◆ はじめに
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私事ではありますが、2013年4月から多賀大社の氏子総代として縁あってお多賀さんにお参りする事が格段と
増えた1年でした。4/22の古例大祭(多賀祭り)をはじめ年間行事として約10回超えの正式参拝が出来る機会を
頂きました。何年続けられるか、精進して日頃の生活を送って行こうと思っています。
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◆ 多賀町について
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私の住む多賀町は昔から、犬上氏及び多賀氏が豪族としてできた町であり、イザナギ・イザナミの御二人の神々
を祀る『多賀大社』を中心に発展してきた町です。
総面積は、約136k㎡。人口は、7,541人です(2014/2/1現在)。(鈴鹿山脈の西麓に位置し、西部は湖東平野の
一部で約1/3の面積に人口集中)
多賀はその昔、「タカ」と呼ばれていた様で、古文書に「多可」の名が認められる旧・多賀村地域、即ち多賀大社
を中心として形成された門前町が、地域全体の中心をなしていることは、長い歴史の中で変わりなかった様
です。
古代の「タカ」は神(当地域ではイザナミとイザナミ)の坐所としての「高」を意味していた様で、後の「多賀」は
別名として現在通用しています。
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我家から多賀大社を望む
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◆ 多賀大社について
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多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社です。 私の住まいからは1.3km程でほぼ
毎日近くを通っています。伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の御二人の神様を祀り、私の小さい
時から「お多賀さん」として親しんでいました。 式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社と
聞いています。
又、我が村の鎮守の神様『八幡神社』においても、毎年3/15と9/15に豊年を祈り、欠かさず氏子総代としての
役割を果たしています。神主様は多賀大社からお迎えしています。
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多賀大社の入口
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多賀大社拝殿
今年の桜も綺麗に開花しています
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太閤橋と桜
豊臣秀吉が寄進したと聞いています
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多賀大社前門前町
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古例大祭(多賀祭り) 4/22
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「古例大祭」は、鎌倉時代の古記録にも現れる多賀大社での大きなお祭りです。「多賀まつり」とも呼ばれて
います。
今年も氏子総代でもある私は裃姿で行列に参加します。この日、祭の主役である馬頭人(ばとうにん)、
御使殿(おつかいでん)の差定式が行われます。(氏子総代も参拝します。ここは略礼服です)
馬頭人、御使殿共に、神様を迎え入れる御神入式、神様に自ら御供物を献じる大御供式(おおみごくしき)、
宵宮祭などを行い、4/22のお祭り本番を迎えます。
当日は、午前8時半から大祭を斎行、午前10時には行列を整えてお渡りが出発します。
その行列は、馬頭人、御使殿を中心に、氏子や崇敬者の騎馬供奉40数頭、御神輿や御鳳輦の供奉者など
実に約5百名におよぶ行列となります。
行列は始め、栗栖(くるす)の「調宮(ととのみや)」に向かいますが、馬頭人と御使殿は別途、犬上川の下流に
向かい、賓台(ひんだい)と呼ばれる河原において御弊合わせの儀式を行います。その後、午後2時頃本社前
にて行列に合流し、尼子の打籠馬場において「富ノ木渡し式」という儀式を行った後、午後3時半に揃って
本社に出発します。これがいわゆる「本渡り」と呼ばれるもので、祭の最大の見どころです。
午後5時には、宮司以下神職、祭の全関係者が本殿を3周する「夕日の神事」が行われ、一日をついやした
大祭は終了します。翌日は後宴祭で大祭が無事終了したことを神様に奉告します。
一連の祭儀は御神上式で、馬頭人、御使殿がそれぞれ神様をお送りして一切の祭儀は終了します。
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万灯祭 8/3~8/5
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毎年孫を連れて夕方からお参りしています。浴衣を着た人、うちわで涼む人達それぞれで、夜店も出て
大変にぎわいます。
伊邪那岐(いざなぎのおおかみ) 伊邪那美(いざなみのおおかみ)の大神様は、数々の尊いご神蹟を
あらわされたのち、女神さまは黄泉の国(死後の世界)の大神となられました。
万灯祭は私達の祖先の御霊をお護りくださる女神様に感謝を捧げるお祭りで、県内の夏の風物詩
としても有名です。
8月3日の薄暮、杉坂山(ご祭神降臨の地)で御神火祭が行われ、浄火が古式により切り出されます。
麓の調宮(ととのみや)神社(来栖)を経て多賀大社に運ばれると、1万灯を超える提灯に明かりが灯されます。 |
