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第111回:3月例会 「多田銀銅山を訪ねて 」
2012年3月8日(木) 参加者 64名
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春めく山間の風景を楽しみながら「多田銀銅山」を巡り楽しく歩きました。
健脚コースでした。 天気の心配で明け暮れしていますが、久し振りに2日前から好天の
予報となりました。
3月8日(木)、64名の皆さんが「能勢電鉄 日生中央駅」の南出口広場に集合。
秋山リ-ダ-より本日の行程の説明がありました。松下幹事の掛け声でストレッチを実施。
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「能勢電鉄日生線 日生中央駅」ホームから橋上駅をのぞむ |
日生中央駅の待機車両
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「能勢電鉄日生線 日生中央駅」改札口
朝夕は通勤ラッシュ激し |
「日生中央駅」の地上駅舎周辺
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「日生中央駅」の南出口地上広場ー広大なスペースあり |
「日生中央駅」の北出口・見山台への連絡通路 |
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◆◇『能勢電鉄 日生中央駅』(にっせいちゅうおう)
能勢電鉄の詳細は、第107回例会(妙見山登山)をご参照ください。日生線は1978年(昭和53年)12月12日 開業。
猪名川町唯一の駅である。
日生中央駅の「日生」は阪急日生ニュータウンの開発者である日本生命保険から来ている。
猪名川町南部地区には大規模ニュータウンが阪急日生ニュータウン、猪名川パークタウン、つつじが丘の3つがある。
この3つのニュータウン地区が、大部分の町民が生活を営んでいる中心的市街地となっている。
これらニュータウン地区からの大阪への足場になっているのが日生中央駅である。
ホームは島式1面2線に単式の降車専用ホームを加えた2面2線の橋上駅になっており、いずれのホームも8輌編成に対応している。構造は1号線は直線構造であるが、2号線は端の方でややカーブを描いている。
なお1997年(平成9年)11月17日から、特急「日生エクスプレス」が、朝・夕方に7往復が大阪梅田駅を直通で結んでいる。
この「日生エクスプレス」は、夕方ラッシュ時の阪急梅田駅からは約39分、朝の通勤時間帯には阪急梅田駅まで約45分の所要時間で運転が行われている。なお、この日生エクスプレスが阪急宝塚線方面の唯一の特急電車であるため、通勤時間帯の人気電車となっており、乗車率は常に高率をキープしている。 |
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天候の心配なく明るい笑顔がはじける |
ゴルフ場がこんなに多かったかな~ |
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秋山リーダーが本日の行程を説明 |
辰巳会長の紹介で、
新幹事「庄子 義明」さんがあいさつしました |
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松下幹事の掛け声でストレッチの実施 |
◆◇『猪名川町』(いながわちょう)
兵庫県南東部に位置する町。
河辺郡に唯一現存する自治体です。兵庫県の川西市・宝塚市・三田市・篠山市、大阪府の豊能町と隣接している。
古くからの集落に近い里山の森林や田園風景を中心とする豊かな環境を有する。町南部は兵庫県川西市から続く兵庫県内有数の盆地のひとつである多田盆地の一部を形成している。南部地区には大規模ニュータウンがあり、北阪神・北摂地区の住宅地としてさらに発展が見込まれているベッドタウンであるといえる。事実、ここ数年、人口増加率は年2%台を維持し、兵庫県内の首位を独走中である。また、全国的に過疎化が進行中の郡部としての人口増加率も猪名川町は全国トップクラスに位置しており、猪名川町の姿を特徴づけている。
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名所旧跡では、南部にある多田銅銀山が有名。
北部は自然が多く残り、ホタルやオオサンショウウオ、モリアオガエルが生息している。また、町内でもっとも標高の高い大野山(おおやさん)の大野アルプスランドには猪名川天文台アストロピアがあり、気軽に天体観測を楽しむことができる。さらに、関西地区でも有名な猪名川霊園や、レーシングカートやミニバイクのサーキット場である猪名川サーキットなどがあり、休日ともなると多くの人が訪れている。猪名川渓谷自然公園の清流に高さ30m、幅100mにおよぶ岸壁が、屏風のようにそそり立ちみごとな景観をつくり出していることから「屏風岩」と名がつけられた奇石もある。
新名神高速道路(事業中:2016年度開通予定):川西市の一庫ダム付近から、町内を通過するのみで、インターチェンジ等の設置はないようです。 |
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日生中央駅より南へうぐいす公園横の彫刻の道を通り猪名川町役場横の「静思館」に着きます。「静思館」は国の有形文化財に登録され 猪名川町立施設となっています。館内は無料見学出来ます。江戸時代の富豪の屋敷を復元した茅葺き、総ひのき造り母屋です。 |
