☆第45回  鈴鹿山麓菰野に紅葉・温泉・史跡を楽しむ


御在所岳の紅葉狩と湯の山温泉入浴・会席料理の昼食
菰野陶芸村窯元見学と竹成の五百羅漢参拝

〔 平成20115() 〕 参加者29


前回に続いて三重県訪問は紅葉先取りの旅。標高1,212mの御在所岳はその標高ゆえ全山が一斉に紅葉することはない。今ごろは中腹が見ごろのはずだ。
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時、やや肌寒を感じながら高槻市役所前を出発。今回は快晴。絶好の紅葉狩日和だ。早くも眺望を期待して車内は華やぐ。心配した渋滞もなく10時半ごろロープウエイ前広場に着いた。

<御在所岳>
 広場の一角にある本日の昼食場所、「ホテル湯の本」前に駐車して、ロープウエイ「湯の山温泉駅」に向かう。
世話役さんから往復切符をもらう。ここからは自由行動。
 ゴンドラは10人乗りで全員座れる。静かに一揺れして空中へ。「山上公園駅」まで標高差780mを12分で上る空中散歩。

ホテルや広場がどんどん小さくなる。このあたりの彩りはまだ浅い。手の届きそうな岩間も通る。

どうやって上っただろうと思うような岩の上で、ハイカーが眺望を楽しんでいた。

やがて、山肌は見事に彩られてきた。落葉樹の黄葉・紅葉に針葉樹の濃い緑。妍を競いながら互いに引き立たせている。

ロープウエイ真下の風景()


《御在所の錦秋紡ぐ縦・横糸》(★)     足下に錦繍の海たゆたいて》()

日本一の鉄塔()

支柱「6号鉄塔」が見えてきた。高さ61mで日本一。鉄塔基礎部分は85畳もあるそうだ。周りの黄葉が陽光を浴びて輝いている 遠くの岩場では這いつくばいながら登っている人が小さく見える。その若さ、体力が眩しい。


《黄落や黄の明るさの友の会》(★)     谿(たに)もみじ絶壁登る山男(★)

 山上公園駅から階段を少し上ると「朝陽台広場」に出る。パンフレットに「伊勢湾からの御来光がすばらしい」とある。成る程と思わせる見晴らしだ。富士見岩展望台へも行ってみたが靄っていて残念。ここでは雨量レーダーの白亜が目を引く。

 屋上のドームの中にある回転アンテナから発射された電波は、雨に当り、反射してかえってくる。その強弱により雨量を測定すると説明版にある。地図に示された観測範囲は随分広いが、観測地点は電波のかえってくる時間によるだろうか?
山頂三角点()

 山上公園駅の西方はスキー場になっている。そのリフトが御在所岳頂上まで案内してくれる。山頂は既に紅葉の時期は過ぎて,灰色の世界である。

御在所岳山頂からのパノラマ()


<
昼食>

 まず三々五々、大浴場や露天風呂に入る。透明のラジウム鉱泉が柔らかく肌をつつむ。露天風呂からは遠く伊勢湾まで見渡せる。


《もみじ見しまっ昼間より露天風呂》(★)

のんびり、ゆったり至福のひと時を過ごして、お待ちかねの昼食はホテル自慢の山と海の幸をふんだんにとり入れたグルメ会席。

大広間でくつろいで()

 ベテランの仲居さんが3〜4人ついて次々料理を運んでくれる。料理良し、酒良し、仲居さんの応対良し。話が弾む。


《饒舌も膳に加える仲居さん》(▲)

<菰野陶芸村>

 湯の山温泉を下り北東に進むと菰野富士(369m)に出合う。その向こうが陶芸村になるが、このあたりは鈴鹿山脈の広い裾野で人家が目立たない。
 気をつけていたが通り過ぎてしまった。電話で確認して引き返す。小さい看板を見つけた。菰野陶芸村では6人の作家が活動しているとホームページに出ていたが、それぞれの敷地が広いので軒を連ねているという感じではない。
 菰野は陶土を産出しないので他所から取り寄せている。信楽が多いそうだ。2軒の窯場を見学した。

