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『 大山崎町、天王山ハイキングコース 』
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◆はじめに
京都府長岡京市の半導体に勤務していた関係から、長岡京市や大山崎町は勝手知った馴染み深い地域です。
特に大山崎町は、サントリーウイスキー山崎蒸溜所(大阪府三島郡島本町)のお膝元、本能寺に織田信長を討
った明智光秀と豊臣秀吉の戦いが繰り広げられる「山崎の合戦」の舞台になった場所でもあります。
今回は、勝敗や運命の重大な分かれ目の語源となった「天王山の戦い」の歴史が学べるJR京都線山崎駅から
天王山山頂へのハイキングコースを紹介します。
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◆JR京都線山崎駅(08:30)
季節は10月、JR京都線の山崎駅(写真1)を朝8時30分に出発し、長岡京駅側の踏切を渡ると、山側の道路脇に
天王山登り口の石柱(写真2)が見える。
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写真 1 JR京都線 山崎駅 |
写真 2 天王山登り口(宝積寺ルート)
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◆宝積寺(ほうしゃくじ)(08:45)
天王山登り口(宝積寺ルート)から住宅街の中を、約10分程度で宝積寺の山門(写真3)や重要文化財の三重塔
(写真4)に至る。
宝積寺は、724年に聖武天皇の勅命を受けた行基が建てたと伝えられる。また、聖武天皇が夢で竜神から授け
られた「打出」と「小槌」を祀ることから「宝寺(たからでら)」とも呼ばれ、商売繁盛のお寺として知られている。
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写真 3 宝積寺山門
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写真 4 宝積寺三重塔
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宝積寺は、山崎の合戦では秀吉の本陣が置かれた所で、秀吉が腰かけたと言われる「天下人」への出世石
(写真5)が残っている。その境内を右手方向にとり、天王山登山道に入る。
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写真 5 秀吉の出世石
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写真 6 天王山登山道 |
◆旗立松展望台(09:10)
よく整備された登山道(写真6)を約20分程度登ると、旗立松展望台に達する。名前からして秀吉軍が「松の樹上
に軍旗を立てた場所」でしょう。
旗立松展望台(写真7)からの眺望は、右手に桂川、正面に名神高速と京滋バイパス合流点の大山崎JCT(写真
8)を望む。桂川はこの先の右手後方で宇治川、木津川と合流し淀川となる。
天正10年(1582年)6月13日午後4時頃、この大山崎JCTの付近で、秀吉軍3万、光秀軍1万が激突する。戦いは
短時間に終わり、軍勢に勝る秀吉軍の一方的な勝利に終わった。この後、秀吉は天下統一へと乗り出すことに
なる「天王山の戦い」です。
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写真 7 旗立松展望台
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写真 8 「天王山の戦い」古戦場の眺望
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◆酒解(さかとけ)神社の鳥居(09:15)
旗立松展望台のそばに、酒解神社の鳥居(写真9)がある。また、「天王山の戦い」に関する歴史解説の看板(写
真10)も登山道の随所に配置されている。
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写真 9 酒解神社の鳥居 |
写真 10 登山道の随所にある歴史解説
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◆三社宮(09:20)、酒解(さかとけ)神社(09:25)
登山道を5分程度進むと、覆屋の中に、天照大神、月読大神、蛭子神を祀った三社宮を左手の石段上に見る。さ
らに、5分程度で、わが国で最初に酒を醸した神を祀る酒解神社に至る。酒解神社の本殿手前の神輿庫は鎌倉
時代の建築で国の重要文化財に指定されている。
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写真11 三社宮 |
写真 12 酒解神社
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◆天王山山頂(09:30)
山頂まであと100mの標識(写真13)を見て、さらに進むと標高270mの天王山山頂(写真14)に至る。ゆっくりと
