水面標高 |
85.614m |
|
湖面積 |
670.25km2 |
県全面積の約1/6 |
湖岸線 |
235.20km |
大津〜浜松間 |
長 軸 |
63.49km |
西浅井長塩津〜大津市瀬田 |
最大幅 |
22.80km |
新旭町饗庭〜長浜市下坂浜町 |
最小幅 |
1.35km |
琵琶湖大橋の長さ |
最大深度 |
103.58m |
安曇川の河口沖 |
平均深度 |
41.20m |
|
水 温 |
最高:27℃内外 (8月下旬) |
|
最低: 6℃内外 (2月上旬) |
『
びわ湖と滋賀の再発見』
|
|||||||||||||||||||||||||||
近つ淡海・・・・・びわ湖、大和から見て琵琶湖は近く淡海「近つの淡海」という言葉を縮めて「近江」の国と言われるようになった、とのこと。 |
|||||||||||||||||||||||||||
母なる湖「琵琶湖」 |
|||||||||||||||||||||||||||
□はじめに琵琶湖再発見 | |||||||||||||||||||||||||||
・琵琶湖はバイカル湖(ロシア)やタンガニーカ湖(タンザニア)に次いで世界でも3番目に古い指折りの古代湖であると目されています。 【琵琶湖のデーター】 |
|||||||||||||||||||||||||||
菜の花畑より比叡山を望む1 |
菜の花畑より比叡山を望む2 |
||||||||||||||||||||||||||
□琵琶湖雑学 | |||||||||||||||||||||||||||
【琵琶湖に棲んでいたゾウ】 ・古琵琶湖のうち250万〜180万年前は、今の湖南〜湖東地域にかけてあちこちに湖沼や湿地があり、その年代の地層からは大きなゾウの足跡や歯の化石が見つかっている。 【琵琶湖の底にある遺跡】 ・琵琶湖の湖底からは多くの遺跡が発見されている。 中でも湖の北側にある葛龍尾湖底遺跡はよく知られており、水深60〜80mのところから縄文時代から平安時代にかけての土器類が見つかっている。 【琵琶湖にしかいない動植物】 ・1997年現在で確認されている固有種は57種で、鮒寿司の材料になるニゴロブナを始め、ホンモロコ・ビワマスなど魚種12種、底生動物38種、水草2種、プランクトン5種となっている。 琵琶湖の陥没によって出来た内湖のうち、唯一残っているのが安土の「西の湖」 |
|||||||||||||||||||||||||||
西の湖1 |
西の湖2 |
||||||||||||||||||||||||||
【大洪水の記録】 ・明治29年(1896年)9月に発生した記録的な洪水は9/3〜12日の10日間に1008mmという滋賀県年間雨量1900mmの約半部分に匹敵する雨が降った。 特に7日は1日で597mmという大豪雨で琵琶湖の水位がプラス3.76mまで急上昇し、周辺地域は237日もの長期にわたる被害という大洪水をもたらした。 大洪水を後世に語り継ぐため、石標や痕跡が今も各地に残されている。
|
|||||||||||||||||||||||||||
彦根市 妙光寺 |
大津市下坂本 酒井神社 |
大津市瀬田 西光寺 |
|||||||||||||||||||||||||
□琵琶湖近江八景と琵琶湖八景 | |||||||||||||||||||||||||||
・我が県、我が町湖国滋賀には本当に数多くのスポットがある。 ここでは昔の八景と現代の八景を紹介する。 ・近江八景は、第107代後陽成天皇(1571〜1617年)が決められたと言われている。 「瀬田の夕照」 「粟津の晴嵐」 「唐崎の夜雨」 「堅田の落雁」 「石山の秋月」 「三井の晩鐘」 「比良の暮雪」 「矢橋の帰帆」 |
