☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

☆第54 丹後ちりめんと伊根湾めぐりの旅

平成23 (2011)929()

参加者48

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


今年3回目の例会は 7年振りの再訪問だが 新会員8名を加え 48名の大盛況となった

「丹後ちりめん歴史館」で機織りの見学と 直売所で 格安ショッピング

重要伝統的建造物群保存地区“伊根の舟屋”を海上から眺める

「伊根湾めぐり」遊覧と 老舗料亭の味を満喫した



百人一首46

由良(ゆら)のとを わたる舟人(ふなびと) かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな

曽禰好忠(そねのよしただ) 新古今集巻11、恋11071

由良川の河口を渡る舟人が櫂(かい)をなくして、行方も知れなく漂うように、
私の恋は、これからどうなっていくのだろうか…。


百人一首60

大江山(おほえやま) いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天(あま)の橋立(はしだて)

小式部内(こしきぶのないし) 金葉集巻9、雑上(586)

大江山や生野を通って行く道のりが遠いので、
まだ天橋立へも行っていませんし、母の文も見ていません。


丹後路は百人一首に詠まれているように、古より伝説や景勝地として名声を博しているが、江戸時代の中期より「ちりめん織物」の産地としても有名になった。そんな丹後に、ちりめん織の歴史と、風光明媚な伊根湾の景観、新鮮な海の幸を求めていざ出発!

気掛かりだった天気は快晴。4ヶ月ぶりの例会なので話が弾む。いつものように添乗員さんから本日のコース、訪問先、諸注意、バス&運転手さんの紹介。

続いて代表より、48名もの参加で感激している。平成16年の第28回例会の50人に次ぐ参加数で、バスも座席を増やし49人乗りにした。前回に続いて今回も新入会があり、8名とご家族1名の参加は、ありがたく本当にうれしい。また、会の運営を充実させるため、役員を1人増やしたので、新会員ともども昼食時に紹介する。それに、今回から役員は名札の紐を赤色にしたので、分からんことや注文など何でも声をかけてください。などのお話。

 次に、配布した資料、前回の報告書や関連話の冊子と、今回の訪問先の予備知識や関連する話の冊子について説明。

バスは渋滞なく順調に走る。舞鶴若狭自動車道に入ると、緑豊かな山並みとなる。旅に出た実感がふつふつとわいてくる。綾部からも高速道路で天橋立まで行けるので楽なものだ。

丹後ちりめん歴史館】 京都府与謝郡野田川町岩屋317

ちりめん織の技術は、1589(天正17)年に中国から和泉国の堺に伝えられ、やがて京都の西陣で盛んに織られるようになった。

 丹後へ伝わったのは江戸時代中期1720(享保5)年、峰山(現峰山町)の絹屋(きぬや)佐平次が西陣で苦労を重ね、技術を身に付け持ち帰り、ちりめん織の生産に成功したと伝えられている。2年後には現野田川町の山本屋佐兵衛と、現加悦(かや)町の手米屋(てごめや)小右衛門が同様にちりめん織技法を伝え、以後峰山と加悦は、ちりめん織物の生産量・品質を競い合い、“丹後ちりめん”の名が全国に知られるようになった。

ほどなく、自己資本による自営機(じえいはた)、原料糸の価格分だけ貸借関係を結ぶ約定機(やくじょうばた)などの生産体系になる。 さらに機織りが広まってくると、金持の機屋(親機)から機と原料一切を借りる賃機(ちんばた)が増え、親機を「だんなさん」、賃機を「織り手」という前近代的な関係となる。

また、販売の方も製品をまとめる問屋が産地にできて京へ送った。今では、京都から丹後半島の網野あたりまでを「ちりめん街道」と呼び、街道筋の建物や神社に、ちりめん織の栄華をしのぶことが出来るという。

ちりめん織業は昭和初期まで盛んであったが、1940(昭和15)年7月、戦争遂行・軍需生産に直接寄与しない贅沢(ぜいたく)品の製造・販売を全面的に禁止した「奢侈(しゃし)品等製造販売制限規則」、俗称「七・七禁令」が公布され、丹後から機織りの音が消えた。