歴史散策をしながら約1時間の登りであった。
山頂は木々に覆われ、眺望はあまり良くないが、「歴史とロマンを語る天王山歴史マップ」の看板(写真15)で、
天王山の歴史を楽しむことができる。
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写真 13 山頂まで100mの標識
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写真14 天王山山頂、標高270m
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写真 15 天王山歴史マップ
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写真 16 山崎城の井戸跡 |
山頂に山崎城の井戸跡(写真16)がある。深さは5m程度で、雨水を溜めて使用していたと思われる。この山崎
城を秀吉は一時本拠地とし、1583年の4月の柴田勝家との賤ヶ岳の戦いには、この城から出陣したとされて
いる。
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◆下山開始(09:40)、山崎聖天コース登山口(10:15)
9時40分に下山を開始する。下山ルートは、登りとは別の山崎聖天コース。登山道(写真18)は良く整備されてい
るが、下り山道は水に濡れた場所もあり結構滑りやすく、運動靴よりはトレッキングシューズ等が望ましい。
天気の良い日は、毎日登っているのではないだろうか、気軽な普段着の登山者達と多くすれ違う。約35分で山
崎聖天の登山口(写真18)まで到着した。
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写真17 下り登山道(山崎聖天コース) |
写真 18 山崎聖天コースの登山口
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◆山崎聖天(やまざきしょうてん)(10:20)
登山口の石碑を左折し、数分で真っ赤な鳥居の稲荷神社(写真19)に達する。この稲荷神社の隣の急角度な石
段(山崎聖天西口山門)を一気に登りきると観音寺本堂(写真20)が見える。観音寺は平安時代の899年宇多法
皇の御願寺として創建されたが、江戸幕末の幕府軍と長州尊王攘夷派の戦いで焼失し、明治時代に再建され
た。
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写真 19 稲荷神社の鳥居 |
写真 20 観音寺(山崎聖天)の本堂
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◆アサヒビール大山崎山荘美術館、美術鑑賞(10:35→11:30)
山崎聖天の急な階段を降りて、JR京都線を左に見ながら、JR山崎駅方面への道をJR踏切まで下る。踏切そば
の宝積寺方面登山口の道を再度登りながら右側へ、住宅街の道を15分程度進むと、大山崎山荘美術館(写真
21、22)に至る。
大山崎山荘美術館は、昭和初期の英国風の山荘を整備し、アサヒビール創業者山本為三郎の収集コレクション
を展示している美術館で、クロード・モネの「睡蓮」や濱田庄司、バーナード・リーチの陶磁器等が有名、入館料
は900円。2階のテラスから桂川や対岸の男山、奈良の山々を眺望しながら、ビール(有料)を嗜むのもなかなか
楽しい。
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写真 21 大山崎山荘美術館 |
写真 22 大山崎山荘美術館の玄関
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◆阪急大山崎駅周辺のカフェで昼食(11:40→12:50)
約1時間の美術鑑賞を楽しむとちょうど11時半、ここから阪急大山崎駅周辺まで徒歩約10分の距離。阪急大山
崎駅周辺には洒落たレストランがあり、天王山ハイキングの仕上げは仲間との楽しいランチ。天気が良い日の
打ち上げビールは最高で、気の合った仲間たちとの歓談を楽しみ、天王山ハイキング・歴史散策は、無事に終
了となった。
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◆おわりに
今回は紹介できなかったが、天王山山頂手前の酒解神社鳥居を過ぎた脇道に、十七烈士の墓がある。十七烈
士の墓は、江戸幕末末期の禁門の変(1864年)で、幕府軍との戦いに敗れ天王山山中で自刃した真木和泉守
以下の17名が眠る墓です。天王山の歴史においては、ここも見逃せません。また、天王山は江戸中期から明
治にかけて、米相場などの情報を伝える「旗振り場」であったことは意外と知られていませんが、大阪(堂島)から
京都まで約4分で伝わったそうです。
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2017年 1月
〈投稿者〉
大津市在住 松島 実 |
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