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第101回:石清水八幡宮と東高野街道を歩く
2011年1月6日(木) 参加者87名 |
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新年の初歩きは、京都府八幡市(やわたし)。 木津川・宇治川・桂川が合流して淀川となり、対岸山崎との狭隘部を通り、大阪平野へ流れ出る淀川水運の寄港地。 昔から東高野
(ひがしこうや)街道のル−トとなり、石清水(いわしみず)八幡宮への参詣で賑わった所。
小寒の1月6日(木)10時、京阪電車八幡市駅前に87名が集合。 どなたの顔にも新年を祝賀する輝きがある。
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松下創業者も深く信仰した石清水八幡宮。厄除開運、必勝、商売繁盛、
家内安全などの御利益を願って参拝者が足を運ぶ。 |
会長より本年の年頭の例会説明。 |
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仲尾さんを先頭に長蛇の列が放生川を渡る。 まず「飛行神社」へ。
1912年(大正4年)飛行機研究の先駆者・二宮忠八翁が自邸内に創建。 世界の航空殉難者の英霊に参拝。 |
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ゴムを動力に世界で最初に模型飛行に成功した「二宮忠八」が 目指した動力飛行の源、
GE社の飛行機エンジンの展示 |
古代ギリシャの神殿のような拝殿への鳥居は航空機に使われることの多いジュラルミンで出来ている
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次に人家の裏手にひっそりと佇む悲恋の主人公・小野頼風の「頼風塚」に合掌。さらに足利義満の母・良子が母方の菩提寺にカエデを寄進して以来、紅葉の名所として有名な善法律寺へ。 |
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和菓子店の裏にある小さな五輪石塔「男塚」を後に |
南北朝時代に北朝行在にもなった「紅葉寺=善法律寺」 |
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東高野街道の車道を避け、裏通りの閑静な住宅の中を粛々と前進。広大な「松花堂庭園」に到着。 美術館・情報ホールにて小休止。 創設者の松花堂昭乗(1582〜1639)は八幡宮の社僧で書・画・茶の湯・和歌に秀でた寛永時代の文化人。 「松花堂弁当」の原型も彼が農家の種入れを煙草や薬の小物入れ、絵具箱などに使用していた物という。
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東高野街道に沿って「松花堂庭園・美術館」へ |
昭乗もビックリの超近代的な「松花堂庭園・美術館」 |
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「やわた市」関連の文化総合案内 |
池泉回遊式日本庭園の400種類の竹が展示 |
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「松花堂弁当」の創業者「吉兆」 |
松花堂(しょうかどう)は、江戸時代初期の僧侶で文化人であった
松花堂昭乗がその晩年の寛永14年(1637年)に構えた草庵の名称である。
男山の東麓にあった。明治初年の神仏分離に伴い、旧所在地の南方に移築。現在は「松花堂庭園・美術館」という
文化施設となって、やわた市が管理運営している。
松花堂弁当(しょうかどうべんとう)は、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当。
仕切りのそれぞれに刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置する。盛り分様式としては、ごはんと数種類の
おかずを組み合わせたものであり、幕の内弁当に似ているとも言え、しばしば混同もみられる。
しかし源流は、幕の内弁当が本膳料理の流れを汲む江戸時代に遡るものであるのに対し、松花堂弁当は懐石料理(茶料理)
の流れを汲み昭和になってから誕生した様式であり、歴史は大きく異なる。大阪の「吉兆」の創始者が、この器で茶懐石の
弁当をつくったことが話題となり、松花堂弁当の名が広まった。
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「八角堂」「正法寺」を左手に見ながら
通り、ゆるやかな「男山散策路・ひだまりルート」をゆっくりと登り、目的地の「石清水八幡宮」に到着。 |
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八幡市女郎花の「西軍塚古墳」を登って八角堂へ |
八角堂の本尊「阿弥陀如来」は一光千仏といわれる |
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正法寺の本尊は「阿弥陀三尊」。娘が徳川家康の側室となり、尾張藩祖の義直を生んだ。 |
日だまりルートから男山の山頂をめざす。 |
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雑木林の中に「竹林」が表れてきた |
日だまりルート横には、「男山48坊」の跡が見れる |
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「石清水八幡宮」は男山の山頂(▲143m)にある。
この地の民が、男山の山中から湧き出る清水を神として祀ったのが起源とされる。 859年(貞観元年)奈良大安寺の僧・行教
(ぎょうきょう)が、宇佐八幡(大分県)の神託を受け、この地に勧請して堂宇を創建。