戦後復活したが、今度は戦時中アメリカが開発した、絹のような肌触りをもちながら、めっぽう丈夫な「ナイロン」が輸入され、絹織物、ひいてはちりめん織物も斜陽化していく。そのような盛衰をもつ丹後ちりめんの歴史と今を知ろうと歴史館に入った。

社長自ら丁寧な説明 
 リズミカルな機織りの音が迎えてくれる。後で知ったことだが、織っているのは社長とのこと。

機織りを中断して、丹後ちりめんの歴史や、館内の案内をしてくれた。我々には、うるさく聞こえる機織りの音も、丹後の人にとっては、気持ちが落ち着く音、なごむ音、それは母親の胎内で聞いた音だから。  という話に、ちりめん織が丹後の地場産業であることを実感する。

  
             糸撚り機 (◇)                         機織り機 (◇)
 ちりめん(縮緬)織とは、経糸(たていと)に撚(よ)りのない糸、緯糸(よこいと)1m当たり3,000回ほどの強い撚りをかけた糸を使い、交互に織り込み、精練行程で糸が収縮し、緯糸の撚りがもどり、生地全面にシボ(凸凹)ができた織物のこと。

このシボがあることにより、生地に皺(しわ)がよりにくく、しなやかで、凸凹の乱反射によって染め上がりの色合いが豊かで、深みのある色を醸し出す。

                         多彩な直売所 (◇)

 歴史館は昭和10年に建設された工場の5棟を使っている。屋根はノコギリ状の三角屋根で、北側に採光用のガラス窓が付けられている。南側だと光が強すぎて、糸が光り眩(まぶ)しくて作業ができないからだ。
 柔らかい自然光が照らす広いフロアが直売所になっていて、ちりめんは言うに及ばず、織物の有りと有らゆる物が展示即売されている。値段も安い。ちょっとオシャレをしたくなる。
 禿頭(とくとう)を覆う帽子か手拭いを買いたいとバスで言っていたので、センスのいい方が素敵なバンダナを選んでくれた。 ふと見ると、クラシックパンツもある。風通しが良く、男性の夏の下着として最適だ。こちらは密かに求めた。
    
         こんな物もある          
天皇御一家の記念写真に見入る (◇)
 昭和天皇一家の写真が展示されていた。昭和34412日皇太子御結婚宮中内宴の際に撮影されたもので、美智子妃殿下御着用の振袖紋付は、丹後ちりめん歴史館(当時の大啓産業株式会社)で織り上げた御結納の白生地、「駒明美縮緬」を染め上げたもの。
 今上天皇皇后両陛下御成婚は、昭和34410日であった。カラーテレビ用真空管の応用技術室で、実験用のカラーテレビに映る華やかなパレードを観たことを想い出す。

 歴史館によると、御成婚記念誌で丹後ちりめんが紹介され、注文が殺到したそうだ。その状況は昭和48年のオイルショックまで続き、丹後は日本一のシルク生産地になった。 昭和40年代、高卒の役場初任給が15,000円の頃、白生地1反10,000円の品を年間1千万反織り上げたそうで、ガチャンと織れば万儲(もう)かったので、“ガチャマン景気と呼ばれたそうだ。

 「ちりめん」と言えば、絹織物だけと思われがちだが、丹後では丹後ちりめんで培われた技法を活かし、ポリエステル、レーヨンなどでもちりめん織をして、伝統産業「丹後ちりめん」の間口を広げ頑張っている。

【昼食 「當里家」】 京都府与謝郡与謝野町字岩滝1693

 バス20分ほどで、本日の食事処「當里家(あたりや)」へ着いた。
 ホームページによると、<初代はうどん屋からスタートし、2代目が料理屋に変更、現在京都の料亭にて修行した3代目が、丹後の海の幸・山の幸をとりいれた御料理を提供しております。「當里家」屋号の由来は、道路の突き当りにて商売を始めたところから、檀家の住職が名づけてくださいました。> とある。

天橋立の奥座敷 創業八十四年の「當里家」前にて記念写真 (◇)

座敷に椅子でゆったり 先ずは恒例のガンバロウ乾杯! (◇)

   
   新会員の紹介               3代目自慢の料理
 乾杯に続いて新会員8名とご家族1名の紹介。引き続き、新しく役員になってくれた方1名の紹介。しばし歓声と拍手が響く。

