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 | ☆第49回 恵那峡・日本大正村初夏の
旅 | 
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 | 山滴る恵那路で、野趣あふれる戦国料理を賞味し | 
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 | 農村景観日本一
地区の眺望と、日本大正村で心を癒し | 
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 | 日本初の発電用
ダム湖、恵那峡のクルージングを豪快に楽しむ | 
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 | 〔平成22年(2010) 5月27日(木)〕
 参加者36名 | 
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 | 今回は主として屋外観光なので、雨だけはご勘弁と祈る気持ちで朝を迎えた。出発時の曇
天がやがて晴天になった。 今年2回目の例会は、岐阜県南東部中山道沿いの恵那路。 藤村が『夜明
け前』の冒頭で「木曽路はすべて山の中である」と紹介している木曽路へ続く山里だ。 | 
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 | 2月の「かにグルメ冬の旅」で但馬路を訪ねたとき、山は眠っていたが、季節は着実に移ろ
い、山笑う萌芽のシーズンを経て、いまは濃い緑に滴り青い山脈となっている。  | 
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 | そうだ、今日は
「青い山脈」でいこう! | 
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 | 石坂洋次郎原作で、映画にもなった「青い山脈」。 好奇心の塊、弾む若さ、誰にもあっ
た青い山脈。それを想い出しながら、主題歌のように軽快な気分で行こう。♪若く明るい歌声に…♪ | 
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 | 《 季の移り生きる喜び新樹光 》(◆) | 
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 | <岩村山荘> | 
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 | 快調なドライブだったが、滋賀県へ入ったあたりで、事故による大渋滞に巻き込まれた。
結局、遊覧船の予約時刻を変更し、先に昼食を摂ることになった。
本日の食事場所は恵那峡と日本大正村の中間にある「岩村山荘」。 備中「松山城」、大和「高取城」と並んで、三大山城に数えられた美濃「岩村城」があった
城山の麓になる。 | 
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 | 岩村
山荘(◇) | 
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 | 岩村山荘の外観は岩村城二の丸を意識した
デザインとのことで、どっしりとした風格。 | 
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 | 合掌造り風の屋内は黒光りした太い柱と梁
で落ち着いた雰囲気を醸し出している。 | 
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 | 頂く料理は名物「戦国料理」。戦国時代の武将たちが食したであろう野趣あふれる食材
を、囲炉裏の炭火で焼くもの。 飛騨牛・地鶏・アマゴ・朝採り椎茸・ジャガ餠(ジャガイモを摺り、練り上げたもの)・新タマネギ・カボチャ・サツマイモ・白ネギ・シシトウなどを焼き、ネギ・ニンニクなどを混ぜて焼いている朴葉味噌に付けて食べる。 香ばし
い朴葉味噌の匂いが室内に漂う。 ビールがどんどん進む。 | 
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 | 最後は、焼き五平餠に焼きお結び、そしてさっぱりと、恵那名産菊ゴボウや大根の漬物で締めくくる | 
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 | 《 今日の幸戦国料理や山若葉 》(◆) | 
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 | 地鶏と飛騨牛          
             椎茸・野菜・ジャガ餠 | 
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 | アマゴ         朴葉味
噌・野菜などの炭
火焼き | 
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 | 美味しかった人(◇) | 
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 | <農村景観日本一地区> | 
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 | 岩村山荘から程近い所の高台に東屋風の展望所があり、そ
こから「農村景観日本一地区」が一望できる。設置されている
案内板から抜粋すると…。 | 
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 | 農村景観日本一の地 | 
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 | (岐阜県恵那郡岩村町富
田) | 
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 | ここに お立ちに なられたら、まず唱歌「ふるさと」か「あかとんぼ」を口ずさんでください。…何かを感じ取ら
れたと思います。 | 
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 | 正面に展開する地域は、かつて鎌倉・室町の中世と言われる時
代、岩村城の城下町があった場所です。戦国時代・元亀元年(1570年)、女城主が守る岩村城は武
田信玄の臣で武田24将の一人「秋山晴近」に攻められ、その時この城下町は消滅したものと思われま
す。その後この富田の地域は純農村地帯に変わって行きました。 | 
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 | この農村景観の特徴
は、東から西に少し傾斜した緩やかな岩村盆地の中に、瓦と白壁の昔ながらの農家や土蔵が点在する田園景観が展開し、回りは緑の低い丘や遠く三河・尾張と境
を接する山々が二重・三重に連なり、ここの景観を一層引き立てています。 | 
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 | 眼下に広がる田園は、総面積約150Haあり、岩村町の約半分を見ることが出来ます。「農村景観日本一」の称号は、昭和63年に全国の環境問題を専門に研究して見えます、京都教育大学・木村教授から頂き、マスコミが一斉に報道し
一躍脚光を浴びたものです。 | 
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 | ここに佇めば、春夏秋冬・朝な夕な・日本が戦後失ってしまっ
た「心のふるさと」  そして古代・仁徳天皇が見た“カマドの煙”の景観を彷彿と感じ取ることが出来ます。 …美しい日本、この景観を是非みんなで守って
行きたいですね! | 
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 | 小高い丘だが、
ほぼ一直線の階段はきつい。数えた人の話では117段あったそうな。着いたときには♪うさぎ追いし かの
山 小鮒つりし かの川…♪ の大合唱中
だった。 案内板通りの見事な眺めだ。 田圃は田植えが終わったばかりの早苗なので、鏡となって景色を映している。 秋には黄金の海原になることだろう。 | 
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 | 《 丘に立ち見渡す限りの植田
かな 》(◆) | 
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 | 古代、天皇は小高い山や丘に登り国見(くにみ)をした。
 国見といえば、舒明(じょめい)天皇が香具山に登って、大和の国を讃えた歌(万葉集巻1-2)が
有名である。 | 
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 | 大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の
