第135回 「遺跡探訪 :政治・文化の源流 “古都飛鳥”を歩く」

◇実施日: 2012年3月15日(木)曇り 気温7℃(10:00)
◇コ−ス : 近鉄橿原神宮前駅〜剣池〜豊浦寺跡〜甘橿丘〜飛鳥寺〜酒船石〜板蓋宮跡〜石舞台
        〜橘寺〜川原寺跡〜亀石〜鬼の俎〜高松塚古墳〜近鉄飛鳥駅(解散)
◇参加者: 34名
◇概要
  彼岸入り2日前の催行であったが、「暑さ寒さも彼岸まで」のとおり寒く、会員の参加状況が心配されたものの、定刻には
最近になく予想以上の参集があり、賑やかに出発。
   ・橿原神宮前駅へ予定時刻着。駅前のスペースで責任者の挨拶と連絡。コースリーダー・史跡解説者・初参加者の紹介。
  いつものストレッチで筋骨をほぐして出発。 10:25
 ・住宅街を通りぬけ「剣池」に出る。ここは孝元天皇を奉葬310余年後に灌漑のために渡来人の土木技術で開削され、
  剣池と名づけ「剣池嶋上陵」とされた。


ストレッチで筋骨ほぐし
(橿原神宮前駅) 

剣池
(正面が孝元天皇陵)
   
    ・和田池を通過し、豊浦の集落入り日本初の寺とされ豊浦寺跡に着く。百済から「金銅の釈迦佛」が日本へ初渡来。これで
     家を浄めて寺としたと看板にある。
    ・甘樫丘の172mに登る。万葉集で知られる畝傍山・耳成山・香久山が一望。藤原京が三山周辺に広がっていた。振り返ると、
     眼下に飛鳥寺から石舞台の方向へ眺望が広がっている。 


豊浦寺跡(日本初の寺とされている)

阿知波会員の分かりやすい説明を聞く


 

甘樫丘頂上
(万葉集にでてくる山々、藤原京跡が一望)

藤原京時代の話にうっとり
 
   
    ・甘樫の丘を下り飛鳥寺へ向かう途中、蘇我入鹿の首塚とされる石塚を見る。 質素な墓が敗者の悲哀を感じさせる。
    ・飛鳥寺の西門から入り表門へ出る。日本最古の本格的寺院。創立者は蘇我馬子で蘇我氏の氏寺跡。
     この辺りは明日香村である。 
   
 
蘇我入鹿の首塚とされる石塚


飛鳥寺
(聖徳太子が17条憲法を示す事をこの本尊に誓った) 
   
 
酒船石
(石造物は、いまだに未解明)

歴史を大きく変えた板蓋宮跡に着く
 (曽我入鹿がここで殺された       
   豪族から天皇に政権が移った瞬間)
   

板蓋宮跡地を散策

 
     ・石舞台前公園着(12:40) 屋外ホールで昼食。寒く、早めに蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台古墳へ入場。
       集合写真撮影など約20分見学。周辺が整備され美しく気が休まる。 
   
 
石舞台前公園で昼食

蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台古墳 
   

石舞台古墳の前で記念撮影
   
     ・山と田畑に囲まれた「橘寺」へ着く。聖徳太子が廐戸皇子として西暦572年ここで生れた。
     ・伝日本書紀:垂仁天皇の命でトコヨの国へ秘薬を求め十年の苦労の末持ち帰る。
      これを「トキジクノカグノコノミ」という。既に天皇は亡く、実を蒔くと橘(ミカンの原種)の芽が出たので地名とした。
     ・飛鳥四大寺で白壁の美しい「川原寺」を遠見に解説を聞く。天智天皇が母の斉明天皇の冥福を祈り建立。 
      平城京遷都とともに他の寺は平城京へ移したが、川原寺だけは移転しなかった。 
   

「橘寺」へ着く
(聖徳太子が廐戸皇子として西暦572年ここで生れた)

「川原寺」を遠見に解説を聞く
(天智天皇が母の斉明天皇の冥福を祈り建立)
   
     ・コース順に進み、亀石、鬼の俎、鬼の雪隠、飛鳥歴史公園、高松塚古墳、飛鳥の風景と史跡を楽しみながら
      飛鳥駅へ予定時刻の15:30着。
   
 
鬼の俎(お墓の下石)

鬼の雪隠(お墓の上蓋)
 
   

高松塚古墳を背景に記念撮影
 

   
*飛鳥駅(15:58発)急行に乗車、橿原神宮前乗換え近鉄京都駅(17:18着)。 責任者の挨拶後解散する。
*今回は、阿知波氏からコースの史跡を解説いただき、充実した散策ができ、感謝いたします。