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Last updated :04/21/2014

第64回 愛媛地区 歩こう会のご報告

   第64回 歩こう会『今治・桜井海岸』ウォークが予定通り行われました。
     本年度最初の歩こう会は、平成19年秋に歩いた今治市の網敷天満宮から
      休暇村瀬戸内東予経由医王池湿地までのウォークをアレンジした歩こう会でした
4月も中旬の声を聞き、八重桜も散り始め、ツツジのシーズンになり、
  平成26年度の歩こう会は、初回は天候にも恵まれ無事終了しました。


日   時 :  平成26年4月19日(土)
 集合と解散   第一場所    ウエルピア伊予駐車場
           第二場所   道の駅湯ノ浦/湯 
参加人員 :

総勢 9名 

天   候 : 集合時  曇り 気温は低め、肌寒い風   正午前   晴れ 気温も上がり 風もおさまる    
徒歩距離 : 約 11km
内   容 :

ウエルピア駐車場組は4名で、車1台で今治市の元瀬橋にある道の駅に向けて出発、合流時刻の10時には少し早い9時半過ぎに到着しました。

道の駅の場所には、古代から温泉が湧く、保養地であったことを知らせるモニュメントがありました。
湯ノ浦温泉という地名もそれに由来しているようでした。

西条、東温からの車の到着を待って、車4台を湯ノ浦温泉駐車場に移動、そこでミーティングの後、瀬戸内バスの停留所に戻りました。

道の駅湯ノ浦がある元瀬橋から唐子浜の拝志停留所まで、瀬戸内バスに乗車、案内より10円多い350円を払いました。

唐子浜の住宅地を縦断、四国八十八ヶ所霊場59番札所の国分寺に参拝、行程の安全を祈願、そこから歩道が拡幅工事中の県道を歩き、桜井の市街地、さらに桜井港で歩きました。

昼食は、写真の場所から網敷天満宮の境内を少し歩き、梅林の場所で済ませ、海岸沿って虎ヶ鼻海岸公園まで歩きました。

前回は虎ヶ鼻海岸公園からさらに歩き、急な坂道を歩き休暇村瀬戸内東予を経由、湯ノ浦まで行ったのですが、大野世話人は既に歩いた距離から、前回と同じコースは無理ではないだろうかと判断し、短絡の山越えの道にコース変更を決意しました。

大野世話人から、平成26年度最初の歩こう会が終了したこと、次回は、遍路開設1200年で参拝者が増えている四国霊場60番横峰寺の長い山道を歩きたいという挨拶があり、解散しました。

↑64回歩こう会参加の顔ぶれです 網敷天満宮拝殿前にて。
 
【ポイント説明】

出発地点の湯ノ浦温泉駐車場で大野世話人のコース案内を聴く一行です。

今回は3人の初参加があり、今日は都合がつかなかった会員を含めて、参加者15人以上の歩こう会が見えて来ました。

 

歩いた道は、唐子浜という海に近い場所から、真西に歩き、大和朝廷が伊予国の国府を置いた道前と呼ばれた土地で、国分寺と国分尼寺が建てられた場所を目指しました。

ここは史跡国分寺跡ではありますが、礎石を集めた場所というだけで、礎石の間隔とか、建物の大きさを推測することもでません。

立てられた案内板から、ここに五重塔があったことは分かりました。

ここは、菅原道真を祀った天満宮で、網敷天満宮の拝殿です。

菅原道真が朝廷を追われ、九州大宰府に落ちる船旅で、時化にI合い、漂着したのが、この桜井・志島ヶ原であり、住民は高貴な方に漁網を敷いて、もてなしというか対応をしたことから網敷天満宮の名前が付きました。

近くには、道真公が海水で濡れた衣装を干した岩と伝えられる岩が史跡に指定されています。

それにしても、実に立派な神社は天満宮の中でも格式が高い社で住友財閥の宗家歴代の当主住友吉佐衛門の崇敬を表す石碑が目を惹きました。

住友吉佐衛門の碑がある参道の反対側に月賦販売発祥記念の碑でありました。
建立者は日本月賦百貨店連合会であります。

江戸時代、桜井で生産される漆器は瀬戸内海を東西に運ばれ関西から九州にかけて広域にもたらされ、代金の回収は分割して行われたことから月賦販売発祥の地されています。

時代は下がって戦後、桜井の漆器業者は蓄えた資金を元手に、漆器の生産が下火になった時、月賦販売という販売手法を武器に高額商品の小売業界に進出、関東の丸井、関西の緑屋を筆頭に月賦百貨店として成功を収め、日本の高度経済成長を支えました。

日本の月賦百貨店の創業者は例外なくこの桜井出身者と言っても過言でないそうで記念碑が網敷天満宮境内に在るのも納得がいきます。

志島ヶ原に漂着し、鮮魚を里人に献上されるなどの厚意に感じた道真公は舵柄(舵の頭の部分取り付けた取っ手)に自像を刻み「私は菅原道真である。

もし私が無事帰洛できたなら、この像を証拠として都を訪ねなさい。

私が配地で没したと耳にしたなら、この像を素波神(そばがみ)と称し祀るように」と述べたと伝えられる。

道真は大宰府にて没したので、素波神は境内南端の祠に祀られていました。
平成19年秋に歩いた今治市の網敷天満宮から休暇村瀬戸内東予経由医王池湿地までのウォークを思い返しますと、今治市の運動施設が続く道は変わりがないように思いました。

違っていたのは、写真のようにかなりの面積の太陽光発電施設で、目にしたものだけで二箇所ありました。

何枚のパネルがあるのか数える気力は持ち合わせていませんでした。

写真の場所から左を見上げれば、車を停めた湯ノ浦温泉駐車場があるはずです。

この時点では、岩風呂を過ぎて休暇村瀬戸内東予経由医王池湿地までの数キロを歩くつもりだったのですが、ここから少し歩いた地点で山越えの道を見つけた時点で、短絡を提案する人が過半数をこえたようです。

唐子浜から国分寺更に桜井港まで歩いているのですから、短絡の決断は妥当です。

 

 



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