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阪急日生ニュータウン松尾台の 「うぐいす池公園」 |
「彫刻の道」150余りの楽しい彫石で飾られ、ユーモラスな表情の羅漢像や裸婦が、田園の緑を背景に、あるいは整備された家並みに点在し、猪名川町の魅力的な風景を創り出しています
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「猪名川町役場」:全国で唯一つ「全学校の耐震化」の完了と
増加する人口施策で有名になっています
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役場隣りの「静思館」:国登録有形文化財
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「静思館」の門構え |
◆◇『静思館』(せいしかん)
町役場の南隣りにある「旧富田邸」は国の有形文化財に登録されている。
約2500平米の敷地に茅葺き、総檜造りの母屋と4つの土蔵など、江戸時代の豪農の屋敷を模した「旧冨田邸」を町が文化施設としてよみがえらせたものです。内部には当時の面影を伝える家具や道具類がそのまま残されています。和室・茶室などは文化活動の場にも利用されています。
外見は純和風であるが、骨組みはトラス構造(洋式)で、井戸水を利用した水洗式トイレやオンドル床下暖房、山側斜面の氷室など、当時としては
先進的な技術も利用されている。 |
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母屋は茅葺き、見あきない庭・建物・土蔵、、、など、 |
これでお茶のサービスでもあれば、最高でした |
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「静思館」からすぐ横を右折し 安養寺手前を通り広根大水口の交差点横の「さくら自然公園」で小休憩。新興住宅街の緩い坂道、色彩の径を通り抜けます。木立の中のらせん階段を降り しばらくで「悠久の館」に到着しました。館内は鉱山の歴史や使用された道具などが展示されていました。入館は無料でボランテアの方に案内して頂きました。
「悠久の館」の庭で昼食、集合写真を撮りました。
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広根大水口の交差点 |
猪名川町の大規模ニュ-タウンの「パークタウン」の入口 |
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「さくら自然公園」への上り口 |
「さくら自然公園」から銀山町をめざします |
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木立の中の「らせん階段」を降りて悠久の館をめざします |
◆◇『悠久の館』(ゆうきゅうのやかた)
多田銀銅山悠久の館は、北摂の山並みに広がる多田銀銅山の中心として栄えた銀山地区(旧銀山町)の歴史を紹介する施設です。
館内には多田銀銅山に関わる絵図や古文書、鉱石・鉱山道具などの資料を展示しており、交流スペースに設置されたパソコンからは絵図をもとに当時の銀山地区の様子を見ることができます。
敷地からは対岸の代官所(役所)跡を望める。
残されている石垣は、眺める人の心に往時の姿を彷彿(ほうふつ)とさせます。
「銀山三千軒」と称されるほどの賑わいをみせた歴史にふれることのできる当館は、訪れた人々を現在から悠久の昔へと誘ってくれる。
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猪名川町が売り出しに懸命な「多田銀銅山」を説明・展示する
まだ木の香も新しい「悠久の館」 |
トイレを済ませて昼食だ |
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昼食懇親会ーこの頃はポカポカの天候となった |
温かい日だまりで話がはずんだようです
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間歩(坑道)の多さを物語る古図面―
埋蔵金の地図ではないようです |
女性説明員の分り易い、丁寧な説明でした |
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ここから「金山彦神社」「青木間歩」は数分の楽な歩きです。「多田銀銅山」で唯一坑内に入れる「青木間歩」に入りました。
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往時の繁栄を物語る「銀山橋」 |
「金彦山神社」で間歩:坑道への安全を祈願。807年頃に建立され、源満中により修理されたという伝説あり。鉱山の守り神として、全国の鉱山付近にある |
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「金彦山神社」で間歩:坑道への安全を祈願。 |
唯一入れる「青木間歩」の入口 |
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「青木間歩」の内部坑道:奥は網の目のように張り巡らされてされているようだ |
