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卯之町界隈ウォークは、西予市のJR卯之町駅近くにある西予市文化会館玄関から始まりました。
森山世話人の挨拶と地元にお住まいの松本吉弘会員のコース案内のシーンです。
松本会員から事前に入手された宇和町紹介のパンフレットが参加者全員配布されました。
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いきなりでありますが、徳川幕末の外交政策を批判した人物がことごとく捉えられた「蛮社の獄」で、永牢の刑になり、伝馬町の牢舎に6年入牢していた高野長英が、牢が火災にあったを幸いに脱獄、逃亡した事件が天保年間にありました。
幕府の必死の探索を逃れ、嘉永元年4月2日、開国に理解のあった宇和島藩を頼りに城下に入り、桜田佐渡という家老の別荘に身を隠し、「砲家必読」という翻訳をしていましたが、追っ手を感じ、長崎でシーボルトの鳴滝塾で共に学んだ二宮敬作を頼って卯之町に潜入、敬作の自宅の二階や写真の離れに10日間ほど滞在したようです。
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高野長英の隠れ家のすぐ近くに酒の蔵元がありますが、その一角に写真の案内板がありました
天保5年(1834)鳥居半平衛という庄屋の邸宅でありましたが、彼が大名屋敷の御門のような構えの門を建築したところ、庄屋には文限の過ぎた門構えと、宇和島藩は彼を山奥の庄屋に左遷しました。
後に清水という庄屋が着任しますが、門はとりこわされず原形を留めておりました。
高野長英もこの家に泊まったという説明が書かれています。
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鳥居門から一直線に檜の木が植林された山を600m上って200m下ると四国霊場43番札所源光山明石寺でありました。
参拝の後、自動車道を下り、先哲記念館を経て、卯之町が誇る西日本一古い木造校舎の開明学校(有名な長野県松本市の開智学校と姉妹関係)とそれより古い申義堂、さらに宇和民具館に立ち寄りました。
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長野の開智学校の後塵を拝した宇和の人が、日本一の雪辱を果たしたのが、直線109mの廊下を持つ小学校校舎(昭和3年)。
現在は、米博物館として大切に保存され、廊下の雑巾がけのスピードを競うZ-1レースが全国的に有名で、濡れた雑巾で、21秒台、乾いた雑巾で18秒代が最高記録だそうです。
松愛会のメンバーでは全力疾走でも、とても達成できない速さ、あきれました。
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どんぶり館で弁当をたべ、午後1時15分帰路の途中、名水百選に選ばれた観音水に立ち寄るため車で移動しました。
百選認定は昭和60年7月22日、海抜315mのカリマタ山から毎日8,000トン湧出しており、水温は14℃で、少し離れた所では老人会や宇和高校の生徒が山葵を栽培する山葵田もあります。
写真は水のみ場ですが、ここから急な坂道を上ったところに湧水口がありますが、太古の昔から涸れることなく湧き出て、生活用水や農業用水として恵みをもたらし、地元の人々は“霊水”と呼んでいます。 |