第100回:城下町 安土散策(100回達成記念)

2010年12月9日(木)  参加者67名


  12月9日(木)10時 JR安土駅の櫓(やぐら)前広場に67名が集う。


安土駅前「城郭資料館」横で「100回達成記念行事」の説明、
この時は比叡おろしの風が寒かった

織田信長により日本で最初の興業相撲が開催された「相撲櫓」



まず「沙沙貴(ささき)神社」に参拝。 平安時代、沙沙貴山君(やまぎみ)が氏神として奉斎。 中世、佐々木氏の祈願社として栄える。 神域は、約2万u。 茅葺きの楼門をくぐると、正面に拝殿・権殿・本殿など重要文化財が並び建つ。 由緒ある落ち着いたたたずまいの中に、 乃木希典(まれすけ)の石造の寄進札を見つける。


全国の佐々木さんでおなじみの「佐佐木大明神」

8棟の指定文化財が神々しい、近江百華苑の花木が溢れる



次に「浄厳院(じょうごんいん)」に参拝。 天正5年(1577)織田信長が近江・伊賀の浄土宗総本山として創建。 朱色の楼門。 松の茂る広々とした境内。 国の重要文化財の本堂が、太い円柱に大屋根をのせ、どっしりとした構えを見せている。


桃山時代の建物とされる丹塗りの楼門

信長の略奪の資産「鐘楼」




浄土宗と日蓮宗の間の「安土問答」で有名な本堂のたたずまい

織田信長の宗教観をかいまみて浄厳院を後に



信長ゆかりの「梅の川・北川湧水」 に立ち寄り、「常浜水公園」で小休止。「安土城跡」を目指す。


西の湖に注ぐ湧き水の一つであった「梅の川」

室町時代、常楽時港として栄えたこの地区には、数多くの
湧き水が 当時の姿を残しながら今も流れる




「安土城」は天下布武の緒についた 織田信長が、天正4年(1576)標高199mの安土山で丹羽長秀を普請奉行として工を起こし、天正7年(1579)に完成させた平山城。 わが国初の天守閣(天主閣)は、5層7階。 金箔瓦を葺き、狩野永徳の豪放な襖絵や異国の文物が屋内を飾る。 イエズス会の宣教師ルイス・フロイスも訪れ、羽柴秀吉や徳川家康も城内に居を構える。 天正10年(1582)本能寺の変の後、落城。


安土山は京に近く、琵琶湖に接していたので水運も利用できた

信長が権力を誇示するための城郭であり、
以後の近世城郭の範となった といわれる(復元予想)




 入山料(500円)を納め、段差の大きい 石段405段をゆっくりと「天主跡」まで登る。「天主跡」は石垣に囲まれ、東西・南北とも約28mの台地。 高さ33mの木造高層建築は当時、我が国初のもの。 頂上からは琵琶湖が遠望できる。 昼食と懇談を楽しむ。   


大手道を登り始めた面々は元気ハツラツ

信長配下の家臣の屋敷跡を見ながら道を登る




意外とシンドイな〜

朝の寒さはどこえやら、暖かい日差しの中で弁当を開く




遠くの比良、蓬莱山あたりは雪降りか?

天主台跡で日向ぼっこしながら昼食懇談




北摂歩こう会として 百回達成記念セレモニーを挙行。 仲尾会長の挨拶。 手作りのくす玉を前中勇さん、服部うた子さん、 多田章子さんに割って頂く。 拍手が沸く。 次いで前中勇初代会長の祝辞。  14年前の第1回参加者(22名)のうち、ご自身を含め4名の参加者を呼び寄せ、それぞれの思いを語って頂く。 司会者から最多参加者として隠岐洋之助さん(初代副会長)の名が告げられる。


見事にクス玉を割った「新旧・老若・男女」

前中初代会長の満面笑みのあいさつ



第一回参加組の4名、105回目も並んでいただきたい

安土築城当時の建物、城山中腹のハ見寺の三重塔



下山の途中、織田信長が造立した 「ハ見寺(そうけんじ)」の三重塔・仁王門を鑑賞。 帰路、「セミナリヨ跡」を訪れ、JR安土駅にて解散。
安土在住の山本光之さん(74)が終始自転車を押しながら平地で参加され、ほほえましい光景となる。



イタリア人宣教師オルガンチノによって創建されたキリシタン神学校

日本最初のキリシタン神学校。信長の進取の気性がみられる



手作りの横断幕を前列中央にして、 百回達成の記念撮影を実施する。
まず女性のみ。 次に従来通り3組に分割して。 最後に全員集合。

最後に当日の降水確率40%にもかかわらず、安土での百回達成記念行事に参加され、楽しんで頂いた67名の方々に 心から感謝致します。  



安土城天主台跡の「100回達成記念セレモニー」を背景に記念写真

「北摂歩こう会」の誇る女性群 (クス玉割れる前)

高槻支部1:あ〜そ

高槻支部2:た〜

茨木摂津支部およびその他支部

““ 全員で100回達成を祝福できました ” ”





      【世話役】 濱井信行 河井 進  平英一

      【 文 】 辰巳寛康

      【写 真】 仲尾富三 見城好豊

     【構 成】 冨士永義文