1.古代歌謡の催馬楽(さいばら)
に歌われている「難波の海、漕ぎもて上る小船、大舟、筑紫津までに今少しのぼれ山崎までに」の「筑紫津」が、当時は大阪湾に接していた現在の「津ノ江」と
考えられ、渡来人が筑紫の国経由で筑紫津へ上陸したのが島氏の起源と言われている。
2.諸説はあるが、和歌山県橋本市
隅田八幡宮の銅鏡・人物画像鏡(443年)の銘文の内容から判断し、銘文に登場する「斯麻(し
ま)」氏は、三島氏であると考えられる。
3.三島氏は、本姓は島氏、または
御島→三島氏と称する。
4.三島氏は古代天皇家(大王家)
と近江豪族の息長氏と深い関係があり、允恭天皇陵古墳や太田茶臼山古墳など多くの古墳群を残している。
5.三島氏は古墳時代前期に弁天山
に古墳を築造
4世紀頃のA1号(岡本山 全長120m)、4世紀前半のB1号(貯水槽のある山 全長100m)、4世紀後半のC1号(三角縁二神二獣鏡出土 全長73m)等から構
成。
6.古墳時代前期から後期、晩期ま
で東方服部村にかけて代々子孫が古墳を築造
・古墳時代中期 (5世紀〜 ) の時期
太田茶臼山古墳(現継体天皇陵)、郡家車塚(三島一族のもの)、前塚
古墳、番山古墳、村の首長の墓(墓ケ谷、萩之庄、紅茸山、天神山、慈願寺山、闘鶏山古墳群)など。
・古墳時代後期 (6世紀〜 ) の時期
今城塚古墳、昼神車塚古墳、塚脇古墳群(50数基 服部氏(秦)一族の墳墓)、安満山古墳群(約30基 安満村一帯
の首長の墳墓)、塚原古墳群(114基)など。
7.もう一人の三島の豪族が神話に
も登場するのが溝咋氏であり、三輪山の神である大物主神(大国主命)と非常に関係が深い。
8.三島氏はその後、古代律令制下
における島上郡衙の長官である三島県主(あがたぬし)として君臨し、氏寺として「芥川寺」を建立、氏神として阿久刀神社を祭祀し、律令制の崩壊する平安時
代初期まで活躍した。
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