第11回学ぼう会
             2010318日(木)

           「北摂 の歴史探索(第2回);古代、中世の高槻・島本地域@」  
                        −水無瀬庄と山崎駅―


                   講師 : 大阪歴史学会会員・地域 史研究家 古藤 幸雄氏



古藤幸雄氏は、高槻市公立中学校教 員、高槻市教育委員会勤務、高槻市立城南・第 三中学校 長を勤め上げられましたが、20代後半から大阪歴史学会近世史部会に所属し、近世専門の大学の先生 と学術論文の草稿を練る研究会を長年続けられ、近世史の研究や古文書解読の専門家です。沢山の著書もあり、全国での講演活動もされています。
 幸い天候にも恵まれ、69名もの多くの方が 参加され古代〜中世の島本地域の歴史を熱心に学ばれました。


古藤先生
 古藤先生
ご 講演される古藤幸雄氏

    
    講演の内容

1.渡来人鴨族が淀川右岸定住し、 溝杭・三島氏が誕生した。

2.三島氏は、大和政権の同盟者と して国主・三島県主になり、継体天皇の擁

立に関与していた。継体天皇の古墳 も高槻に残っている。                    

3.氏姓制成立後の三島氏は三島地 域の地方官・首長であった。

 ・職業に起因するウジナ(氏 名):服部連、三宅連

 ・居住地の地名に起因するウジ ナ:大原史、穂積臣、太田連、安威連、島首、高槻連

4.天平8(736)摂津国正税帳に三島県主の動向(酒、氷 の献上)が載る。

5.根本住人三島県主の存在感とし て、他の渡来人の伸長を許さなかった。

  ・三島氏配下の部民は許曽部(巨勢氏の部民・古曽部)、穂積部、日下部、

白髪部などの名代(皇室の部民)、子代(豪族の部民)がいた。

6.天智朝670年、律令制開始に伴い、三島地域でも、班田収授実施、庚午

年籍の作成、条里制の構築等が行な われた。

7.大宝律令制定(701)後の国郡里制の基で、

・三島郡→島上郡、島下郡に分離

・三島県主:島上郡の長官(郡司)、数十棟の倉庫群・租税の保管

・芥川寺建立、阿久刀神社の祭司       

8.和銅3年(710)の平城遷都で、都から西国山陽道への街 道に都亭駅の設置

された。                             

  ・摂津国島上郡大原駅:現在の 島本町桜井付近と考える説が有力       

  ・摂津国島下郡殖村駅   

9.「行基菩薩伝」によると、天平13年(741)僧の行基が淀川に山崎橋の架

橋をしたと言われている。

10.平安遷都(794)後、山崎駅が設置された。

  ・弘仁2(811)「日本後紀」には、嵯峨天皇、水無瀬で 遊猟、山崎駅を

宿舎にしたと書かれている。  

  ・山崎の津は、淀川交通の要 衝、旅客・物資運輸業者らで賑わい、人家が密

集と「文徳実録」などに書かれてい る

11.山崎の別名は「河陽」(かや)であり、「更級日記」に山崎、高浜は遊女が

群れを成すと書かれている。                         

12.河陽離宮(現在の離宮八幡宮のあ たり)                             

  ・弘仁2(811)10月、嵯峨天皇が山崎に河陽離宮を設 置

13.山崎の関:島本町山崎の関大明神 のあたりに、公設の宿泊施設「関外院」

が設置された。「扶桑略記」に治安3(1023)10月、藤原道長が高野山、四天王寺

参詣した後、関戸院(関外院)に立ち寄るとの記述がある。      


    

熱 心に講演を聞かれる皆さん

 生活環境に身近にある島本・山崎 の歴史的な場所が中世などの馴染みのある書物に載っているのを知り、歴史の重さや伝統文化を肌で感じ取ることができました。

次回、6月の「古代〜中世の高槻・ 島本地域」−高槻編―」を楽しみにしている参加者が多かったようです。