画家、「寛永の三筆」である「松花堂昭乗」の高弟
  「十六羅漢像」(清蓮寺蔵)

*感想・鑑賞
○戦国時代〜江戸時代初期に寺内町から在郷町へと発展し文化の華が開花した富田の歴史を
  わかりやすくご説明頂いた
  講演後は関連の文化財の鑑賞が出来て、より深く富田の歴史を知ることが出来た

   見学中
           講演終了後、説明員の解説を拝聴しながら鑑賞中の会員  

― 次回(2012/3/15)は、新しいテーマを事務局で検討していますので楽しみにして下さい ―