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Last updated : 11/07/2010

第35回 愛媛地区 歩こう会のご報告

第35回 歩こう会の今治市波止浜『芸予要塞小島(おじま)砲台探訪』が予定通り実施されました。
当日は梅雨の最中、雨天と雨天の隙間に照準を合わせた絶好のウォーク日和でしたが、
参議院選挙の前日緊張が漂う来島海峡の潮流は、世相を反映して激しく流れておりました。

日   時 : 平成22年7月10日(土)
 集合:伊予市 ウェルピア伊予駐車場    7:45〜15:00
     今治市 サンライズ糸山駐車場    9:30〜 14:00
参加人員 : 総勢 13名
天   候 : 午前中うす曇 風もあり絶好のウォーク日和でした。
午後は、天候が好転し、強い日差しにさらされました。
徒歩距離 : 約 10km
内   容 :
今治市のサンライズ糸山を出て、最初の橋第三来島海峡大橋から左手に見える小島に、明治35年
(1902)完成した、ロシア極東艦隊の侵入に備えた砲台跡を見て歩きました。

愛媛歩こう会発足の記念すべきウォークとなった「しまなみ海道」の入り口第三来島海峡大橋を渡り馬島にエレベーターで下り、先日慰霊法要が終わったばかりの架橋工事犠牲者の慰霊碑に手を合わせました。そして、馬島港から自動二輪車しか乗せないフェリーでウォークの小島へ渡りました。

小島に着岸、足を陸に着けて後を振り返ったら、もう船は激流に流されように出港いました。
海のシーズンに向けて準備が進む集落を抜けて、右手の海岸道路から山の中腹にある北部砲台跡を見て、一番の見所、山頂手前の中部砲台跡の兵舎をはじめとする遺構を見て、芸予要塞の司令塔だった山頂に登りました。

来島海峡を見下ろしながら、漆の木陰で弁当を食べたところで、登って来た今治市在住の有閑マダムの一行に場所を明け渡し、下山開始、弾薬庫跡や南部砲台跡を見て港に戻りました。

最後は、船で造船所の一角にある波止浜に上陸、今治造船の南門の前から、糸山への登り道をスタート地点まで歩ききり、今回のウォークを無事終了、次回8/7日(土)の四国カルストのウォークを期待して散会しました。

↑小島砲台跡から来島海峡、第三来島海峡大橋を望む
後方左より森山、鈴木、正木、前田夫人、桑島(松寿会)前田、新井
前列、石川、中藤、樋田、金子、河渕の各会員 (撮影 曽根)

【ポイント説明】

今治市沖に浮かぶ小島にある芸予要塞小島砲台を訪ねるウォークは、第三来島海峡大橋の入り口にある道の駅サンライズ糸山から始まりました。

森山世話人の挨拶とコース案内と注意事項伝達ですが、船の運航は一日に数回、一時間半間隔であり、乗り遅れののないよう集合時間を必ず守ること。

そして、来島海峡は流れが速いことで知られており、間違っても船から海に落ちないこと。
の話がありました。

いきなりでありますが、船着場にあった案内板で、周囲3kmの小島の緑の部分が砲台跡で上から北部、中部、南部砲台ゾーンで、それぞれに砲台、兵舎、発電所、浄水施設がありました。

この案内板の他に、砲台の遺構の写真の説明板がありました。

兵舎は全部地下壕で、入り口は御影石か輸入したレンガ、壕の中は漆喰またはセメントで処理され、100年以上経過していても、それほど湿気はなく、すぐにでも使用可能な状態でした。

小島砲台は、ロシアの南下政策が顕著になった明治32年(1900)頃造営に着手、明治35年に完成しましたが、ロシア極東艦隊は日本海軍により壊滅、ロシア軍の侵入もなく、砲門は一度も火を吐くことなく、大正13年(1924)廃止され、使い道がないまま放置され、太平洋戦争前には、空軍の爆弾投下訓練の対象物として使用されましたが、頑丈すぎて、戦意高揚にならず、放置されて、遺構が残ったのであります。

 

左の写真は、中央砲台に28センチ榴弾砲が6基が台座に設置された頃に撮影されたものですが、上に述べたように、小島では一回も使用されたことはありませんでした。

しかし、日露戦争の旅順の鶏冠山砲台攻撃の時、中央砲台の28センチ榴弾砲が運ばれ、児玉源太郎の指揮のもと、この砲が威力を発揮し、旅順北砲台を陥落させたと伝えられています

また、中央砲台を28センチ榴弾砲をはじめ北部・南部砲台に残された24センチ加農砲や軽砲などすべてが太平洋戦争時の金属回収令により撤去されました。

左の写真は弾薬庫跡で、案内板には、28センチ榴弾砲、24センチ加農砲の砲弾を格納する建物で、現在は屋根が抜け落ち、レンガ造りの壁が残るだけと書かれてありました。

弾薬という一番大事な、しかも危険な軍用品を保管する建物として、周囲の掘削工事など、極めて厳しい工事がなされているかかれています。


来島海峡を引き船で運ばれる船の先端の部分であります。
これを見ると、現在の造船はブロックで作り、これを溶接で繋いでいく
工法だということが一目でわかりました。
 

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