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多賀大社拝殿
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獅子の舞
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毎年多くの品物が販売されています。
特に地元産の野菜等々格安の値段で販売
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提灯は3,000円/一灯で奉納されたものです。
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お多賀杓子・お玉杓子・おたまじゃくし
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多賀社のお守りとして知られるお多賀杓子は、
元正天皇の養老年中、多賀社の神官らが帝の病
の平癒を祈念して強飯(こわめし)を炊き、シデの木
で作った杓子を添えて献上したところ、帝の病が
全快したため、霊験あらたかな無病長寿の縁起物
として信仰を集めたと伝わっています。
元正天皇のころは精米技術が未発達で、米飯は
粘り気を持つ現代のものとは違い、硬くてパラパラと
こぼれるものだったらしく、それをすくい取るために
お多賀杓子のお玉の部分は大きく窪んでいて、
また、柄は湾曲していたとのことで、かなり特徴の
ある形だったといいます。
なお、現代のお多賀杓子はお玉の形をしていない
物が多く、現在の日本米に合わせて平板な物が
大半です。このお守りは、実用的な物もあれば
飾るための大きな物もあった様です。
小学校の頃、グランドの近くでオタマジャクシの
形をした固焼きを作っていたことを思い出します。
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多賀大社ご神木(三本杉) |
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イザナギの大神が天から降り地面に刺した箸が成長したと言われる県下最大級の杉。
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糸切り餅
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多賀大社の名物糸切餅は、あんこを包んだ細長い餅を糸で短く切ったもので、白地に赤と青の3本の線が
入っているのが特徴です。
その由来は十三世紀に起こった二度の蒙古襲来にある。神風によってこれを退けたことに対し、蒙古の旗印である三本線を餅に模して、弓の弦で切って神前に備えたというものの様です。
現在は衛生管理上糸は使っていないと聞いています。現役の頃度々職場に持参し喜んでいただきました。
尚、この糸切り餅は門前町と多賀SAのみで販売。原則多賀大社参拝客のみの販売に拘っているとの事。
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莚寿堂本舗の糸切り餅
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莚寿堂
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◆多賀大社周辺のご案内----お参りのついでに行ってみてはどうでしょうか。 |
河内の風穴 |
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学生の頃良くいきました。入口が小さく(約1m位)入りずらいのですが、洞窟に入った途端、大きな空洞に
圧倒されたのを覚えています。
霊仙山塊(りょうぜんさんかい)カルスト地帯にある鍾乳洞(しょうにゅうどう)風穴。
入口は高さ1mと小さいですが、洞内は3層構造で小洞が複雑につながっているため、総面積1544㎡と広く、
関西でも有数の鍾乳洞といわれています。
洞内温度が一年を通して12℃から13℃であるため、夏は涼しく冬は暖かいです。
大正11年(1922)に観光用の電灯や梯子(はしご)がつけられ、入口から200mまでの1階と2階を見学する
ことがことができます。
ゴッゴツとした岩肌の道を手すりを頼りに進んでいくため、スリルが味わえると思います。
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芹川ダム(一円ダム) |
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野鳥の森として整備された農業用ダムです。一周3kmで朝のウォーキングには手ごろでしょうか。毎年
多くの鴨がやってきます。時々鹿、猿、キツネに出くわす事があります。多賀大社から徒歩20分程度です。
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朝霧の芹川ダム(水面に映る逆山が幻想的)
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キツネとの出会い
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鴨が驚いて逃げています
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猿に睨まれています
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番外編 彦根城にお越しの際は是非とも多賀大社にご参詣ください。 |
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彦根城全景
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彦根城天守
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