|||||||||||||||||||||||||||
比良の暮雪 |
粟津の晴嵐 |
矢橋の帰帆 |
|||||||||||||||||||||||||
・それに対し琵琶湖八景は、昭和25年(1950年)琵琶湖が国定公園に指定されたのを機に選定された. 「夕陽・瀬田、石山の清流」 「新雪・賤ヶ岳の大観」 「煙雨・比叡の樹林」 「月明・彦根の古城」 「涼風・雄松崎の白汀」 「春色・安土八幡の水郷」 「暁霧・海津大崎の岩礁」 「新緑・竹生島の沈影」 さて、皆さんはどれだけの景色をご覧になっておられますか? |
|||||||||||||||||||||||||||
瀬田の夕照1 |
瀬田の夕照2 |
||||||||||||||||||||||||||
彦根の古城 |
安土八幡の水郷 |
||||||||||||||||||||||||||
海津大崎1 |
海津大崎2 |
海津大崎3 |
|||||||||||||||||||||||||
□滋賀県とは、どんな県? | |||||||||||||||||||||||||||
・次は色々な切り口から、私たちが住む滋賀県を見つめてみましょう。さて、どんな特徴をもつ県でしょうか? |
|||||||||||||||||||||||||||
江北図書館 |
江北図書館外観 |
||||||||||||||||||||||||||
6.潜在成長率 2.83% 全国1位(2008年〜2020年平均) *労働力、資本、技術力の生産要素を平均的に使って生み出せる潜在GDPの伸び率。 |
|||||||||||||||||||||||||||
長等公園入口 |
滋賀県最初の公園 |
||||||||||||||||||||||||||
13.湖国三大祭りとは ・山王祭(日吉大社):1300年の歴史を持つ県内屈指の大祭。 |
|||||||||||||||||||||||||||
月心寺 |
出島の灯台 |
えり漁 |
|||||||||||||||||||||||||
□仏教文化発祥の地「比叡山」 | |||||||||||||||||||||||||||
・鎮護国家のために天台宗延暦寺を創建。 ・数多くのすぐれた人材を育てた日本仏教の母山である。 ・伝教大師―仏教研究のため建てた一乗止観院は後に国宝の根本中堂に発展。 ・相応和尚―荒行の代表というべき回峰行を大成し、無動寺や葛川明王院建立。 |
|||||||||||||||||||||||||||
□近江の巡礼 | |||||||||||||||||||||||||||
我が県、我が町の巡礼や札所をご存知ですか。 ・西国巡礼(三十三所の観音霊場めぐり)の滋賀県札所は6ヶ所。 十二番:正法寺(岩間寺) 十三番 :石山寺 十四番 :三井寺 三十番:竹生島 宝厳寺 三十一番:長命寺 三十二番:観音正寺 ・近江西国三十三所 元禄年間(1688年〜1704年)にできた。西国六ヵ寺も含まれているが、他の主な霊場として 常楽寺(石部) 東門院(守山) 長谷寺(高島) 酒波寺(今津) 大崎寺(マキノ) 石道寺(木之本) 観音寺(山東) 松尾寺(米原) 北野寺(彦根) 金剛輪寺(秦荘) 百済寺(愛東) 瓦屋寺(八日市) 善勝寺(能登川) 石塔寺(蒲生) 西明寺・金剛定寺(日野) 大岡寺(水口) 檪野寺(甲賀) 正福寺(甲南) 妙感寺(甲西) などがある。 ・江州湖辺三十三所も江戸時代後期に成立している。 札所は西国、近江が重複しているが 浮御堂(大津) 報恩寺(志賀) 知善院(長浜) 総見寺(安土) 願成就寺(近江八幡) 円光寺(野洲)などが含まれている。 ・他にも 湖東三十三所 甲賀西国三十三所 蒲生西国三十三所 江州伊香三十三所 高島郡巡礼三十三所 大津三十三所 彦根三十三所 彦根近辺三十三所 滋賀西国三十三所など多くの観音霊場があった。 まさに滋賀県は巡礼のメッカであった。 ・ちなみに近江は文学のメッカでもある。 668年の額田王と大海人皇子の歌をはじめ、源氏物語・奥の細道紀行の足を近江で止めた松尾芭蕉(義仲寺を自分の墓場と定めていた)や島崎藤村(石山寺門前茶所に2ヶ月程下宿)も近江の国と大いなる縁をもつのである。 |
