◇第6回学ぼう会
         2008年6月19日(木)

             「継体天皇と今城塚古墳」   

              講師 :  高槻市立しろあと歴史館館長 森田 克行氏


テキスト ボックス: 昨年11月26日 NHKテレビ「継体天皇ヤマトを救う」に出演され、今城塚古墳より舟の絵の埴輪が出土している事実から、継体天皇による淀川水運を活用した百済との交易を示唆された森田克行氏(埋蔵文化財調査の第一人者)に「継体天皇と今城塚古墳」を語って頂きました。

 幸い天候にも恵まれ、54名もの多くの方が参加され熱心に北摂の歴史を学ばれました。

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ご 講演される森田克行氏
講演の内容
1. 島本から吹田東地区までを示す摂津三島地区は、701年の大宝律令において、三島上郡と三島下郡に分かれた直後、島上郡、島下 郡に名称を変えた。明治39年4月1日、島上郡と島下郡が合併して三島郡となり古代の三島郡が復活した形となった。今でも地名として島上などが残っており、歴史的背景 を始めて知ることができた。 
2. 摂津三島地区は古墳文化の宝庫であり、茨木市の大田 茶臼山古墳と高槻市の今城塚古墳はこの地域における二大古墳である。島下郡に属している大田茶臼山古墳は宮内庁の管轄であるので発掘は出来 ないが、島上郡に属する今城塚古墳は文化庁の管轄であるので発掘が可能であ り多くの成果が出ている。
3. 日本書紀、古事記、延喜式の記載、江戸時代の国学 者、松下見林・本居宣長の研究など、戦前・戦後の考古学的研究を時間の経過と共に学ぶことが出来たのは、非常に興味深いものであった。     
4. 松下電器の社宅があった高槻市の郡家は、奈良時代に は役所があって、大変栄えた中心地であったことを教えていただいたが、これは元松下電器の社員にとって大きな驚きであった。
5. 今城塚古墳から発掘された埴輪については、「獸 脚」埴輪や「鵜飼」の埴輪
(水鳥と魚)などがあり、当時の権勢や繁栄を示していた。

 継体天皇は淀川重視政策をとられたが、それは今城塚古墳から舟の像が刻ま
 れた埴輪が13点も出土していることで実証できる。


6. 今城塚古墳は、豊臣秀吉時代の伏見大地震で大幅に破 損したが、2重の堀を持ち、約350メートルの大きさがある。埴輪などの発掘物の年代測定から531年2月に亡く なった継体天皇(大王)のものではないかと言われている。

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