1.渡来人鴨族が淀川右岸定住し、
溝杭・三島氏が誕生した。
2.三島氏は、大和政権の同盟者と
して国主・三島県主になり、継体天皇の擁
立に関与していた。継体天皇の古墳
も高槻に残っている。
3.氏姓制成立後の三島氏は三島地
域の地方官・首長であった。
・職業に起因するウジナ(氏
名):服部連、三宅連
・居住地の地名に起因するウジ
ナ:大原史、穂積臣、太田連、安威連、島首、高槻連
4.天平8年(736)摂津国正税帳に三島県主の動向(酒、氷
の献上)が載る。
5.根本住人三島県主の存在感とし
て、他の渡来人の伸長を許さなかった。
・三島氏配下の部民は許曽部(巨勢氏の部民・古曽部)、穂積部、日下部、
白髪部などの名代(皇室の部民)、子代(豪族の部民)がいた。
6.天智朝670年、律令制開始に伴い、三島地域でも、班田収授実施、庚午
年籍の作成、条里制の構築等が行な
われた。
7.大宝律令制定(701年)後の国郡里制の基で、
・三島郡→島上郡、島下郡に分離
・三島県主:島上郡の長官(郡司)、数十棟の倉庫群・租税の保管
・芥川寺建立、阿久刀神社の祭司
8.和銅3年(710)の平城遷都で、都から西国山陽道への街
道に都亭駅の設置
された。
・摂津国島上郡大原駅:現在の
島本町桜井付近と考える説が有力
・摂津国島下郡殖村駅
9.「行基菩薩伝」によると、天平13年(741)僧の行基が淀川に山崎橋の架
橋をしたと言われている。
10.平安遷都(794)後、山崎駅が設置された。
・弘仁2年(811)「日本後紀」には、嵯峨天皇、水無瀬で
遊猟、山崎駅を
宿舎にしたと書かれている。
・山崎の津は、淀川交通の要
衝、旅客・物資運輸業者らで賑わい、人家が密
集と「文徳実録」などに書かれてい
る
11.山崎の別名は「河陽」(かや)であり、「更級日記」に山崎、高浜は遊女が
群れを成すと書かれている。
12.河陽離宮(現在の離宮八幡宮のあ
たり)
・弘仁2年(811)10月、嵯峨天皇が山崎に河陽離宮を設
置 。
13.山崎の関:島本町山崎の関大明神
のあたりに、公設の宿泊施設「関外院」
が設置された。「扶桑略記」に治安3年(1023)10月、藤原道長が高野山、四天王寺
参詣した後、関戸院(関外院)に立ち寄るとの記述がある。
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