香具山 登り立ち | 
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 | 国見をすれば 国原は 煙(けぶり)立ち立つ 海原は 鴎(かまめ)立ち立つ | 
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 | うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は | 
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 | 案内板の“カマドの煙”
の話とは、≪ある
年、仁徳天皇はカマドに煙すら上がらない民の生活を見て、いたく嘆き、急ぎ税を向う3年間は取り立
てないことにし、宮殿の改修も中止して、食料の生産高を上げる事業に専念した。その結果3年後に
は、どの家々のカマドからも煙が立ち昇った。それを見て詠まれた歌のこと≫ | 
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 | 貢物許されて国富める
を御覧じて 仁徳天皇御歌 (新
古今和歌集巻第七 賀歌) | 
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 | 高き屋(や)に 登りて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎ
はひにけり | 
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 | この歌の由来が示すように、仁徳天皇は仁政をしいたので、「仁徳」という諡号(しご
う)が贈られ、堺市に日本最大の前方後円墳の仁徳天皇陵が造営されたのだろう。 戦後65年、焦土
から見事に復興発展してきたが、同時に失ったものも多く、次代への負担も累積している。為政者はしっかりと将来を見据えた国見をしてほしいものだ。  | 
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 | <日本大正村> | 
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 | 江戸時代、飛騨
高山─明智─岡崎を結ぶ南北街道と、名古屋─明智─信州飯田を結ぶ中馬(ちゅうま)街道が交差する交通の要衝として賑わった恵那市明智町は、白壁と黒い腰
板の土蔵、トロッコが家の中を走る商家、ステンドグラスの元カフェー、木造3階建ての元料理屋や一部4階建ての繭倉など、今では珍しい明治末期から大正の
建物が残り、古きよき大正ロマンを町全体に漂わせている。 | 
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 | なんじゃ
もんじゃ満開の大正村役場    土蔵が連なる大正路地        大正ロマン館を望む | 
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 | そんな雰囲気の明智町が、町おこし構想のもとに、昭和59年5月6日
に立村式をして、「日本大正村」と名乗り、初代村長に高峰三枝子を迎えスタートした。  | 
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 | 明智町そのものが、日本大正村なので、特別な入口はない
し、当然入場料も要らない。ゆっくり、のんびり、路地を歩き、観て周ればいいわけである。  | 
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 | とは言っても、今回は次の恵那峡遊覧の乗船時刻が迫っていて、1時
間足らずの駆け足見物になったが、路地に足を入れれば、たちまち大正ノスタルジーの世界。 それに、いつかは観たいと願っていた「なんじゃもんじゃ」が満
開の季節。 純白の花が瑞々しい葉っぱを覆い隠すほど一面に咲いている姿は壮観で、初めて見たら「なんじゃもんじゃ(なんというものか)」と言いそうだ。 | 
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 | 《 若葉して大正ロマンは夢の
中 》(◆) | 
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 | 「なんじゃもんじゃ」の木           
大正村役場の説明板 | 
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 | <恵那峡遊覧> | 
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 | 恵那峡は苗木花崗岩地帯に位置し、花崗岩で形
成された深い峡谷であったが、福沢諭吉の養子で日本の電力王と渾名された福沢桃介が、氾濫を繰り返す木曽川を制して、日本初のダム式発電所を造って今日の
姿になった。 | 
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 | ♪青い山脈 バラ色雲へ あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く♪ (◇) | 
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 | ♪青い山脈 みどりの谷へ 旅を行く 若いわれらに 鐘が鳴る♪ (◇) | 
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 | ダムによって景観が損なわれるのが通例だが、
ここではダムによって水位が上がり、崖上の奇岩怪石が水上の島のように両岸を飾る景観を創造した。自然の造形と人工物の融合によって誕生した景勝地といえ
る。 | 
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 | 朝の渋滞で予定を変更し、本日の最終便に乗船した。 窓が天井まで広がったジエット船
だ。 | 
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 | 抜けるような空の青、淡く濃く緑おりなす
湖岸、その中で白く輝くのは朴の木の葉と風の戯れ。 | 
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 | 《 万緑や奇岩楽しむジェッ
ト船 》(◆) | 
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 | 鏡面の湖上を進む。花崗岩の奇岩が次々と
現れる。 17の岩に名前がついている。 | 
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 | 曰く、軍艦岩 曰く、獅子岩・蛙岩・双子岩・屏風岩…。 | 
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 | 品の字岩                   
   しぶきの向こうに軍艦岩 | 
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 | 二つの橋をくぐって、品の字岩でUターン。帰りは豪快に波を蹴る。 | 
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 | 《 恵那峡の白いしぶきや緑射
す 》(◆) | 
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 | かっこよく
快適なジェット船の遊覧は30分で終了。 帰途に就く。 | 
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 | 今回初めて往路渋滞を経験した。 そのため大正村滞在が
短くなった。 大正村役場玄関の掲示板に、“ようこそ大正村へ 本日は大
正九十九年五月二十七日” と書かれていた。 来年は大正百年! 素敵なイベント
が企画されることだろう。 | 
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 | 快晴に恵ま
れ、地元食材の名物料理を満喫し、身も心も緑に染まりながら絶景を楽しんだ。 | 
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 | 国見の故事、不撓不屈の精神で電力開発をした福沢桃介、夢とロマンを描けた大正デモクラシーの時代、それらに接して、激動の昭和に生を受けた者として、また、人生の年長組み
として、今の世相に対して何かをせねばと、考えさせられる旅でもあった。 | 
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 | <俳句>桐山俊子(◆印)   <写真>竹内一朗(◇印) 永野晴朗(無印)   <文>永野晴朗 | 
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