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Last updated :05/13/2014

第65回 愛媛地区 歩こう会のご報告

第65回 歩こう会『四国一番の難所・横峰寺』ウォークが予定通り実施されました。
本年度2回目の歩こう会は、四国霊場六十番札所石鉄山福智院横峰寺参拝と満開の石楠花を鑑賞するウォークでしたが、四国霊場八十八番の中でも一番の難所と言われる横峰寺詣では横を見る余裕がなく、アゴを出して上を見るか、下を向いてひたすら歩く難行苦行の連続でした。
  平成26年度の歩こう会、二回目も天候に恵まれ無事終了しました。

日   時 :  平成26年5月10日(土)
 集合と解散   第一場所 ウエルピア伊予駐車場 出発 8:30  解散 15:00
           第二場所 道の駅小松オアシス  出発 9:30  解散 14:00
参加人員 :

総勢 9名 

天   候 : 快晴 微風  全行程 針葉樹林の登山道で、暑さからは救われました。    
徒歩距離 : 約 6km
内   容 :

ウエルピア駐車場組は4名、車1台で松山自動車道に隣接する石鎚山オアシスに、合流時刻の9時半過ぎに到着しました。

西条、東温からの車は先に到着しており、そこでミーティングの後、車3台でウォークスタートの湯浪休憩地に移動、いきなり200mの石段から始まるウォークはスタートしました。

四国霊場八十八番の中でも一番の難所と言われる横峰寺詣には、例年ですと、山頂まで車を利用する方法もあるのですが、四国遍路開設1200年の節目の年、空海は「道場への立ち入りに車の利用は以ての外」と、車道の封鎖(土砂崩れ)をしたようで、バスの姿を一台も見かけませんでした。

従って、満開の石楠花を見に来た人は、車を降りてひたすら歩くしかないのであります。
距離は2.2kmと短いのですが、平坦な個所が殆どなく、杭を打ち、丸太を横にして土砂を敷き詰めた階段の道あるいは、石を置いて階段にした上り道だけでした。

時折降りてくる人に「山頂には素晴らしい景色が待っていますから頑張って下さい」と声をかけて貰えるのを励みにして、200mごとにある標識を頼りに、アゴを出して上を見るか、下を向いてひたすら歩きました。

四国八十八ヶ所霊場59番札所の石鉄山福智院横峰寺参拝は、正午少し前、2.2kmを2時間かかったのですから、ウォークの厳しかったことはお察しいただけると思います。

昼食は、写真の場所からさらに600m上った、奥の院と呼ばれている「史跡星の森」標高870mの地点で杉材の伐採作業が行われている場所で、杉丸太に腰を降ろして弁当を食べていると、機械が下りて来て、私たち一行に退去を命じました。

食事が終わると、急な下りの坂道が足や膝や腰にどんな影響を与えるのか、少し不安を抱きながら、早い人は、上りの半分の所用時間で、湯浪の休憩所に戻りしました。

全員が揃ったところで、大野世話人から、次回は当初65回のウォークを予定していた瀬戸風峠の山道を歩きたいという挨拶があり、解散しました。

↑65回歩こう会参加の顔ぶれです 横峰寺大師堂にて。
 
【ポイント説明】

出発地点の小松「石鎚山オアシス」駐車場で大野世話人のコース案内を聴く一行です。

この場所は、松山自動車道石鎚サービスエリアの山側に位置します。この場所より横峰寺登山口の湯浪まで車で移動しました。

 

ここは、登り始めの比較的ラクな所で、道幅も広く、陽も差し込んでいます。

この先、平坦な個所が殆どなく、杭を打ち、丸太を横にして土砂を敷き詰めた階段の道、あるいは石を置いて階段にした上り道だけだという予想はしませんでした。

四国霊場八十八番の中でも一番の難所と言われる横峰寺詣で
横を見る余裕がなく、アゴを出して上を見るか、下を向いてひたすら歩く難行苦行の連続でした。

その難行苦行を癒してくれるのは、時折聞こえてくるウグイスの鳴き声と、最近咲いたばかりのシャゲの鮮やかな白色だけでした。

私たちの一行の中には、難行苦行の登山は、学生の勉強のようだと言う江戸時代の儒学者草場佩川の漢詩を思い浮かべて歩いた人もありました。

難行苦行から解放されたのは、横峰寺の山門の向こうに見えた満開の石楠花でした。

社務所で窺うと、一番の見頃だそうで、良い時期にお参りされましたと褒められました。

横峰寺の開基は修験道の開祖役小角で、弘法大師が石楠花の木に刻んだ大日如来が本尊として安置されており、石楠花は寺と特別関係の深いことを知りました。

石鉄山福智院横峰寺(60番札所)は四国霊場の中で三番目に高い所にあり、三番目の関所の寺であります。

悪いことをした人は、関所を通過することは出来ないという言い伝えがあると案内板に書かれていました。

参拝しても槃若心経を唱えることもしない私たちですが、関所通過が許されたようで、記念撮影の後、奥の院とも呼ばれる空海が厄除の星供養をしたといわれる「星が森」まで移動しました。
「星が森」は石鎚山の西の遥拝所で、正面に残雪の石鎚山を拝みました。

付近では、杉の木の伐採作業が行われており、弁当を広げていた貯木場をめがけて、キャタピラが接近、私たちは追い払われました。

一番驚いたのは、風もなく、チェーンソーの音もしないのに突然杉の木が大きな音を発して倒木する瞬間を目撃したことです。
「難行苦行の登山は、学生の勉強のようだ」と言う江戸時代末期の儒学者草場佩川の漢詩を思い浮かべて歩いた人もありました
草場佩川は佐賀の人で、江戸に出て古賀精里について学んだ人です。
【流し文】
山行同士に示す 草場佩川
路は羊腸に入って石苔滑らかなり。
風は鞋底より雲を掃ろうて廻る。
山に登るは恰も書生の業に似たり
一歩歩高こうして光景開く。
【通訳】
山頂に通ずる路がまるで羊の腸のように曲がりくねったところになると、日のささぬ石には苔がむして足も滑りやすく、風は草鞋で歩む足の下のほうから雲を吹き払いながら旋回してゆく。
こうして、苦労しながら山の登るのは、たとえてみれば、まったく学生の勉強のようなものであって、一歩一歩高まるごとに、眼界が遠く広くなることである。

写真は登山口の湯浪休憩所で全員の無事下山を確認した瞬間であります。

車道が通行止めのため、石楠花の満開のこの時期、土曜日にもかかわらず、人出は思いの他少なめでありました。

大野世話人は、次回6月のウォークは石手寺の近く、瀬戸風峠であることを告知して解散を宣言しました。

万歩計は12,000歩程度なのに、足の重いことは想像以上でした。

 

 



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