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Last updated : 11/12/2010

第40回 愛媛地区 歩こう会のご報告

第40回 歩こう会の松山市『坂の上の雲ゆかりの史跡探訪』が予定通り実施されました。
前日の予報では午前中の降水確率50%の予報が的中、途中から本格な雨に降られましたが
今年最後の歩こう会だからと、意気軒昂なうちに無事、歩き納めをしました。
気温は少々高めで救われました。

日   時 : 平成22年12月11日(土)
 集合:    伊予市 ウェルピア伊予駐車場    8:45 〜 13:30
         JR松山駅前              9:45〜 15:30
 解散:    道後公園                12:30         
参加人員 : 総勢 11名
天   候 : 午前9時45分、スタートと同時に雨がパラつきましたが、幸い松山城山頂までは雨が止み、以降降ったり止んだり、気温はこの時期にしてはやや高めでした。
徒歩距離 : 約 10km
内   容 :
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の第一部の舞台になった松山城や秋山兄弟の生家の近辺を巡る話題の街並み探訪ウォークでした。

親藩松平久松家15万石の城下町、『坂の上の雲』の主人公正岡子規、秋山好吉、真之兄弟が生まれた城山界隈、それと道後温泉の師走の雰囲気は、やはり慌しいところがありました。

この時期の歩こう会、今年が初であり参加者も、慌しいだろうと予測して、世話人は有料で入場するところ二の丸公園、天守閣、秋山兄弟の生家等は、横を歩くだけと宣言したのでありました。

世話人の状況判断はまことに的確で、城山山頂到着までは雨は降らず、茶店で甘酒を楽しむ間は本格的な雨、下山開始とともに、雨は止み、天候回復のスピードが遅いから、午後の予定の部分は取りやめ、歩き納めとして充分な決断でありました。

解散の挨拶では、予定していた、石手寺、伊佐爾波神社、法然上人の生誕地宝厳寺は、気候のよい時期に計画するという話でした。

どうしても、今年一年のお礼参りにと石手寺を目指した人もありました。

↑松山城天守閣前にて
後方左より金子、松原、前田さんの夫人、前田、森山、桑島(松寿会)、河渕
前列左より、曽根、中藤、鈴木の各会員 (正木会員不在)

【ポイント説明】

松山市の『坂の上の雲』ゆかりの地散策は、JR松山駅前のバス乗り場のスペースを拝借。
毎日のように松山市内は車で走るが、歩くことはまったくないという参加者を相手に森山世話人の挨拶からウォークはから始まりました。

森山世話人の挨拶は、参加者が何かしら、慌しそうな雰囲気を読み取って、有料の場所に入場するのは、時間の無駄と判断したようで、それらの場所は「横を通過するだけだから、期待しないように」という注意、怪我をしないようにという注意の2つだけでした。

何本もある松山城登山道のひとつ、二の丸庭園入場門で、門構えは立派でありますが、明治維新で、二の丸の建物はすべて取り壊され、復元する財源難から、井戸の跡が残る程度で、跡は、蜜柑の樹が植えられていたり、牡丹の栽培がされているのが登山道から見て取れました。

 

快調なペースで132メートルの山頂を目指して登る一行で、まだ雨は降っておりません。

天守閣前の広場に到着すると同時に雨が降りはじめ、上の写真をとり終えて、櫓の廂を借りて雨宿りをしておりましたが、本格的な降りになり、世話人は茶店に入りなさいと支持しました。

茶屋には、観光客の先客が居ましたが、火の気のない炉辺の席が用意され、熱燗は無いので甘酒で我慢しなさい、各自負担というお達しがありました。

この建物、お城の建物の一部を流用したように立派な梁が目を引きました。

生姜の効いた甘酒を楽しんでいる間に、雨は小降りになり、世話人は下山を命じ、ロープウェイの下を通過する東雲口に進路を取りました。

写真は、下山した東雲のロープウエーイ乗り場の建物の屋上に備え付けられた28インチl榴弾砲であります。

ここにあるとは聞いていましたが、見物できるとは思ってもいませんでラッキーでした。

日露戦争で、2〇3高地のロシアの要塞に向けて使用されたという榴弾砲は、もちろん実物ではなく、複製品でありますが、NHKがドラマ撮影のために特別に誂えたものであります。

これと同じような威力の榴弾砲が、7月に歩こう会で訪れた、小島砲台にもあったそうですが、その写真では、砲身がずっと長いものでした。

 

写真は、秋山兄弟の生家であり、『坂の上の雲』の街づくりで、ずいぶんきれいに整備されて、観光客がかならず訪れる史跡ななっておりました。


写真は、戦国時代の河野氏が居た湯築城跡に整備された広場で、雨をさけた昼食の光景です。

世話人は、ここで空模様と相談して、午後に予定していた石手寺、伊佐爾波神社、宝厳寺の訪問を別の機会に残したいという提案をし、皆さんを賛成を得て解散を宣言しました。

 

 

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