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多彩な直売所 (◇) |
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歴史館は昭和10年に建設された工場の5棟を使っている。屋根はノコギリ状の三角屋根で、北側に採光用のガラス窓が付けられている。南側だと光が強すぎて、糸が光り眩(まぶ)しくて作業ができないからだ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
柔らかい自然光が照らす広いフロアが直売所になっていて、ちりめんは言うに及ばず、織物の有りと有らゆる物が展示即売されている。値段も安い。ちょっとオシャレをしたくなる。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
禿頭(とくとう)を覆う帽子か手拭いを買いたいとバスで言っていたので、センスのいい方が素敵なバンダナを選んでくれた。 ふと見ると、クラシックパンツもある。風通しが良く、男性の夏の下着として最適だ。こちらは密かに求めた。 |
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こんな物もある 天皇御一家の記念写真に見入る (◇) |
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昭和天皇一家の写真が展示されていた。昭和34年4月12日皇太子御結婚宮中内宴の際に撮影されたもので、美智子妃殿下御着用の振袖紋付は、丹後ちりめん歴史館(当時の大啓産業株式会社)で織り上げた御結納の白生地、「駒明美縮緬」を染め上げたもの。 |
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今上天皇皇后両陛下御成婚は、昭和34年4月10日であった。カラーテレビ用真空管の応用技術室で、実験用のカラーテレビに映る華やかなパレードを観たことを想い出す。 |
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歴史館によると、御成婚記念誌で丹後ちりめんが紹介され、注文が殺到したそうだ。その状況は昭和48年のオイルショックまで続き、丹後は日本一のシルク生産地になった。 昭和40年代、高卒の役場初任給が15,000円の頃、白生地1反10,000円の品を年間1千万反織り上げたそうで、ガチャンと織れば万儲(もう)かったので、“ガチャマン景気”と呼ばれたそうだ。 |
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「ちりめん」と言えば、絹織物だけと思われがちだが、丹後では丹後ちりめんで培われた技法を活かし、ポリエステル、レーヨンなどでもちりめん織をして、伝統産業「丹後ちりめん」の間口を広げ頑張っている。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【昼食 「當里家」】 京都府与謝郡与謝野町字岩滝1693 |
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バス20分ほどで、本日の食事処「當里家(あたりや)」へ着いた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ホームページによると、<初代はうどん屋からスタートし、2代目が料理屋に変更、現在京都の料亭にて修行した3代目が、丹後の海の幸・山の幸をとりいれた御料理を提供しております。「當里家」屋号の由来は、道路の突き当りにて商売を始めたところから、檀家の住職が名づけてくださいました。> とある。 |
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天橋立の奥座敷 創業八十四年の「當里家」前にて記念写真 (◇) |
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座敷に椅子でゆったり 先ずは恒例のガンバロウ乾杯! (◇) |
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新会員の紹介 3代目自慢の料理 |
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乾杯に続いて新会員8名とご家族1名の紹介。引き続き、新しく役員になってくれた方1名の紹介。しばし歓声と拍手が響く。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
刺身の甘海老・烏賊(いか)・間八(かんぱち)は、まだ磯の香を感じる新鮮さ。 鰈(かれい)の煮付、鰤(ぶり)のしぐれ煮、鰆(さわら)の味噌漬などの味は滋味深く、こういう味付けが食通を満足させる味というのだろう。 |
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【伊根湾めぐり遊覧船】 |
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伊根湾は、湾口を南に向け東は半島のU字形をしている。 そのため湾内は日本海の荒波から守られ、穏やかで、潮の干満の差が少ないので、船のガレージ「舟屋」が軒を連ねている。 舟屋は切妻造屋根の2階建で、海面すれすれに建てられており、1階が船揚場、2階が居室である。 |
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周囲5kmの湾に沿って230軒余りの舟屋が建ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大変珍しく、平成17年、地区名称「伊根町伊根浦」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。 伊根湾めぐりは、この舟屋群を海上から眺めるほかに、カモメの餌やりも人気を呼んでいる。 |
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伊根湾俯瞰(ふかん) |
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舟屋 |
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伊根湾めぐり遊覧船発着場の売店で、カモメにやる餌(かっぱえびせん 1袋100円)を買い乗船。もう数羽が周りを飛び交う。海にいる白い鳥はカモメと思い込んでいたが、カモメは冬季に飛来する渡り鳥、今いるのは留鳥のウミネコ。 |
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湾岸に広がる舟屋を眺め景色を楽しんでいると、どこからともなくウミネコが群れになってやって来て餌をねだる。なんとトンビまで来た。トンビは羽音が大きく風圧を感じ怖い。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
迫りくるウミネコとトンビ まるでヒッチコックの映画「鳥」だ! |
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餌だよ 「かっぱえびせん」だよ! (△印) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
みんな童心に返って (◇) |
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【道の駅「舟屋の里公園」】 |
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舟屋の里公園は、伊根湾を日本海の荒波から守る東側の半島、「亀島」の高台にある。素晴らしいパノラマだ。 好天に恵まれ遠くまで見渡せる。 |
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景色よし 器量よし! (◇) |
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景色よし 〇〇よし! (◇) |
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【お買物「橋立やまいち」】 京都府宮津市字溝尻 |
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帰途、創業60余年の鮮魚店「橋立やまいち」へ寄った。旬の魚介類や加工海産物が並べられ、試食できる物も多い。 女性の目の色が変わる。今晩の御数(おかず)に何がええやろか? 土産はちょっと日持ちのする干物にしようか? |
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店の人は、今が旬の「あおりイカ」、日本一旨いといわれる若狭湾の「甘鯛」などを声高に勧める。美味しいことはわかっているが、値段もいい。手が出ない。それでも甘鯛を何人かが買った。思わず尊敬の眼差(まなざし)を送る。 |
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日本海の幸をしっかり買い込んで、バスのトランクまで入れて、一路高槻へ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今日は外貨を稼ぎ日本の近代化に寄与した織物、就中(なかんずく)絹織物の傑作、ちりめん織の歴史に触れた。 |
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絹は紀元前3千年頃の中国で始まったとされている。それがシルクロードをつくり世界中に広まった。絹の元はカイコ、カイコの卵を採り、育て、繭にし、絹糸を採る。そしてまた、卵を採る。この循環技術が日本は優れていたから、シルクが輸出産業に成り得たのだ。 |
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などと、バスに揺られながら考えていると、突然、“カイコだけが絹を吐く”という言葉が甦(よみがえ)った。若い30代に出合った扇谷正造(評論家・編集者・ジャーナリスト)の著書のタイトル。 |
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往きのバスの中で、10月1日から始まるNHKドラマ、「神様の女房」(“経営の神様”こと松下幸之助と、彼を支え続けた糟糠(そうこう)の妻・むめの の波乱万丈の生涯を描く)の紹介をし、七精神の最期は「感謝報恩の精神」、今日も感謝の気持ちで帰れる旅でありたい。と話したら、「朝会しましょか!」「社歌うたいまひょか!」と声が掛った。そんな冗談が飛び交うのは同じ釜の飯を食った仲間だからだ。一般のツアーでは有り得ない雰囲気だ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
いい旅でした。感謝、感謝! |
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<写真>竹内一朗(◇印) 佐古 年夫(△印) 永野晴朗(無印) <文>永野晴朗 |
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