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Last updated : 31/3/2011

  第42回 愛媛地区 歩こう会のご報告

第42回 歩こう会『八幡浜市川之石界隈』が予定通り実施されました。
午前中、株式会社あわしま堂の工場見学をした皆さんがせっかく川之石に来たのだからと歩こう会
   を開きました。愛媛県でも明治期に殖産興業政策により経済が発展した川之石地区、町の其処此処
  に当時の繁栄を偲ぶ文化遺産が点在しておりました。


日   時 : 平成23年3月30日(土)
 集合:    八幡浜市保内分庁舎駐車場    11:30
 解散:    八幡浜市保内分庁舎駐車場    13:45         
参加人員 : 総勢 14名
天   候 : 午前中晴れ、午後うす曇、微風、気温はこの時期にしてはやや低め。
徒歩距離 : 約 6km
内   容 :
愛媛地区歩こう会の22年度の歩きおさめは、明治時代に国の殖産興業政策を受け、養蚕、紡績、鉱山などで、県下で最も繁栄した川之石の市街地、元保内町役場の駐車場に集合。

少し歩くと、右手前方の琴平公園の桜が今にも開花しようとしている気配が濃厚で、足取りも自然と軽くなるようでありました。

川之石の観光スポットの代表は、東洋紡の前進宇和紡績の赤レンガ倉庫を中心に整備されたもっきんロードで、心地よい遊歩道、当地の青石を積み上げた護岸の光景、銅の精錬かすを加工したレンガを展示した所など、明治の面影を感じました。

昼食は、内之浦の公会堂の裏、川之石湾の堤防に腰を下ろして、あわしま堂の見学の折提供された三笠を食べた後で、やや食欲は押さえ気味でしたが、弁当の味は格別でした。

川之石を歩いて特に目についたのは、高潮の避難場所の標識と、どこにいても、山に向かって階段が刻まれていることでした。

この時期、宇和海の奥まった川之石湾を歩く一行の誰もが、報じられた東北・関東大地震の津波の光景を思い浮かべずにいられるわけでもなく、被災地の一日も早い復旧と、南海大地震のないことを願いながら歩きました。

↑国立二十九銀行(伊予銀行の前進)発祥の地記念碑にて
後方左より前田夫人、山田、、桑島(松寿会)、石川、鈴木、前田、森山、菊池
前列左より金子、樋田、新井、松本、曽根夫人の各会員 (撮影は曽根)

【ポイント説明】

川之石にある八幡浜市保内分庁舎駐車場における森山世話人のコース案内と比較的近くに在住の前田会員によるガイドがあることを告げる案内がありました。

 

歩いた道は、幹線道路ですが、海抜4m、地震の時は10m以上の所へと標記されていました。

川之石もリアス式海岸の奥まった所に開けた街、東北地方の津波を想定して30m以上の高台避難が必要と思ったのでした。

目立つのは、避難場所を表示したプレート、道路に出ればかならず目に入るように表示されていました。

 

写真は国指定の有形文化財である内之浦公会堂で案内板の右側半分は、太平洋戦争で米軍の機銃掃射で天井に被弾した跡が残っていると書いてありました。

この建物の裏側の堤防で昼食、パナソニック関係の工場被害や、関係者の被災状況の話題の会話もありました。


川之石湾は、カモの猟場で、その肉の美味とはたまらないという話もありました。

臨済宗妙心寺派の龍譚寺の案内板、本堂と庫裡について書かれていましたが、特に庫裡の玄関の天井部分に龍の絵が描かれており、風雨の影響が強い場所になぜ絵があるのか書いてあるのかもしれません。

この頃、歩こう会は快速の人と鈍足の人の分裂行進に移りました。

 

一行は、川之石の成功者白石和太郎の洋館がある琴平公園に到着、平日で洋館(戦後はドレスメーカーの教室として最近まで使用)休館にあることを計算に入れて、公園入り口の桜が五部咲きになっており、そこでお花見をしました。

一行の内三名が、高い石段がつづく金毘羅宮に参拝、社の天井に絵があることを確認しましたが、施錠がしてあり、絵の出来栄えを云々することはできませんでした。

歩こう会と工場見学の二部興行は、この辺が限界と判断した案内人と世話人は、集合場所に引き返すと宣言、予定より30分早めの解散となりました。

 

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