講師:宇津木 秀甫(うつき しゅうほ)氏
・「高槻古代史歴史展」、「淀川と三島路展」、
「藤井竹外と古曽部焼展」ほか、数々の
歴史展を開催し、市民文化活動の企画推進
に尽力、大阪府より文化表彰を受賞
・「ふるさとの風土」、「高槻百景」、
「安威郷土史」ほか多数発刊
・ 現在、影絵劇アクト座主宰、
昔ばなし語り部集団監修
← 講演中の宇津木氏
講演の内容
◇講演概要
明治22年、23年の島上郡10ヶ村の地方紙及び全国紙の報道思想、購読状況から
当時の村民の嗜好や民度を分析、又、宇津木氏がまとめられた昭和元年からの
高槻の歴史年表で近世・現在の高槻の都市形成について講演された
1.江戸末期の大阪:一国一城(大名)と
攝津の国、高槻城の役割
・西は神戸から東は高槻までを摂津の国と称し高槻城が大阪と西国海道を
見張る役目を持っていた
・泉州の国の岸和田城は紀州徳川家を擁護見守る役目を併せ持っていた
・大名は領地を貰うのではなく石高でお米を貰っており(土地は幕府所有)
多くの大名の財政状況はあまり裕福ではなかった
・淀川を使って堂島へ早く米を納めることが出来たので米相場に敏感に対応
2.明治初期の高槻
・明治元年から3年にかけて高槻は水害が多く、城壁の土壁も落ちるなどで、武士の
多くが他に移住したので高槻城の石垣は堤防や現東海道本線の敷石となった
(今も隧道に見られる)
・米相場や商いで裕福だった高槻は明治政府から高い固定資産税をかけられていた
・服部うり(うり漬け)の誕生⇒富田の酒好きが好みの味付けに仕上げ、人気があった
・工営兵が配属、三島郡 郡役所が茨木に設けられ学校、高等女学校も茨木に開校
3.大正後半期に私鉄の開通
・大阪から見て鬼門の高槻だが小林一三氏(阪急百貨店創業者)や吉津度氏
(梅田病院創設)の尽力で淀川左岸に京都まで新京阪神急行(現阪急)を走らせた
4.文京都市の誕生
・吉津 度氏が発起人で私学 高等医学専門学校(現大阪医科大学)が創設
・阿武山に京大地震観測所、安満に京大農学部が農場試験所を開設
(欧風建築が現存)
・高槻・芥川・大冠・清水村・磐手村の五町村が合併し大高槻町が誕生(市制の基礎)
5.地方自治の先駆、高槻
・高等医学専門学校生(医大)の多くは町の開業医を志し戦時中は多くが軍医となる
終戦後、軍医上がりの医師が発起人となり、国民健康保険制度創設に尽力した
・ 地域医療機関 三島救急救命センターを全国に先駆けて開設(若い医大の
医師が支援している
・市バスの運行が山間部の宅地開発を促進し高槻市発展の大きな推進力となった