◆ はじめに
五個荘は、25の町があり、全体を、東地区(10町)、南地区(7町)、北地区(8町)で構成されています。
今回紹介させて頂きます地区は南地区です。
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◆ 概況
五個荘町は、2002年(平成14年)に能登川町、安土町と合併するため協議会が設置されましたが解散
となり、2005年(平成17年2月11日)に八日市市、永源寺町、愛東町、湖東町と合併し、東近江市と
なりました。
さらに2006年(平成18年1月1日)に蒲生町、能登川町と合併し、新しい東近江市となりました。
2015年7月時点の人口は、115,532名。五個荘地区は、11,794名で、全体の10.2%です。
近江商人発祥の地として知られています。
合併によって、五個荘町は消滅しましたが、町名を残してほしいという意見が多くあり宮荘地区を除いて
東近江市五個荘・・・町として町名を残しています。
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◆ 交通
一部の地域では、近江鉄道、JR東海道新幹線、国道8号線が隣接して通っています。
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◆ 地理
湖東平野の中央に位置し、東に愛知川、西に繖山(きぬがさやま)、南に箕作山、北に和田山が配置された
地形です。
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上空より見た五個荘地区 |
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新幹線と国道8号線が並行しています |
1999年(平成11年)に五個荘から 能登川へ通じる繖山トンネル開通 |
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◆ 近江商人屋敷と町並み
五個荘には、古い街並みがたくさん残っており、現在も近江商人屋敷や蔵屋敷が金堂地区等にあり昔の
様子がうかがえます。
近江商人の名が生まれたのは、今から約170年前の頃です。近江の産物の布などを持って、天秤棒ひとつ
で北海道から九州まで行商をし、帰りに各地の産物を仕入れ商売をしました。こうして近江商人の名が全国
に広まっていきました。五個荘は、近江商人がたくさん出た地として知られています。
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外村 繁邸 (蔵が文学館になっています)
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外村宇兵衛邸 (近江を代表する豪商) |
近江商人の働く姿 |
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中江準五郎邸 (百貨店経営をされていました) |
小幡人形も展示されています |
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藤井彦四郎邸 (スキー毛糸の製造を行っていました) |
小幡人形について |
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◆ 昔の様子がうかがえます
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蔵屋敷 (舟板塀➝琵琶湖で使用された舟の部材を使用) |
川戸(川の水を屋敷内に取込み簡単な洗い物をするところ)
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弘誓寺:真宗大谷派の寺院で1290年に創建、現在の本堂は、1753年に再建されたもので重要文化財
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町内に流れる川に錦鯉が泳いでいます |
平成24年7月に皇太子殿下が
金堂町に来られる |
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◆祭典・神社仏閣
・雨宮龍神社
毎年、7月の第3土曜日、日曜日に石馬寺の明神山山頂に祀られている雨宮龍神社で雨ごいの行事が行わ
れます。(明神祭りとも言われています)
五個荘の石馬寺、石川、川並、金堂、北町屋、日吉、竜田、塚本、七里、宮荘の各地区が行事に参加します。
本日(本祭)には、代表が参加して祭典が行われます。
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・六所神社
六所神社春季大祭の様子 (神輿前で式典、横には子供神輿)
式典後、巫女さんより浦安の舞が奉納され、神輿をはじめ鐘、太鼓等で渡行が行われます。
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・大城神社
高皇産霊神や菅原道真公等をお祀りしています。
観音寺城から良の方角にあたり、佐々木氏の守護神として信仰されました。
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・石馬寺
聖徳太子が寺を建立して馬が石となった寺、【石馬寺(いしばじ)】と号されました。
仏像十一体は、国の重要文化財に指定されています。 |
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◆ 文化・スポーツ
・観峰館
書道文化と世界を結ぶ博物館
建屋は、6階建ての本館で中国の建築様式である書院、民俗館等で構成されています。 |
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・スポーツ施設
ナイター設備も完備した、野球場、テニス場、ソフトボール・サッカー場があります。
さらにグラウンドゴルフ場がありシーズンになると連日熱戦が繰り広げられています。
また、各種スポーツ大会や運動会を開催し、地域の交流の場ともなっています。 |
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テニス場 |
野球場 |
ソフトボール・サッカー場
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グラウンドゴルフ場 |
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・紅葉公園
紅葉の眺めのいいところですので、一度足を運んでください。ハイキング等シーズンになるとにぎわいを見せます。
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・金堂町なみ保存交流館 (伝統的構造物保存地区の紹介や地域住民の交流の場として活用) |
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・景観に合わせた各所にある案内表示
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・ぷらざ三方よしの中に観光案内所があります |
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