☆第35回 早春の城崎・豊岡 | |||||||||
〔 平成18年3月24日(金) 〕 | |||||||||
1400年前からの名湯で文人墨客に愛された城崎温泉 | |||||||||
コウノトリの野生復帰に取り組む | |||||||||
生き生き豊岡を訪ねました |
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参加者29名 | |||||||||
但馬路の春は遅く、山襞には残雪、冬木立。 山はまだ笑っていない。 | |||||||||
この時季には珍しく快晴。 4ヶ月ぶりのイベント、話が 弾む。 但馬の母なる川、円山川沿いに城崎へ。 |
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城崎温泉到着。芽吹き始めた柳が楚々と招くさまは、まだあげ初めし前髪の風情。 | |||||||||
旅館「深山楽亭」のロビー |
“芽柳や復興しかと円山川” |
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一風呂浴びて昼食。 もう春先なのでカニコースでなく会席膳にした。 | |||||||||
先ずは食前酒で乾杯。 烏賊とたらこの甘煮、沢蟹 の唐揚、豚の角煮の先付。 甘海老・烏賊・ハマチの刺身。 鶏の寄せ鍋。茶碗蒸し。 とろろ掛け蕎麦。湯葉に旬の筍と菜の花を添えた吸い 物。 松葉ガニも出た。シーズンも終わりなのに、しっか り身が詰まった足で十分堪能する量。 |
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それに華やかな彩の蟹の押し寿司。 美味佳肴に大満足。 食後、程近い大師山へ。 温泉寺を窓外に見て山頂へ。 山頂には温泉寺奥の院、 吉田兼好の碑などがある。 |
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温泉寺奥之院 大師堂 |
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吉田兼好歌碑 しほらしよ 山わけ衣春雨に |
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出発まで しばしの足湯 |
大師山展望台から望む “見はるかす大師山より春の海” |
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ロープウエイを降りて自由行動の後、豊岡へ向かう。 | |||||||||
豊岡市街地東方の山間に50万坪の「コウノトリの郷 |
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餌を狙ってか、アオサギが我が物顔に |
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コウノトリは渡り鳥だが、日本の環境を好み、 “今が旬豊岡の春鸛” 江戸時代までは北海道を除く日本各地に棲みつき繁殖していた。 しかし、明治以降の乱獲や戦後の農業近代化などで、豊岡が日本最後の生息地になった。 豊岡では国が特別天然記念物に指定する前年の昭和30年、「コウノトリ保護協賛会」を 発足させ、官民一体の保護運動を開始した。 |
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昭和35年の貴重な写真がパンフレット |
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昭和40年、コウノトリは12羽まで減少。1組のつがいを保護し人工飼育に踏み切るが、 46年に野生の最後の1羽が、ついで61年、保護飼育最後の1羽が死亡。 日本のコウノトリは絶滅したが、豊岡の人々は、ロシアから譲り受けた幼鳥からのヒナを 期待した。( 昭和61年ロシア・ハバロフスク地方から幼鳥6羽受贈 ) 平成元年、待望のヒナ2羽が誕生。 以来順調に繁殖し、昨年の4月には115羽までになった。 次のステップは、野生復帰。 無農薬水田などでの自然の餌で賄える限度の5羽を 昨年9月24日に放鳥した。 |
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文化館のパンフレットには、「コウノトリの 郷公園」から飛び立ち、水田で戯れる5羽が 載っていた。 放鳥したコウノトリ 平成17年、園外の水田での風景 ( コウノトリ文化館パンフレットより ) |
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放鳥されたコウノトリの1羽が今年の1月、2府2県にまたがる大冒険をしたと報道され、野生並み 最後に「じばさんTAJIMA」を訪問した。 ここは、但馬の地場産業の紹介と観光物産展示即売 帰りは福知山経由。 またも円山川支流はいたる所で護岸工事中。 今回のイベントは、恵み 豊岡は コウノトリ舞う豊な地域めざす郷 文・写真:永野晴朗 俳句:井元純子 |