圭峰窯(けいほうがま 伊藤 仁)

ここには12連登り窯がある。主の伊藤 仁氏が案内してくれた。気難しい年寄りかと勝手に思っていたが若い。 陶芸に対する情熱が伝わってくる説明を受けた。

圭峰窯の12連登り窯()


《秋の陽に闘い終えて窯静か》()

仁氏の説明に聞き入る()

登り窯の火入れは年に1回か2回。窯の構造や、室内での熱効率を考えた作品の並べ方、薪の使用量、焼成中の作業など詳しく説明してくれた。
 煙が出るので人家から離れた場所でないと作業ができないが、登り窯にこだわっているのは、窯変など炎ならではの味わいを追及しているからだろう。

念ずれば花ひらく

念ずれば 花ひらく

苦しいとき

母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
坂村真民の詩碑()

仏教詩人・坂村真民自筆サインを焼き付けた碑があった。 真民は一遍の生き方に共感し、癒しの詩人といわれている。 この窯場のコンセプトをみるおもいがした。

登り窯の前で記念撮影()

凡窯(ぼんよう 伊藤秀明)

 隣の窯場「凡窯」も見学した。
ここでは電気窯のある作業場を主が懇切に説明してくれ、2階のギャラリーで作品の鑑賞をした。


 庭になにげなく置かれていた作品は、どうやら秀明氏のこだわりの作風らしい。
 小枝のような小片を色々な形に組み合わせた作品がギャラリーに飾られていた。
 
ギャラリーには、芸術性を追求した意欲作から実用品まで展示即売されていた。
 
最近料理をすることが多くなってきたので、手頃な値段の大皿と小鉢を求めた。梱包してくれた中に彼の陶歴が入っていて52歳とわかったが、ずっと若々しくみえた。

1階の作業室() 電気窯の上

 電気窯の上に置かれた奇妙なものは、温度と蓄積カロリーを測るもので、「オルトンコーン」というそうだ。同じようなものに「ゼーゲルコーン」というのもあるそうだ。


《秋日晴れ菰野の原の陶芸の 村を訪ねて元気いただく》(▽)

<竹成五百羅漢>(県史跡)

五百羅漢は菰野町の北部、竹成集落の一角で田園地帯につながる大日堂境内にある。高さ約7mの四角錐の築山をつくり、頂上に金剛界大日如来と四方仏を置き、その周りに如来・菩薩・羅漢をはじめとした石像群を安置したもの。廃仏毀釈などで一部破損し、現在468体の石像が遺っている。

この石仏群は江戸末期の嘉永5(1852)年、当地竹成出身の真言僧・照空(しょうくう)上人が発願し、喜捨を求めて慶応2(1866)年に完成した。石工は桑名の藤原長兵衛一門といわれている。
 
ここの五百羅漢の特徴は露座であることの他に、羅漢さんだけでなく、七福神や猿田彦などの神様、閻魔大王、奪衣婆(だつえば)などの冥界の化身、玄奘三蔵法師、弘法大師、照空上人といった実在した僧侶、はては松尾芭蕉までいることで、素朴な庶民信仰が凝縮した石造群といえる。



《羅漢塚仏も鬼も我を見る》(▲)


《夕日さす竹成の野に我に似る 羅漢おわすか探し拝みぬ》(▽)


《五百羅漢に帰路無事を願ひけり》(★)

弁財天勢揃い()

 今回は御在所岳で雄大な紅葉を観て晴れやかな気分になり、温泉で一年の垢をおとした。陶芸村では若い陶工が真摯に取り組んでいる姿を見た。五百羅漢石像群では神仏習合の庶民信仰に触れた。

世界各地では宗教の違いによる戦乱が続き、国内では異常な犯罪が跡を絶たない。こんな世相にあって、昔の人が山や木や石にも神仏を感じ、信じた敬虔さを見習いたい。と思う旅であった。 



俳句
:井元純子(★印)  永野晴朗(△)   短歌:永野晴朗(▽)   川柳:永野晴朗(▲)
写真:下田紘一(☆印) 永野晴朗(無印)    :永野晴朗