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川之石にある八幡浜市保内分庁舎駐車場における森山世話人のコース案内と比較的近くに在住の前田会員によるガイドがあることを告げる案内がありました。
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歩いた道は、幹線道路ですが、海抜4m、地震の時は10m以上の所へと標記されていました。
川之石もリアス式海岸の奥まった所に開けた街、東北地方の津波を想定して30m以上の高台避難が必要と思ったのでした。
目立つのは、避難場所を表示したプレート、道路に出ればかならず目に入るように表示されていました。
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写真は国指定の有形文化財である内之浦公会堂で案内板の右側半分は、太平洋戦争で米軍の機銃掃射で天井に被弾した跡が残っていると書いてありました。
この建物の裏側の堤防で昼食、パナソニック関係の工場被害や、関係者の被災状況の話題の会話もありました。
川之石湾は、カモの猟場で、その肉の美味とはたまらないという話もありました。
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臨済宗妙心寺派の龍譚寺の案内板、本堂と庫裡について書かれていましたが、特に庫裡の玄関の天井部分に龍の絵が描かれており、風雨の影響が強い場所になぜ絵があるのか書いてあるのかもしれません。
この頃、歩こう会は快速の人と鈍足の人の分裂行進に移りました。
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一行は、川之石の成功者白石和太郎の洋館がある琴平公園に到着、平日で洋館(戦後はドレスメーカーの教室として最近まで使用)休館にあることを計算に入れて、公園入り口の桜が五部咲きになっており、そこでお花見をしました。
一行の内三名が、高い石段がつづく金毘羅宮に参拝、社の天井に絵があることを確認しましたが、施錠がしてあり、絵の出来栄えを云々することはできませんでした。
歩こう会と工場見学の二部興行は、この辺が限界と判断した案内人と世話人は、集合場所に引き返すと宣言、予定より30分早めの解散となりました。
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