ここで発掘されていたのか、
あるいは秀吉埋蔵金が地中に埋められているのか |
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◆◇『多田銀銅山跡』(ただぎんどうざん)
旧摂津国、現在の兵庫県川西市、猪名川町および大阪府池田市の広範囲にわたり坑道が開堀されてきた。
主な鉱石は黄銅鉱、斑銅鉱、方鉛鉱、輝銀鉱、自然銀であり鉱脈の成因は熱水鉱床である。
天平時代より銅山として開発され、このときの神教間歩から産出した銅は東大寺の大仏鋳造用に使用されたといわれるが記録に乏しい。
源満仲が多田庄に隠棲して開発したとも伝えられる。産銅の確実な記録は鎌倉時代に(1037年)、能勢採銅所が設けられた時期まで降る。天正年間に入り、銀を産出するようになり豊臣秀吉の直轄領となった。 |
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ただし慶長3年の豊臣氏への運上高は銀476枚(約76Kg)であり、生野銀山の62,267枚(約10トン)には比べるべくもない量であった。このため関ヶ原の合戦以降も徳川家康は石見銀山および生野銀山のように天領としなかったといわれる。これは秀吉が地下奥深くの鉱脈を隠匿し将来の蓄財に備えた為であるとする、いわゆる埋蔵金説が存在するが、確証できる資料は存在しない。
銀山地区を中心に10数kmの広範囲に、江戸時代(現在の周辺7市町)には2000前後もの坑道「間歩(まぶ)」が存在しました。「瓢箪間歩」・「台所間歩」を中心に栄え、「大口間歩」の発見と共に直轄領となり、代官所も設置されていました。この多田銅で採掘されるものは品質がよく細工に適していたので、抜荷をされないように厳重な注意が払われていました。
明治時代に入り、三菱が稼行し、昭和19年(1944年)には日本鉱業が買収し操業を続けたが、昭和48年には休山となりましたが、今では整備された「青木間歩」の坑道に入り、往時を偲ぶことできます。江戸中期の科学者・平賀源内も長崎留学の帰路に立ち寄った伝承もあり、歴史のロマンが漂います。 |
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後は田園地帯の風景を楽しみながら近畿自然歩道の山間部に入り「村上中池」、および「ジャリ池」横を通り「ふれあい公園」内を抜け 柴合の広い道路に出ます。猪名川高校前を通り日生中央駅まで約3.0km最後の歩きです。
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「ジャリ池」沿いに歩く、 この北東に「屏風岩」あり
さらに北側では寒天造りが盛んんである |
「「近畿自然歩道」の山間部を歩く |
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「ふれあい公園」から眼下に見えるAeonショピングセンター |
「ふれあい公園」お花畑・延長250mのせせらぎ・遊具広場・芝生広場―毎年11月3日に開催される「いながわまつり」の舞台 |
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「ふれあい公園」で一時解散 23名はバスにて「日生中央駅へ」 |
健脚組は「日生中央駅へ」まで3Kmを歩く 途中の猪名川中学の大時計台 |
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今回は早春の時期での開催でした。
天候にも恵まれ、せせらぎの水音、ヒバリのさえずり、、、など、春の足音を聞き、草木の
若々しい息吹が感じられ、春の訪れ近しを充分に体感できたのではないでしょうか。
おそらく、今後の野山での歩きはこうありたいものだとの思いを強くいたしました。
これからも北摂歩こう会幹事一同、皆様に喜んでご参加いただけますように運営して
まいります。
ぜひ一人でも多くの皆さん、一回でも多くのご参加をお願いいたします。
今回のリーダーの皆さん御苦労さまでした。
今回ご参加いただきました64名の皆さん本当にご苦労様でした。
今後もお互いに元気に、北摂歩こう会でお会いしましょう。
次回、4月例会は「4/12(木): 亀岡七福神と田園地帯を歩く」です。
多くの皆様方のご参加をお待ちしています。 |
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『悠久の館』前で記念撮影 |
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高槻1
18名参加されました。
ありがとうございました。
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高槻2
21名参加されました。
ありがとうございました。
【写真をクリックすると拡大します。】
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茨木摂津・他
23名参加されました。
ありがとうございました。
【写真をクリックすると拡大します。】
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今回の【世話役】 秋山 充久 平 英一 松下 寛
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