以来、石清水八幡宮と呼ばれている。 現在の社殿は、1634年(寛永11年)三代将軍・家光の造営になるもの。 本殿は、八幡造といわれる様式で国の重要文化財。
また「エジソン記念碑」は、エジソンが発明した炭素電球のフィラメントに使用したのがこの地の竹であったことに由来する。
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今年度の北摂歩こう会を象徴しそうな“満足な面々” |
これが八幡真竹フィラメントの炭素電球(松花堂美術館) |
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松下電器の研究陣おなじみの「エジソン記念碑」 |
1879年エジソンは灯火の革命ともいえる「炭素白熱電灯」を
発明し、この「石清水八幡宮」境内に生えている竹が、電球の命ともいえるフィラメントの材料として
もっとも適していることが分かり、電球発明の翌年から十数年もの永い間この竹を使って、たくさんの炭素電球を
造り世界の人々に電灯のありがたさを提供しました。
つまりこの八幡市の竹が炭素白熱電球の実用化に大きな
役目をつとめたことになります。 毎年10月中旬中旬にエジソン碑前祭が行われる。 |
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霰(あられ)に見舞われながら、
昼食と懇親を楽しむ。 熱々のゼンザイが格別美味しい。
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昼食場は神社の特別はからいで「庭園内」に |
この直後に《あられ》に見舞われました、誰も動じず |
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年会費改定・幹事交代を含む「総会」
を開催し、無難に終了。
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北摂歩こう会【2011年度総会】の開始。議長役の辰巳副会長 |
仲尾会長より≪2011年度 年間計画≫のお披露目 |
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仲尾会長より『年会費の値上げ』のお願い |
一致団結幹事会も、今日はまな板のコイ |
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ドコカの国会とは違い、声もかかり「真剣な討議」が進められた |
『年会費の値上げ』の承認後、今年度の予算計画の発表 |
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これからも『会計監査役』のご指導よろしく |
植物博士「浜井」さんの退任は大きな痛手だが ご苦労さん!! |
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これからの活躍が期待されそうな「岩室」新幹事登場 |
幹事会は今年もガンバリマ〜ス |
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本殿に神妙に参詣し、全員の健康長寿を心を込めて祈る。
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御神前で7歳の春に元服して「八幡太郎」と称した源義家。
以降武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬された
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この「石清水八幡宮」は京都の鬼門(北東)にある延暦寺と対峙して、
京都の裏鬼門(南西)を守護する神社
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下りは、「表参道」を通り、京阪八幡市駅前で全員無事解散。
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上院参道の石灯籠群ー王城守護の朝廷・源氏・平氏・足利・ 今川
・武田・徳川・などの名あり |
徒然草第52段「仁和寺にある法師」で有名な「高良神社」。
ナルホド!「どんな小さなことにも案内する人が必要である」という話 |
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帰途の話題は「名札の工夫をしようよ」から年度計画まで |
イヤ〜万博花見は参加増えるだろうかな〜 |
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「白山スーパー林道特別行事」は今年は大丈夫ヤロ! |
さい先良い北摂歩こう会を終え、今年も皆さんご参加しましょう |
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3組に分かれて、記念写真を撮影。
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「石清水八幡宮の表参道:三の鳥居」を背景に記念写真 |
高槻支部1:あ〜そ |
高槻支部2:た〜 |
茨木摂津支部およびその他支部 |
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降水確率40%〜50%にもかかわらず、厳寒の中熱心に参加し、楽しんで頂いた87名の方々に心から感謝致します。
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【世話役】 仲尾富三 秋山充久
多田章子
【 文 】 辰巳寛康
【写 真】 仲尾富三 平英一 見城好豊
【構 成】 冨士永義文
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