|||||||||||||||||||||||||||
義仲寺 |
茶所「藤村」 |
||||||||||||||||||||||||||
□近江商人について | |||||||||||||||||||||||||||
1)偉大な近江商人がでた理由とは。 |
|||||||||||||||||||||||||||
□近江の女性群 | |||||||||||||||||||||||||||
ここでは近江の生んだ代表的な女性を記載しました。 1)はじめに近江の武将小谷城主 浅井長政とお市の方との間に生まれた茶々、初、江与の三姉妹 ・茶々:秀吉の愛妾、淀殿となって秀頼を生み、一時は天下を動かす権勢を誇ったが家康に滅ぼされた。 ・初 :近江源氏の名門、京極高次(大津城主)の妻に。関ヶ原の戦いでの功績で若狭小浜城主(8.5万石)に栄転した。 ・江与:二代将軍秀忠の妻になり、三代将軍家光を産んだ。娘の和子は女帝明正天皇を産み、徳川初期の文化興隆に関与。 |
|||||||||||||||||||||||||||
2)へそくり元祖の山内一豊の妻千代 ・現在の近江町飯村で浅井家の家来、若宮左馬之助の娘として産まれる。 ・信長が京都で馬揃えをやった時、嫁入り時持ってきた鏡の裏から黄金二枚を出し、一豊に名馬を買わせ、信長に認められたのが出世の緒となっている。 ・今も高知城の門近く、夫を励まして千代が愛馬のたずなをとっている姿が銅像となって立っている。 |
|||||||||||||||||||||||||||
3)「日本外史」「日本政記」著者で知られる頼山陽の夫人・頼梨影 ・彦根三津浜で豪農の娘として産まれた。 ・12歳で京都の蘭医宅に上女中として奉公している時に頼山陽に見初められる。 独学で努力し、山陽が「日本政記」を1/3残して亡くなったが3年かけて残りの稿を仕上げ、完成させている。 |
|||||||||||||||||||||||||||
4)岩倉具視の正室岩倉槙子 ・26年間で7人の子供を産む。 ・具視が公武合体の中心人物として尊攘の志士たちに暗殺されそうになった時、薩摩の小松・西郷・大久保、長州の広沢・桂といった人々が訪ねて倒幕の秘策を練った時、世話をしていた。また密書を隠し、長州屋敷や薩摩藩邸に何度も運んだ。 ・岩倉家第十三世具定の五男具輝の娘が小桜葉子で夫が上原謙、その息子が加山雄三ということになる。 |
|||||||||||||||||||||||||||
□終わりに... | |||||||||||||||||||||||||||
太古の時代より母なる琵琶湖に抱かれる郷土、自然と歴史と神社・仏閣・城跡の宝庫、近江商人の町など、魅力つきない滋賀。 いかがですか、今一度滋賀県とあなたの町の趣を探索してみませんか、きっとすぐ近くにお宝があると思います。 自分なりの楽しみ方で、いつもと少し違う空気を吸ってみてはいかがでしょうか。 寄稿者の偏見と片寄った「琵琶湖と滋賀の紹介」になりましたが、お許し下さい。 参考文献 ・司馬遼太郎「街道をゆく」第1巻 ・滋賀大名誉教授 小倉栄一郎「近江商人」 ・歴史作家 徳永真一郎「近江の女性群像」 ・滋賀観光ベストガイド ・琵琶湖夢辞典 ・レイカディア大学講義より <取材>草津市在住 有本 功 2009年5月 |
|||||||||||||||||||||||||||