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松山市の『坂の上の雲』ゆかりの地散策は、JR松山駅前のバス乗り場のスペースを拝借。
毎日のように松山市内は車で走るが、歩くことはまったくないという参加者を相手に森山世話人の挨拶からウォークはから始まりました。
森山世話人の挨拶は、参加者が何かしら、慌しそうな雰囲気を読み取って、有料の場所に入場するのは、時間の無駄と判断したようで、それらの場所は「横を通過するだけだから、期待しないように」という注意、怪我をしないようにという注意の2つだけでした。
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何本もある松山城登山道のひとつ、二の丸庭園入場門で、門構えは立派でありますが、明治維新で、二の丸の建物はすべて取り壊され、復元する財源難から、井戸の跡が残る程度で、跡は、蜜柑の樹が植えられていたり、牡丹の栽培がされているのが登山道から見て取れました。
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快調なペースで132メートルの山頂を目指して登る一行で、まだ雨は降っておりません。
天守閣前の広場に到着すると同時に雨が降りはじめ、上の写真をとり終えて、櫓の廂を借りて雨宿りをしておりましたが、本格的な降りになり、世話人は茶店に入りなさいと支持しました。
茶屋には、観光客の先客が居ましたが、火の気のない炉辺の席が用意され、熱燗は無いので甘酒で我慢しなさい、各自負担というお達しがありました。
この建物、お城の建物の一部を流用したように立派な梁が目を引きました。
生姜の効いた甘酒を楽しんでいる間に、雨は小降りになり、世話人は下山を命じ、ロープウェイの下を通過する東雲口に進路を取りました。
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写真は、下山した東雲のロープウエーイ乗り場の建物の屋上に備え付けられた28インチl榴弾砲であります。
ここにあるとは聞いていましたが、見物できるとは思ってもいませんでラッキーでした。
日露戦争で、2〇3高地のロシアの要塞に向けて使用されたという榴弾砲は、もちろん実物ではなく、複製品でありますが、NHKがドラマ撮影のために特別に誂えたものであります。
これと同じような威力の榴弾砲が、7月に歩こう会で訪れた、小島砲台にもあったそうですが、その写真では、砲身がずっと長いものでした。
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写真は、秋山兄弟の生家であり、『坂の上の雲』の街づくりで、ずいぶんきれいに整備されて、観光客がかならず訪れる史跡ななっておりました。
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写真は、戦国時代の河野氏が居た湯築城跡に整備された広場で、雨をさけた昼食の光景です。
世話人は、ここで空模様と相談して、午後に予定していた石手寺、伊佐爾波神社、宝厳寺の訪問を別の機会に残したいという提案をし、皆さんを賛成を得て解散を宣言しました。
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