『 湖北の古戦場』
 

◆私の故郷を紹介します。18歳まで育ったところは旧浅井郡小谷村大字河毛(現湖北町河毛)です。
 織田信長が小谷城攻略の為、陣を構えた「虎御前山」の麓です。
 浅井家は三代、50年で滅びます。しかし三姉妹が残り、その血は豊臣、徳川、更には天皇家と引き継がれていきます。
 2011年のNHK大河ドラマは三姉妹の三女、江(小督)が主人公で「江〜姫たちの戦国」だそうです。放送までに現地を散策しませんか?
 湖北地方の小谷城跡や姉川の古戦場などを紹介します。

【浅井三代記】
◆この地方を紹介するには浅井長政を抜きには語れません。
 湖北町丁野に「三条公綱お手植えの銀杏」がある。浅井家の祖先は京の公卿、三条家と言われているが疑問?
 当時、北近江は京極氏の支配下にあり、その家臣の浅井亮政は小谷城を築城して勢力を拡大していく。三代目の長政は父の久政を隠居させ、16歳で当主になり、勢力を愛知川付近まで拡大する。

◆その後、織田信長と同盟を結び「お市の方」と政略結婚をして一男三女が生まれる。
 1570年織田信長は長政との同盟を破り、越前朝倉を攻める。長政は朝倉に味方 信長は京へ逃げる。
 この年の6月に信長が報復「姉川の合戦」が開戦。
 長政は戦いに敗れ小谷城に逃げ帰る。1571年に信長は佐和山城を落とし、1572年虎御前山に陣を構え、1573年小谷城に総攻撃をかけ、9月1日、久政、長政自刃。浅井三代50年の歴史を閉じる。久政49歳、長政29歳。

丁野岡本神社の三条公綱お手植えの銀杏

小谷山 頂上から右方向の尾根に城があった

虎御前山 織田軍が陣を構える

山本山 浅井の出城があった(湖北町山本)
   
【小谷城跡】(JR北陸線河毛駅から徒歩20分。バスもあり)
◆湖北町と浅井町(今は長浜市)の町境の標高495mの小谷山。1525年浅井亮政が築き、1573年信長に敗れた短命の城。国指定の史跡で日本五大山城の一つ。
 ハイキンギコースはよく整備されており、大手道コース、清水谷コースなどがあり、山の尾根伝いに馬洗池、首据台、本丸、大広間、京極丸跡等と続き、山頂には大獄がある。
 私が訪れた日は桜が満開でした。中腹まで車で登れ、子供連れも訪れていました。

小谷城の配置図

小谷城跡の看板 北陸自動車道から見える


黒金門跡の前にある「浅井家供養塔」


「首据石」罪人の首を晒した

「中丸跡」家族連れも登っていました

「赤尾屋敷跡」長政が自刃した場所

「小谷城跡の碑」

「大広間跡」桜が満開でした。奥が「本丸跡」

小谷山の山頂
 
【小谷山周辺】

JR河毛駅前「浅井長政とお市」銅像

小谷城戦国歴史資料館(湖北町郡上)

「小谷寺」浅井家の祈願寺

片桐且元(秀吉の家臣)出生地(須賀谷温泉)
   
【姉川の合戦】(JR長浜駅からバスで20分、北陸自動車道長浜ICから5分)

◆姉川は米原市甲津原を水源とし、湖北平野を53Km流れ、長浜から琵琶湖へ流れる1級河川。
 合戦は中流域の長浜市野村の付近で展開しました。1570年6月28日浅井長政、朝倉景健の連合軍18,000人。織田信長、徳川家康の連合軍29,000人。午前5時開戦、午後2時終了。
 戦は6月24日浅井の支城、横山城を信長が包囲。長政は救援のため小谷城から引っ張り出される羽目になる。
 姉川を挟んで南岸織田軍、北岸に浅井軍が陣取る。徳川軍と朝倉軍が開戦。徳川が優勢。浅井軍は織田軍を攻め、一時は遠藤喜衛門尉が信長の近くまで攻め込むが討ち死に、浅井・朝倉軍は敗北。
 多数の死者で姉川は赤く染まり、死者は数千人に達したと言われる。この地には今も「血川」「血原」という地名が残っている。
 この時、浅井長政=26歳、朝倉義景=38歳、織田信長=37歳、徳川家康=29歳
 場所は北陸自動車道長浜ICを降り、国道365号に出て姉川に掛る野村橋付近に史跡は点在している。


「横山城跡」(長浜市石田町)
浅井の支城で信長が落とす。その後秀吉が守る。
出世城といわれている。

横山から小谷山、虎御前山、姉川を望む

横山の麓で見つける(長浜市石田町)


陣杭の柳 信長の本陣が置かれた


姉川戦死者の碑(長浜市血原)

姉川の堤防

姉川の古戦場
4万以上の兵士が戦ったにしては狭い
誇張があるかな?

姉川古戦場の碑(血原塚)



ちはら公園にある布陣図

三田村氏屋敷跡(朝倉景健の本陣)
   
【虎御前山】(JR北陸線虎姫駅から徒歩20分)

◆1570年、姉川の合戦で敗れた長政は小谷城に篭城する。信長は秀吉を横山城に配置。その後1572年、虎御前山に織田の全軍を結集する。
 織田信長、柴田勝家、堀 秀政、滝川一益、仁羽長秀、木下秀吉などの陣が尾根に連なる。
 1573年9月小谷城が落城。姉川の合戦勝利から3年も掛っている。場所はJR虎姫駅から歩いて15分に登山口が有り、1時間コース、2時間コースのハイキングが出来る。
 春は桜、秋はもみじ、夏はキャンプ、お勧めのハイキングコースです。


織田軍の布陣図

仁羽長秀の陣地跡

登山口にある岩上神社の桜

滝川一益の陣地跡
   

◆のどかな田舎道をのんびりと散策してみませんか?
 ここに紹介した以外にも、この地方は戦国時代の古戦場が点在しています。秀吉と柴田勝家が争った「賤ヶ岳」の古戦場も近くです。

◆最後に浅井長政とお市の娘、三人について。

<長女:茶々>   ・秀吉の側室。秀頼を育て、大坂夏の陣で家康に滅ぼされる。
<次女:お初>   ・京極高次と結婚。京極家は浅井家と争いに敗れた家。
           高次は関ヶ原の戦いの前夜まで大津城で西軍を引き止める。
           お初は大阪冬の陣で戦の調停役を務める。

<三女:小督(江)>・佐治一成、豊臣秀勝、徳川秀忠と3回結婚。秀忠との間に2男5女を産む。
           長女の千姫は豊臣秀頼と結婚。次女は前田利家の息子と、三女は越前の松平家、
           四女は京極家、五女は天皇家と其々結婚。長男が三代将軍「家光」

・浅井家は三代50年で滅びるが三姉妹は歴史の表舞台で活躍し、浅井の血を残している。
 2011年NHKの大河ドラマの舞台となり、この界隈は賑やかになりそうです。

 

                             
(取材) 西岡 壮   2009年10月