 刺身の甘海老・烏賊(いか)・間八(かんぱち)は、まだ磯の香を感じる新鮮さ。 鰈(かれい)の煮付、鰤(ぶり)のしぐれ煮、鰆(さわら)の味噌漬などの味は滋味深く、こういう味付けが食通を満足させる味というのだろう。


伊根湾めぐり遊覧船

 伊根湾は、湾口を南に向け東は半島のU字形をしている。 そのため湾内は日本海の荒波から守られ、穏やかで、潮の干満の差が少ないので、船のガレージ「舟屋」が軒を連ねている。 舟屋は切妻造屋根の2階建で、海面すれすれに建てられており、1階が船揚場、2階が居室である。 

 周囲5kmの湾に沿って230軒余りの舟屋が建ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大変珍しく、平成17年、地区名称「伊根町伊根浦」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。 伊根湾めぐりは、この舟屋群を海上から眺めるほかに、カモメの餌やりも人気を呼んでいる。

     伊根湾俯瞰(ふかん)

   舟屋

 伊根湾めぐり遊覧船発着場の売店で、カモメにやる餌(かっぱえびせん 1袋100円)を買い乗船。もう数羽が周りを飛び交う。海にいる白い鳥はカモメと思い込んでいたが、カモメは冬季に飛来する渡り鳥、今いるのは留鳥のウミネコ。

 湾岸に広がる舟屋を眺め景色を楽しんでいると、どこからともなくウミネコが群れになってやって来て餌をねだる。なんとトンビまで来た。トンビは羽音が大きく風圧を感じ怖い。

 迫りくるウミネコとトンビ まるでヒッチコックの映画「鳥」だ!

  
           餌だよ              かっぱえびせんだよ! (△印) 

   みんな童心に返って (◇)


道の駅「舟屋の里公園」

 舟屋の里公園は、伊根湾を日本海の荒波から守る東側の半島、「亀島」の高台にある。素晴らしいパノラマだ。
好天に恵まれ遠くまで見渡せる。

       景色よし 器量よし! (◇)

景色よし 〇〇よし! (◇)


お買物「橋立やまいち」】 京都府宮津市字溝尻

 帰途、創業60余年の鮮魚店「橋立やまいち」へ寄った。旬の魚介類や加工海産物が並べられ、試食できる物も多い。 女性の目の色が変わる。今晩の御数(おかず)に何がええやろか? 土産はちょっと日持ちのする干物にしようか?

 店の人は、今が旬の「あおりイカ」、日本一旨いといわれる若狭湾の「甘鯛」などを声高に勧める。美味しいことはわかっているが、値段もいい。手が出ない。それでも甘鯛を何人かが買った。思わず尊敬の眼差(まなざし)を送る。

 日本海の幸をしっかり買い込んで、バスのトランクまで入れて、一路高槻へ。

 今日は外貨を稼ぎ日本の近代化に寄与した織物、就中(なかんずく)絹織物の傑作、ちりめん織の歴史に触れた。

絹は紀元前3千年頃の中国で始まったとされている。それがシルクロードをつくり世界中に広まった。絹の元はカイコ、カイコの卵を採り、育て、繭にし、絹糸を採る。そしてまた、卵を採る。この循環技術が日本は優れていたから、シルクが輸出産業に成り得たのだ。

などと、バスに揺られながら考えていると、突然、カイコだけが絹を吐くという言葉が甦(よみがえ)った。若い30代に出合った扇谷正造(評論家・編集者・ジャーナリスト)の著書のタイトル。あれから40余年、絹を吐いてきただろうか?

 往きのバスの中で、101日から始まるNHKドラマ、「神様の女房」(“経営の神様”こと松下幸之助と、彼を支え続けた糟糠(そうこう)の妻・むめの の波乱万丈の生涯を描く)の紹介をし、七精神の最期は「感謝報恩の精神」、今日も感謝の気持ちで帰れる旅でありたい。と話したら、「朝会しましょか!」「社歌うたいまひょか!」と声が掛った。そんな冗談が飛び交うのは同じ釜の飯を食った仲間だからだ。一般のツアーでは有り得ない雰囲気だ。

いい旅でした。感謝、感謝!



<写真>竹内一朗(◇印)  佐古 年夫(△印)  永野晴朗(無印)   <>永野晴朗