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~2017年春 国史跡に指定された山城~ 『水口岡山城跡』
甲賀市水口町
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◆はじめに
紹介する甲賀市は、この春に日本遺産に認定されました。
日本遺産は地域活性化を目的に有形、無形の様々な文化財群を国内だけでなく海外も含めて地域が中心になって発信していくストーリーが対象です。
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①「きっと恋する六古窯~日本生まれ日本育ちのやきもの産地~」
②「忍びの里“伊賀甲賀”~リアル忍者を求めて~」
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の2件が認定されましたが、これについては別の機会に、より活性化が進んだ時に紹介させていただきます。
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今回は、甲賀市でここ数年の活動により
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「国史跡」に指定された『水口岡山城跡』を紹介させていただきます。
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◆水口岡山城跡の紹介
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写真1 野洲川を介して水口岡山城を望む<
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写真2 水口岡山城の展望台から琵琶湖方面を展望
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写真1は、水口岡山城跡の麓に流れる野洲川を介して撮影、そして写真2は水口岡山城跡の頂上から水口の街を撮影しました。 |
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図-1に示しますように滋賀(近江)には、織田から豊臣政権において拠点となる城郭が数多くあります。
図-2は、水口岡山城跡の所在地を示しています。
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図-1 織田豊臣政権の拠点城郭(近江)
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図-2 水口岡山城跡の所在地
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この当時、東国に向かうルートとしては二つありましたがその一つが東海道で、水口がこの街道を抑える重要な立地となっておりました。
そして秀吉が東国へと侵攻するための重要な拠点として、中村一氏に命じて、ここに山城を築城させました。
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水口岡山城に関わる歴史
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この水口岡山城の築かれた山が古城山で、標高283m、東西約1km、南北500mで周囲に高い山が無く、晴れた日は、湖北・湖西方面や琵琶湖まで眺めることができます。
写真1では標高300mの山に見えません。甲賀市の庁舎がある場所でも標高は160mもあります。そして水口岡山城の麓では、既に標高180mであるため、頂上までの標高差103mの低い山です。そのため、短時間で山に登ることが出来、そして琵琶湖を眺めることができます。
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水口は、昔から東海道、日野道、八幡道、伊賀道など多くの街道が交差しているおり、交通の要衝でした。そのため、築城とともに麓は城下町として整備され、現在も、その面影は残っています。通称、三筋町と呼ばれ、紡錘形で中央が東海道になっています。このことからも、この水口岡山城が重要な役割を担っており、其の当時に現在の「街の基盤」が作られたようです。
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現在、主に「水口岡山城」と呼ばれていますが、今でも「城山」と言われ、地域に馴染んでいます。そして昔は、水口城、岡山城、甲賀の城など、いろいろな呼び方があったようです。
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この「水口岡山城跡」は、2013年に甲賀市教育委員会によって発掘調査され、石垣跡や桝形跡などが発見されています。
2015年には新聞などで、“徳川に破壊された幻の山城の遺構見つかる。秀吉ゆかりの水口岡山城”と紹介されています。
では、なぜ街の中にあるのに今まで残っていたのでしょうか。
古城山が水口藩の御用林として管理され、そして明治時代以降、「城跡」は公有財産として管理された為です。こうして現在まで市街地に隣接された山城として親しまれてきました。
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◆水口岡山城や水口城を散策してきましたので簡単に紹介します。
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水口岡山城跡のマップ
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水口岡山城跡には3カ所の入口があり、どのコースでもゆっくり歩いて約20分で本丸に行けます。
今回訪れた時には、曲輪は判りやすかったのですが、堀や土塁は見分けがつきませんでした。夏に訪問したために草や木々が生い茂っており、これが原因だと思います。堀や土塁、石垣をしっかり確認するには、冬が最適です。
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◆散策したコースに従って写真で紹介していきます。
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予備知識として次の用語について説明しておきます。
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曲輪(くるわ)とは
防御の為、人により山の斜面を削り平坦にした場所。そして、重要度によって本丸、二の丸と呼び分けられます。
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堀(ほり)とは
防御のために地面を掘り起こしで凹み形状にしたもの。
尾根に直行したものが「堀切」、斜面に対して縦方向にしたものが「竪堀」といわれています。
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虎口(こぐち)とは
城郭にある最も重要な出入り口のこと。 曲輪の一部を切り込んで設けられていることが多いです。
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土塁(どるい)とは
防御施設として盛土をして堤防状に築くもの。山の斜面に向かって下降するように伸ばしたものを「竪土塁」といわれています。
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写真3 水口岡山城 北側からの入り口
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写真4 水口岡山城「竪堀」
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写真5 西の丸にある展望台
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写真6 西の丸の西面につくられた塀
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写真7 本丸北側にある2段の石垣
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写真8 本丸北側にある石垣
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写真9 本丸の西櫓台跡
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写真10 水口岡山城本丸跡
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写真11 本丸奥に天守台跡
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写真12 本丸天守台跡
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写真13 本丸の北側にある「食い違い虎口跡」
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写真14 本丸と二の丸の間にある「空堀」??
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写真15 二の丸跡
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写真16 二の丸と三の丸の間にある「堀切」?
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写真13 三の丸跡
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写真14 三の丸から曲輪を見下ろす
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写真15 曲輪から三の丸を見上げる
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写真16 曲輪跡
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写真17 山麓の桝形推定箇所(大手)と内堀の
推定ライン、奥に大岡寺がある
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写真18 大岡寺の本堂
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写真19 水口小学校正門横にある山麓の堀の痕跡
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写真20 宿場町としての面影が残る水口宿の東見附
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写真21 三筋町の東端
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写真22 三筋町の西端
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写真23 水口城跡の資料館外観
水口岡山城が落城して34年後に築城された水口城跡
現在は出丸跡に資料館として1991年に建てられました。
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写真24 水口城の模型
出丸(手前に飛び出した部分)部分に現資料館が再移築
されました。(明治6年廃城後、民家に移築されたものを再移築)
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写真25 水口城跡資料館の2階から水口岡山城を望む
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◆散策後、水口岡山城を山城跡として改めて認識した結果となり、より理解するため、さらに調べてみました。
曲輪の位置関係を鳥瞰図として描いてみました。
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水口岡山城跡の鳥瞰図
水口岡山城跡、曲輪、堀をイメージして鳥瞰図として作成(東南上空から)
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この曲輪にどのような城が築城されたのかをイメージしてみました。
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水口岡山城のイメージ図
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2017年 9月
〈投稿者〉 甲賀市在住 藤原 誠 |
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